源氏物語 第42帖 匂宮(9)
匂宮の薫物
このように不思議なほど人がとがめる香りが身にしみている薫を、兵部卿の宮(匂宮)は、他のことよりも競争心を燃やして、わざわざあらゆる優れた香を焚きしめ、朝夕の仕事として薫物を調合することに励み、御前の前栽にも、春は梅の花園を眺め、秋は世の人が愛でる女郎花や、牡鹿の妻とされる萩の露にもほとんど心を移さず、老いを忘れる菊、衰えてゆく藤袴、見栄えのしない吾亦紅などを、ひどく殺風景な霜枯れの頃まで捨てずに置くなど、ことさらに香りを愛でる好みを立てて、風流に暮らしていた。このようなわけで、少しなよなよと柔らかすぎて、色好みの方に引かれていると世の人は思っていた。昔の源氏は、すべてこのように一つのことに偏って、変わった凝り方をすることはなかった。
- 1かくかくかくあやしきあやしきあやしきまでまでまで人人ひとのののとがむるとがむるとがむる香香かにににしみしみしみ給給たまへへえるるるををを、、、兵兵ひょう部部ぶ卿卿きょう宮宮のみやなむなむなんことごとことごとことごとよりよりよりもももいどましくいどましくいどましくおぼしおぼしおぼしててて、、、それそれそれはははわざとわざとわざと萬萬よろずののの勝勝すぐれれれたるたるたるうつしうつしうつしをををしめしめしめ給給たまひひい朝朝あさ夕夕ゆうのののことことことわざわざわざにににあはせあはせあわせいとなみいとなみいとなみ、、、おおお前前まえののの前前せ栽栽ざいにににももも春春はるははは梅梅うめののの花花はな園園ぞのをををながめながめながめ給給たまひひい、、、秋秋あきははは世世よののの人人ひとのののめづるめづるめずる女女おみな郎郎へ花花しさささをしかをしかおしかのののつまつまつまにににすめすめすめるるる萩萩はぎののの露露つゆにににもももをさをさをさをさおさおさ御心御心みこころうつしうつしうつしたまはたまはたまわずずず、、、老老おいををを忘忘わするゝるゝるる菊菊きくににに衰衰おとろへへえ行行ゆくくく藤藤ふじ袴袴ばかまものものものげげげなきなきなきわれもかうわれもかうわれもこうなどなどなどはははいといといとすさまじきすさまじきすさまじき霜霜しも枯枯がれののの比比ころほひほひおいまでまでまでおぼしおぼしおぼし捨捨すてててずずずなどなどなど、、、わざとわざとわざとめきめきめきててて香香かにににめづるめづるめずる思思おもひひいをををなむなむなん立立たてててゝゝてこのましうこのましうこのましゅうおはしおはしおわしけるけるける。。。かゝるかゝるかかる程程ほどににに少少すこしししなよびなよびなよびやはらぎやはらぎやわらぎすぎすぎすぎてててすきすきすきたるたるたる方方かたにににひかひかひかれれれ給給たまへへえりりりととと世世よ人人ひとははは思思おもひひい聞聞きこえええたりたりたり。。。昔昔むかしののの源源げん氏氏じはははすべてすべてすべてかくかくかくたてたてたてゝゝてそのそのその事事こととととやうやうようがはりがはりがわりしみしみしみ給給たまへへえるるる方方かたぞぞぞなかりなかりなかりしかしかしかししし。。。
現代語訳
このように不思議なほどに人がとがめる香りに身がしみていらっしゃるのを、兵部卿の宮(匂宮)は、他のことよりも競争心を燃やしてお思いになって、自分はわざわざあらゆる優れた香を焚きしめなさり、朝夕の仕事として薫物を調合することに励み、御前の前栽にも、春は梅の花園を眺めなさり、秋は、世の人が愛でる女郎花や、牡鹿が妻として住むという萩の露にも、ほとんどお心をお移しにならず、老いを忘れるという菊や、衰えてゆく藤袴、見栄えのしない吾亦紅などは、たいそう殺風景な霜枯れの頃までお捨てにならないなど、ことさらに香りを愛でる好みを立てて、風流に暮らしていらっしゃった。このようなわけで、少しなよなよと柔らかすぎて、色好みの方面に引かれていらっしゃると、世の人はお思い申し上げていた。昔の源氏は、すべてこのように、それと一つのことに偏って、変わった凝り方をなさる方面はなかったのだよ。
意訳
匂宮は薫の芳香に対抗して、優れた香を焚きしめ、香りのよい草花ばかりを愛でる。世の人は匂宮を色好みと見る。源氏はこのように一つのことに偏ることはなかった。
語釈・文法注
文法
- 「さをしかのつまにすめる萩」(さをしかのつまにすめる萩の露にも)
- 萩は鹿の妻とされた。和歌の伝統的な取り合わせ。
- 「老を忘るゝ菊」(老を忘るゝ菊に)
- 菊は長寿の花とされ、菊の露を飲めば老いを忘れるという。
- 「われもかう」(ものげなきわれもかう)
- 吾亦紅。香りのある草として愛でられた。
解説
匂宮は、生まれつき芳香を持つ薫に対抗して、人工的に香りをまとう。「匂」と「薫」という二人の名の由来が、ここで明かされる。生まれ持った香りと、努力して得た香りの対比は、二人の性格の違いを象徴している。
語り手は、源氏はこのように一つのことに偏ることはなかったと言う。源氏の完全さと比べて、匂宮も薫も、どこか偏りのある人物として描かれる。それが宇治十帖の人物たちの人間らしさでもある。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、844–845頁(コマ133)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日