源氏物語 第42帖 匂宮(3)
六条院の人々のその後
源氏が亡くなった後、六条院に集まっていた女君たちは泣く泣く最後の住まいへそれぞれ移っていった。花散里は東の院を遺産として譲られてそこへ移った。入道の宮(女三の宮)は三条の宮に住む。今后(明石の中宮)は宮中にばかりいるので、六条院の中は寂しく人少なになったのを、右大臣(夕霧)は、他人の例として昔の例を見聞きするにつけても、生きている間に心を込めて造り上げた家が、跡形もなく打ち捨てられて、世の習いも無常に見えるのはしみじみとはかなさを知らされるので、自分が生きている限りは、この院を荒らさず、周りの大路なども人影が絶えないようにと言って、丑寅の町に一条の宮(落葉の宮)を移して、三条殿(雲居の雁)と一晩おきに十五日ずつきちんと通い住む。二条院として磨き上げた邸も、六条院の春の御殿として世に評判だった玉の台も、ただ一人の子孫(明石の中宮)のためだったと見えて、明石の御方は大勢の宮たちの後見をしながら世話をしている。
- 1院院いんかくれかくれかくれ給給たまひひいててて後後のちさまざまさまざまさまざま集集つどひひい給給たまへへえりりりししし御御おん方方かた々々がたなくなくなくなくなくなく遂遂ついにににおはすおはすおわすべきべきべきすみかすみかすみかどもどもどもにににおのおのおのおのおのおのうつろひうつろひうつろい給給たまひひいしししににに花花はな散散ちる里里さとととと聞聞きこえええしししははは東東ひんがしののの院院いんをををぞぞぞ御御おんそうぶんそうぶんそうぶんののの所所ところにてにてにて渡渡わたりりり給給たまひひいにににけるけるける。。。入入にゅう道道どうののの宮宮みやははは三三さん條條じょうののの宮宮みやにににおはしますおはしますおわします。。。いまいまいまきさききさききさきははは內內うちにににのみのみのみさぶらひさぶらひさぶらい給給たまへへえばばば、、、院院いんのののうちうちうちさびしくさびしくさびしく人人ひとずくなずくなずくなににになりなりなりにににけるけるけるををを、、、右右みぎのののおとゞおとゞおとど人人ひとのののうへうへうえにてにてにていにしへいにしへいにしえのののためしためしためしををを見見み聞聞きくくくにににももも生生いけけけるるるかぎりかぎりかぎりののの世世よににに心心こころををを留留とどめめめてててつくりつくりつくりしめしめしめたるたるたる人人ひとののの家家いえ居居いののの、、、名名な殘殘ごりなくなくなくうちうちうちすてすてすてられられられててて世世よのののならひならひならいももも常常つねなくなくなく見見みゆるゆるゆるはははいといといと哀哀あわれにににはかなさはかなさはかなさ知知しらららるゝるゝるるををを、、、我我わががが世世よにににあらあらあらむむんかぎりかぎりかぎりだにだにだに、、、このこのこの院院いんあらさあらさあらさずずずほとりほとりほとりののの大大おお路路じなどなどなどひとひとひとかげかげかげかれかれかれはつはつはつまじうまじうまじゅうとととおぼしおぼしおぼしののの給給のたまはせはせわせててて、、、丑丑うし寅寅とらののの町町まちにににかのかのかの一一いち條條じょうののの宮宮みやををを渡渡わたししし奉奉たてまつらららせせせ給給たまひひいてててなむなむなん、、、三三さん條條じょう殿殿どのととと夜夜よごとごとごとににに十十じゅう五五ご日日にちづゝづゝずつうるはしううるはしううるわしゅう通通かよひひい住住すみみみ給給たまひひいけるけるける二二に條條じょう院院いんとてとてとてつくりつくりつくりみがきみがきみがき六六ろく條條じょう院院いんののの春春はるのののおとゞおとゞおとどとてとてとて世世よにににのゝしりのゝしりののしりししし玉玉たまのののうてなうてなうてなももも唯唯ただ一一ひと人人りののの御御おん末末すえのののためためためなりなりなりけりけりけりととと見見みえええててて、、、明明あか石石しののの御御おん方方かたはははあまたあまたあまたののの宮宮みや達達たちののの御御おんうしろみうしろみうしろみをををしししつゝつゝつつあつかひあつかひあつかい聞聞きこえええ給給たまへへえりりり
現代語訳
院(源氏)がお隠れになった後、さまざまに六条院に集まっていらっしゃった御方々は、泣く泣く最後にお住みになるはずの住まいに、それぞれ移っていかれたが、花散里と申し上げた方は、東の院を遺産としてお譲りを受けた所として、お移りになった。入道の宮(女三の宮)は三条の宮にお住まいである。今后(明石の中宮)は宮中にばかりお仕えしていらっしゃるので、院の中は寂しく人少なになってしまったのを、右大臣(夕霧)は、他人の身の上として昔の例を見聞きするにつけても、生きている限りの世に心をとどめて造り上げた人の住まいが、跡形もなく打ち捨てられて、世の習いも無常に見えるのは、たいそうしみじみとはかなさを知らされるので、自分が生きている限りだけでも、この院を荒らさず、周りの大路なども人影が絶えてしまわないようにとお思いになりおっしゃって、丑寅の町に、あの一条の宮(落葉の宮)をお移し申し上げなさって、三条殿(雲居の雁)と、一晩おきに十五日ずつきちんと通い住みなさったのだった。二条院として造り磨き、六条院の春の御殿として世に評判だった玉の台も、ただお一人のご子孫(明石の中宮)のためだったのだと見えて、明石の御方は、大勢の宮たちのご後見をしながらお世話申し上げていらっしゃった。
意訳
源氏亡き後、女君たちは六条院を去り、院は寂しくなった。夕霧は院を荒らすまいと、落葉の宮を移して雲居の雁と半月ずつ通う。明石の御方は孫の宮たちの世話をしている。
語釈・文法注
文法
- 「そうぶん」(御そうぶんの所にて)
- 処分。遺産の分配。
- 「夜ごとに十五日づゝ」(三條殿と夜ごとに十五日づゝ)
- 一晩おきに、それぞれの所で十五日ずつ。月の半分ずつ公平に通うこと。
- 「唯一人の御末」(唯一人の御末のためなりけり)
- 源氏の唯一の娘、明石の中宮とその子孫。
解説
源氏が築いた六条院は、主を失って寂しくなった。夕霧は院を守ろうと、落葉の宮を移り住ませ、雲居の雁と公平に通う。夕霧巻での争いの後、ようやく落ち着いた夕霧の家庭の姿が見える。
栄華を極めた二条院も六条院も、結局は明石の中宮の子孫のためにあった。明石の一族が、源氏の栄華を受け継いだのである。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、840–841頁(コマ131)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日