源氏物語 第34帖 若菜上(46)
入道の願文
源氏は入道の手紙を手に取り、たいそう立派で、まだ耄碌していない、筆跡も何もかも見事な人だったが、ただこの世の処世の心得だけが足りなかった、先祖の大臣は賢かったが、過ちがあってその報いで子孫が絶えたと人は言っていたが、女の筋とはいえ跡継ぎがないとは言えないのは、長年の修行の功徳だろうと、涙をぬぐう。夢の話に目をとめ、入道が身分不相応な高い志を抱き、自分も明石の君と結ばれたのは、深い因縁だったと思い知る。自分が須磨や明石でさまよったのも、この姫君一人のためだったのだと思い、どんな願を立てたのかと、心の中で拝んで受け取る。そして女御に、昔のことを知っても、紫の上の心をおろそかに思ってはいけない、継子をわが子同様に深く愛する人は少ない、紫の上こそ心に癖がなく、おおらかな人だと言う。明石の君には、ほかの人のことが思いやられる。

- 1とりとりとり給給たまひひいててて「「「いといといとかしこくかしこくかしこく猶猶なおほれぼれしからほれぼれしからほれぼれしからずずずこそこそこそあるあるあるべけれべけれべけれ。。。手手てなどなどなどもももすべてすべてすべて何事何事なにごともももわざとわざとわざというそくいうそくいうそくにににまつまつまつべかりべかりべかりけるけるける人人ひとののの、、、唯唯ただこのこのこの世世よなるなるなる方方かたののの心心こころおきておきておきてこそこそこそすくなかりすくなかりすくなかりけれけれけれ。。。かのかのかの先先せん祖祖ぞのののおとゞおとゞおとどはははいといといと賢賢かしこくくくありがたきありがたきありがたき志志こころざしををを盡盡つくしししててておほやけおほやけおおやけににに仕仕つかうまつりうまつりうまつり給給たまひひいけるけるける程程ほどににに、、、ものものものゝゝのたがひめたがひめたがいめありありありてててそのそのそのむくいむくいむくいにににかくかくかく末末すえはははなきなきなきなりなりなりなどなどなど人人ひといふいふいうめりめりめりしししををを、、、女女おんな子子ごののの方方かたにににつけつけつけたれたれたれどどど、、、かくかくかくててていといといとつぎつぎつぎなしなしなしととといふいふいうべきべきべきにににはははあらあらあらぬぬぬもももそこらそこらそこらのののおこなひおこなひおこないのののしるししるししるしにににこそこそこそあらあらあらめめめ」」」などなどなど淚淚なみだおしおしおしのごひのごひのごい給給たまひひいつゝつゝつつ、、、このこのこの夢夢ゆめのののわたりわたりわたりににに目目めとゞめとゞめとどめ給給たまふふう。。。怪怪あやしくしくしくひがひがしくひがひがしくひがひがしくすゞろすゞろすずろににに高高たかききき志志こころざしありありありととと人人ひともももとがめとがめとがめ、、、またまたまたわれわれわれながらながらながらもももさるさるさるまじきまじきまじきふるまひふるまひふるまいをををかりかりかりにてにてにてもももするするするかなかなかなととと思思おもひひいしししことことことははは、、、このこのこの君君きみののの生生うまれれれ給給たまひひいししし時時ときににに契契ちぎり深深ふかくくく思思おもひひい知知しりりりにににしかしかしかどどど、、、目目めののの前前まえににに見見みえええぬぬぬあなたあなたあなたのののことことことははは、、、覺覺おぼ束束つかなくなくなくこそこそこそ思思おもひひい渡渡わたりりりつれつれつれ、、、さらばさらばさらばかゝるかゝるかかるたのみたのみたのみありありありてててあながちあながちあながちにににははは望望のぞみみみしししなりなりなりけりけりけり、、、よこよこよこさまさまさまにににいみじきいみじきいみじきめめめををを見見み漂漂ただよひひいしししもももこのこのこの人人ひとひとりひとりひとりのののためためためにににこそこそこそありありありけれけれけれ、、、いかなるいかなるいかなるぐわんぐわんがんをををかかか心心こころににに起起おこしししけむけむけんとととゆかしけれゆかしけれゆかしければばば、、、心心こころののの內內うちににに拜拜おがみみみてててとりとりとり給給たまひひいつつつ。。。これこれこれははは又又また具具ぐしししててて奉奉たてまつるるるべきべきべきものものもの侍侍はべりりり。。。今今いま又又また聞聞きこえええ知知しらせらせらせ侍侍はべらららむむん」」」ととと女御女御にょうごにににははは聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
- 2そのそのそのついでついでついでににに「「「今今いまはははかくかくかくいにしへいにしへいにしえののの事事ことをををもももたどりたどりたどり知知しりりり給給たまひひいぬれぬれぬれどどど、、、あなたあなたあなたののの御御おん心心こころばへばへばえをををおろかおろかおろかににに覺覺おぼしししなすなすなすななな。。。もとよりもとよりもとよりさるべきさるべきさるべき中中なかえええさらさらさらぬぬぬむつびむつびむつびよりよりよりももも橫橫よこざまざまざまのののなげなげなげののの哀哀あわれをををもももかけかけかけ、、、ひとひとひとことことことののの心心こころよせよせよせあるあるあるはははおぼろげおぼろげおぼろげのののことことことにににもももあらあらあらずずず。。。ましてましてましてこゝこゝここににになどなどなどさぶらひさぶらひさぶらいなれなれなれ給給たまふふうををを、、、みるみるみるみるみるみるももも初初はじめめめののの志志こころざしかはらかはらかわらずずず深深ふかくくくねんごろねんごろねんごろににに思思おもひひい聞聞きこえええたるたるたるををを、、、いにしへいにしへいにしえののの世世よのののたとへたとへたとえにににもももさささこそこそこそはははうはべうはべうわべにににははははぐゝみげはぐゝみげはぐくみげなれなれなれどどど、、、らうらうしきらうらうしきろうろうしきたどりたどりたどりあらあらあらむむんもももかしこきかしこきかしこきやうやうようなれなれなれどどど、、、猶猶なおあやまりあやまりあやまりてててももも我我わがががためためためしたしたしたののの心心こころゆがみゆがみゆがみたらたらたらむむん人人ひとををを、、、さささももも思思おもひひいよらよらよらずずずうらうらうらなからなからなからむむんためためためははは引引ひききき返返かえししし哀哀あわれにににいかでいかでいかでかゝるかゝるかかるにににはははととと、、、罪罪つみ得得えがましきがましきがましきにににももも思思おもひひいなほるなほるなおる事事こともももあるあるあるべしべしべし。。。おぼろげおぼろげおぼろげののの昔昔むかしののの世世よのののあだあだあだならならならぬぬぬ人人ひとははは違違たがふふうふしぶしふしぶしふしぶしもももあれあれあれどどど、、、ひとりひとりひとりひとりひとりひとり罪罪つみなきなきなき時時ときにににはははおのづからおのづからおのずからもてもてもてなほすなほすなおすためしためしためしともともともあるあるあるべかめりべかめりべかめり。。。さしもさしもさしもあるあるあるまじきまじきまじきことことことにににかどかどしくかどかどしくかどかどしく癖癖くせをををつけつけつけ、、、あいきやうあいきやうあいきょうなくなくなく人人ひとをををもてもてもてはなるゝはなるゝはなるる心心こころあるあるあるはははいといといと打打うちちち解解とけけけがたくがたくがたく思思おもひひいくまくまくまなきなきなきわざわざわざににになむなむなんあるあるあるべきべきべき。。。
- 3多多おおくくくはははあらあらあらねねねどどど人人ひとののの心心こころのののとととあるあるあるさまさまさまかゝるかゝるかかるおもむきおもむきおもむきををを見見みるるるににに、、、ゆゑゆゑゆえよしよしよしととといひいひいいさまざまさまざまさまざまににに口惜口惜くちおしからしからしからぬぬぬきはきはきわののの、、、心心こころばせばせばせあるあるあるべかめりべかめりべかめり。。。皆皆みなおのおのおのおのおのおの得得えたるたるたる方方かたありありありててて取取とるるる所所ところなくなくなくもももあらあらあらねねねどどど、、、又又またとりとりとりたてたてたてゝゝて我我わがががうしろみうしろみうしろみににに思思おもひひい、、、まめまめしくまめまめしくまめまめしく選選えらびびび思思おもははわむむんにににはははありがたきありがたきありがたきわざわざわざににになむなむなん、、、唯唯ただ誠誠まことののの心心こころのののくせくせくせなくなくなく、、、善善よききき事事ことはははこのこのこの對對たいをををのみのみのみなむなむなん、、、これこれこれをををぞぞぞおひらかおひらかおいらかなるなるなる人人ひとととといふいふいうべかりべかりべかりけるけるけるとととなむなむなん思思おもひひい侍侍はべるるる。。。よしよしよしとてとてとて又又またあまりあまりあまりひたゝけひたゝけひたたけててて賴賴たのもしげもしげもしげなきなきなきもももいといといと口惜口惜くちおしやしやしや」」」とととばかりばかりばかりののの給給のたまふふうににに、、、かたへかたへかたえののの人人ひとははは思思おもひやらひやらいやられれれぬぬぬかしかしかし。。。
現代語訳
源氏は手紙を手にお取りになって、「たいそう立派で、やはり耄碌などしていないのだね。筆跡なども、すべて何事も、ことさら有職の人に引けをとらないような人だったが、ただこの世の処世の方面の心構えだけが足りなかったのだ。あの先祖の大臣は、たいそう賢く、めったにない誠意を尽くして朝廷にお仕えなさっていたうちに、何かの行き違いがあって、その報いでこのように子孫が絶えたのだなどと人は言っていたようだが、女の子の方ではあるけれど、こうしてまったく跡継ぎがないと言うべきではないのも、長年の修行の功徳なのだろう」などと、涙をぬぐいなさりながら、この夢のあたりに目をとめなさる。「入道が妙にひねくれて、わけもなく高い望みを抱いていると人も非難し、また自分でも、あってはならない振る舞いを、かりそめにもするものだなあと思ったことは、この君(女御)がお生まれになった時に、深い因縁があったのだと思い知ったけれど、目の前に見えない将来のことは、はっきりしないと思い続けていた。それでは、このような頼みがあって、むやみに望んだのだったのだ。自分が理不尽にひどい目にあってさまよったのも、この人一人のためだったのだ。どのような願を心に起こしたのだろう」と知りたいので、心の中で拝んでお受け取りになった。「これはまた、添えて差し上げるべきものがございます。今にまたお話し申し上げましょう」と、女御には申し上げなさる。
そのついでに、「今はこのように昔のことをもたどってお知りになったけれど、あちらの方(紫の上)のお心を、おろそかにお思いになってはいけない。もともと、そうあるべき仲の、避けられない親しさよりも、関係のない人がかりそめの情けをかけ、一言でも好意を寄せるのは、並々のことではない。まして、ここであなたがずっとお仕えしていらっしゃるのを、見ていても、初めの気持ちが変わらず、深く心をこめてお思い申し上げているのだから。昔の世の例でも、そのように表面ではかわいがっているようでも、賢い思慮があるのも立派なようだが、やはり、まかり間違っても、自分に対して下心がゆがんでいるような継母を、そうとも思わず、隔てなく慕うような継子のためには、かえってしみじみと、どうしてこのような子にはと、罪作りなことだと思い直すこともあるだろう。並々でない前世からの縁のある人は、食い違う点もあっても、どちらにも罪がない時には、自然と直していく例もあるだろう。それほどでもないことに角を立てて癖をつけ、愛想なく人を遠ざける心のある人は、たいそう打ち解けにくく、思いやりのないことであろう。
多くはないけれど、人の心のさまざまなありさまや傾向を見ると、教養や由緒があるといって、さまざまに悪くはない身分の人には、それなりの心ばえがあるようだ。皆それぞれ得意なところがあって、取り柄がないわけでもないけれど、また取り立てて自分の後見と思い、まじめに選び思うとなると、めったにいないものだ。ただ本当に心に癖がなく、よい人は、この対の人(紫の上)だけで、この人こそおおらかな人と言うべきだったのだと思っております。よいからといって、またあまりにしまりがなく、頼りなさそうなのも、たいそう残念なことだ」とだけおっしゃるので、ほかの人(女三の宮)のことが思いやられることであるよ。
意訳
源氏は入道の手紙を読んで、入道の宿願と自分の須磨・明石での苦難が、この姫君一人のためだったと思い知る。
源氏は女御に、紫の上の深い心をおろそかに思わないように言い、紫の上こそ癖のないおおらかな人だとたたえる。
語釈・文法注
文法
- 「いうそく」(わざというそくにまつべかりける人)
- 有職。学問や故実に通じた人。入道はそうした人にも引けをとらない才能があったということ。
- 「よこさま」(よこさまにいみじきめを見漂ひしも)
- 横様。理不尽なこと、思いがけないこと。源氏の須磨・明石への流離をいう。
- 「ひたたく」(あまりひたゝけて賴もしげなきも)
- だらしない、しまりがない。女三の宮のことを暗にいう。
解説
源氏は、自分の須磨・明石での流離も「この人ひとりのためにこそありけれ」と思い至る。かつての苦難が、明石の女御の誕生と、皇統につながる若宮の誕生という形で意味づけられる。源氏の人生が、入道の夢という大きな運命の中に組み込まれていたことが明かされる、重要な場面である。
源氏が女御に紫の上の徳を説くのは、継母と継子の関係が難しいことをよく知っているからである。源氏の最後の言葉「あまりひたゝけて賴もしげなきもいと口惜しや」は、女三の宮への失望を暗にもらしたものであり、語り手は「かたへの人は思ひやられぬかし」と、それをそっと示している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、640–641頁(コマ31)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日