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源氏物語 第34帖 若菜上(45)

源氏と明石の君

登場人物:光源氏・明石の君・明石の女御・明石の入道

源氏が女三の宮の部屋から、中の襖を通ってふいに来たので、女御たちは文箱を隠せず、明石の君は几帳を引き寄せて身を隠す。源氏が若宮のことを尋ねると、明石の君は対(紫の上)に移したと答える。源氏は、紫の上が若宮を独り占めして衣も濡らしているだろう、こちらで見ればよいのにと言う。明石の君は、女の子でもあちらで育てるのがよいのに、男の子ならなおさらだ、隔てがましいことを言わないでほしいと言う。源氏は笑い、明石の君が隠れて自分を悪く言うと冗談を言い、几帳を引きのける。明石の君は柱に寄りかかり、美しく気品のある様子でいる。源氏が文箱を見とがめて、恋人の長歌のようだとからかうと、明石の君は、入道からの祈祷の巻数と、まだ果たしていない願文だと打ち明ける。源氏は、入道はどれほど修行を積んでいることか、世の賢い人々よりも深い人だった、気軽な身なら会いたいものだと言う。入道が人里離れた山に入ったと聞くと、源氏は、それが遺言なのか、尼君はどう思っているかと涙ぐむ。明石の君は、夢の話も思い合わせることがあるかと、梵字のような筆跡の手紙を差し出し、上品に泣く。

六条院の寝殿で、入道の文箱をそばに置いた明石の君が源氏と語り合っている場面(AI生成)
六条院の寝殿で、入道の文箱をそばに置いた明石の君が源氏と語り合っている場面
  1. 1院ゐん院ゐんいんははは姫ひめ姫ひめひめ宮みや宮みやみやののの御おん御おんおん方かた方かたかたにににおはしおはしおわしけるけるけるををを、、、中なか中なかなかののの御おん御おんおんさうじさうじそうじよりよりよりふとふとふと渡わた渡わたわたりりり給たま給たまたまへへえれれればばばえええしもしもしもひきひきひきかくさかくさかくさででで御み御みみ几き几きき帳ちやう帳ちやうちょうををを少すこ少すこすこしししひきひきひきよせよせよせてててみづからみづからみずからははははたはたはたかくれかくれかくれ給たま給たまたまへへえりりり。。。「「「若わか若わかわか宮みや宮みやみやははは驚おどろ驚おどろおどろききき給たま給たまたまへへえりりりややや。。。時とき時ときときののの間ま間ままももも戀こひ戀こひこいしきしきしきわざわざわざなりなりなりけりけりけり」」」ととと聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまへへえばばば御み御みみ息やす息やすやす所どころ所どころどころはははいらへいらへいらえももも聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまははわねねねばばば、、、御おん御おんおん方かた方かたかた「「「對たい對たいたいににに渡わた渡わたわたししし聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまひひいつつつ」」」ととと聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふう。。。「「「いといといとあやしあやしあやしややや、、、あなたあなたあなたにににこのこのこの宮みや宮みやみやをををらうじらうじろうじ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりてててふところふところふところををを更さら更さらさらににに放はな放はなはなたたたずずずもてもてもてあつかひあつかひあつかい、、、人ひと人ひとひとやりやりやりならならならずずずきぬきぬきぬももも皆みな皆みなみな濡ぬら濡ぬらぬらしししてててぬぎぬぎぬぎかへかへかえがちがちがちなめるなめるなめる、、、かろがろしくかろがろしくかろがろしくなどなどなどかくかくかく渡わた渡わたわたししし奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまふふう。。。こなたこなたこなたににに渡わた渡わたわたりりりてててこそこそこそ見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまははわめめめ」」」とととののの給のたま給のたまのたまへへえばばば「「「いといといとうたてうたてうたて思おも思おもおもひひいぐまぐまぐまなきなきなき御おん御おんおん事こと事ことことかなかなかな。。。女をんな女をんなおんなにににおはしまさおはしまさおわしまさむむんだにだにだにあなたあなたあなたにてにてにて見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり給たま給たまたまははわむむんこそこそこそよくよくよく侍はべ侍はべはべらららめめめ。。。ましてましてまして男をとこ男をとこおとこははは限かぎり限かぎりかぎりなしなしなしととと聞きこ聞きこきこえええさすれさすれさすれどどど心こころ心こころこころやすくやすくやすく覺おぼ覺おぼおぼえええ給たま給たまたまふふうををを、、、たはぶれたはぶれたわぶれにてにてにてもももかやうかやうかようににに隔へだ隔へだへだてててがましきがましきがましきことことことなななさかしがりさかしがりさかしがり聞きこ聞きこきこえええさせさせさせ給たま給たまたまひひいそそそ」」」ととと聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふう。。。
  2. 2打う打ううちちち笑わら笑わらわらひひいててて「「「御おん御おんおん中なか中なかなかともともともにににまかせまかせまかせててて見み見みみ放はな放はなはなちちち聞きこ聞きこきこゆゆゆべきべきべきなななゝりゝりなりななな。。。隔へだ隔へだへだてててゝゝて今いま今いまいまはははたれたれたれもももたれたれたれもももさしさしさし放はな放はなはなちちちさかしらさかしらさかしらなどなどなどのたまふのたまふのたまうこそこそこそをさなけれをさなけれおさなけれまづまづまずはははかやうかやうかようにににはひはひはいかくれかくれかくれてててつれなくつれなくつれなくいひいひいいおとしおとしおとし給たま給たまたまふふうめりめりめりかしかしかし」」」とてとてとて御み御みみ几き几きき帳ちやう帳ちやうちょうをををひきひきひきやりやりやり給たま給たまたまへへえれれればばばもやもやもやののの柱はしら柱はしらはしらににによりよりよりかゝりかゝりかかりててていといといと淸きよ淸きよきよげげげににに心こころ心こころこころはづかしげはづかしげわずかしげなるなるなるさまさまさましししてててものしものしものし給たま給たまたまふふう。。。ありありありつるつるつる箱はこ箱はこはこももも惑まど惑まどまどひひいかくさかくさかくさむむんもももさまさまさまあしけれあしけれあしければばばさてさてさておはするおはするおわするををを「「「なそなそなそののの箱はこ箱はこはこぞぞぞ深ふか深ふかふかききき心こころ心こころこころあらあらあらむむんけさうけさうけそう人びと人びとびとののの長なが長ながなが歌うた歌うたうた詠よ詠よよみみみてててふんじふんじふんじこめこめこめたるたるたる心地ここち心地ここちここちこそこそこそすれすれすれ」」」とととのたまへのたまへのたまえばばば「「「あなあなあなうたてうたてうたてややや今いま今いまいまめかしくめかしくめかしくなりなりなりかへらかへらかえらせせせ給たま給たまたまふふうめるめるめる御心みこころ御心みこころみこころならひならひならいににに聞き聞ききききき知し知ししらららぬぬぬやうやうようなるなるなる御おん御おんおんすさびすさびすさびごとごとごともももこそこそこそ時とき時ときとき々どき々どきどき出い出いいでででくれくれくれ」」」とてとてとてほゝゑみほゝゑみほほえみ給たま給たまたまへへえれれれどどど物もの物ものもの哀あはれ哀あはれあわれなりなりなりけるけるける御おん御おんおん氣色けしき氣色けしきけしきどもどもどもしるけれしるけれしるければばば、、、あやしあやしあやしとととうちうちうちかたぶきかたぶきかたぶき給たま給たまたまへへえるるるさまさまさまなれなれなればばば煩わづら煩わづらわずらしくしくしくててて「「「かのかのかの明あか明あかあか石し石ししののの岩いは岩いはいわ屋や屋ややよりよりより忍しの忍しのしのびびびててて侍はべ侍はべはべりりりししし御おん御おんおんいのりいのりいのりののの卷くわん卷くわんかんじゆじゆじゅ又また又またまたまだしきまだしきまだしきぐわんぐわんがんなどなどなどののの侍はべ侍はべはべりりりけるけるけるををを御心みこころ御心みこころみこころにににももも知し知ししらせらせらせ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるるべきべきべきをりをりおりあらあらあらばばば御覽ごらん御覽ごらんごらんじじじ置お置おおくくくべきべきべきやややとてとてとて侍はべ侍はべはべるるるををを只たゞ只たゞただ今いま今いまいまはははついでついでついでなくなくなくててて何なに何なになににににかはかはかはあけあけあけさせさせさせ給たま給たまたまははわむむん」」」ととと聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふうににに、、、
  3. 3實げ實げげににに哀あはれ哀あはれあわれなるなるなるべきべきべき有樣ありさま有樣ありさまありさまぞぞぞかしかしかしとととおぼしおぼしおぼしててて「「「いかにいかにいかに行おこな行おこなおこなひひいましましましててて住す住すすみみみ給たま給たまたまひひいにににたらたらたらむむん。。。命いのち命いのちいのち長なが長ながながくくくてててこゝらこゝらここらのののとしとしとしごろごろごろつとむるつとむるつとむる罪つみ罪つみつみもももこよなからこよなからこよなからむむんかしかしかし。。。世よ世よよののの中なか中なかなかににによしよしよしあるあるあるさかしきさかしきさかしき方かた方かたかた々がた々がたがたののの人ひと人ひとひととてとてとて見み見みみるるるにににももも、、、このこのこの世よ世よよにににそみそみそみたるたるたる程ほど程ほどほどのののにごりにごりにごり深ふか深ふかふかきききにににやややあらあらあらむむん、、、かしこきかしこきかしこき方かた方かたかたこそこそこそあれあれあれ、、、いといといとかぎりかぎりかぎりありありありつゝつゝつつ及およ及およおよばばばざりざりざりけりけりけりややや。。。さもさもさもいたりいたりいたり深ふか深ふかふかくくくさすがにさすがにさすがに氣色けしき氣色けしきけしきありありありししし人ひと人ひとひとののの有樣ありさま有樣ありさまありさまかなかなかな。。。ひじりひじりひじりだちだちだちこのこのこの世よ世よよ離はな離はなはなれれれがほがほがおにににもももあらあらあらぬぬぬものものものからからから、、、したしたしたののの心こころ心こころこころははは皆みな皆みなみなあらあらあらぬぬぬ世よ世よよにににかよひかよひかよい住す住すすみみみ渡わた渡わたわたるるるとととこそこそこそ見み見みみえええしかしかしかましてましてまして今いま今いまいまははは心苦こころぐる心苦こころぐるこころぐるしきしきしきほだしほだしほだしもももなくなくなく思おも思おもおもひひい離はな離はなはなれれれにににたらたらたらむむんをををややや。。。かやすきかやすきかやすき身み身みみならならならばばば忍しの忍しのしのびびびててていといといとあはあはあわまほしくまほしくまほしくこそこそこそ」」」とととののの給のたま給のたまのたまふふう。。。「「「今いま今いまいまはははかのかのかの侍はべ侍はべはべりりりししし所ところ所ところところをををもももすてすてすて鳥とり鳥とりとりののの音ね音ねね聞きこ聞きこきこえええぬぬぬ山やま山やまやまにににとととなむなむなん聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべるるる」」」ととと聞きこ聞きこきこゆれゆれゆればばば「「「さらばさらばさらばそのそのその遺ゆい遺ゆいゆい言ごん言ごんごんななななりなりなりななな、、、せうそこせうそこしょうそこはははかよはしかよはしかよわし給たま給たまたまふふうややや。。。尼あま尼あまあま君ぎみ君ぎみぎみいかにいかにいかに思おも思おもおもひひい給たま給たまたまふふうらむらむらん。。。親おや親おやおや子こ子ここののの中なか中なかなかよりよりよりももも又また又またまたさるさるさるさまさまさまののの契ちぎり契ちぎりちぎりははは殊こと殊ことことにににこそこそこそ添そ添そそふふうべけれべけれべけれ」」」とてとてとて打う打ううちちち淚なみだ淚なみだなみだぐみぐみぐみ給たま給たまたまへへえりりり。。。
  4. 4「「「年とし年としとしのののつもりつもりつもりににに世よ世よよののの中なか中なかなかののの有樣ありさま有樣ありさまありさまをををとかくとかくとかく思おも思おもおもひひい知し知ししりりり行ゆ行ゆゆくくくまゝまゝままににに、、、怪あや怪あやあやしくしくしく戀こひ戀こひこいしくしくしく思おも思おもおもひひい出い出いいでででらるゝらるゝらるる人ひと人ひとひとののの御おん御おんおん有樣ありさま有樣ありさまありさまなれなれなればばば、、、深ふか深ふかふかききき契ちぎり契ちぎりちぎりのののなからひなからひなからいはははいかにいかにいかに哀あはれ哀あはれあわれならならならむむん」」」などなどなどのたまふのたまふのたまう序ついで序ついでついでににに「「「このこのこの夢ゆめ夢ゆめゆめがたりがたりがたりもももおぼしおぼしおぼし合あは合あはあわするするすることことこともももやややととと思おも思おもおもひひいててていといといと怪あや怪あやあやしきしきしき梵ぼん梵ぼんぼん字じ字じじとととかかかいふいふいうやうやうようなるなるなるあとあとあとににに侍はべ侍はべはべるるるめれめれめれどどど、、、御覽ごらん御覽ごらんごらんじじじ留とど留とどとどむむむべきべきべきふしふしふしもももやややまじりまじりまじり侍はべ侍はべはべるるるとてとてとてなむなむなん。。。今いま今いまいまはははとてとてとて別わか別わかわかれれれにににしかしかしかどもどもども、、、猶なほ猶なほなおこそこそこそ哀あはれ哀あはれあわれははは殘のこ殘のこのこりりり侍はべ侍はべはべるるるものものものなりなりなりけれけれけれ」」」とてとてとて、、、さまさまさまよくよくよく打う打ううちちち泣な泣ななききき給たま給たまたまふふう。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

院(源氏)は姫宮の御方にいらっしゃったが、中の御襖からふいにお越しになったので、文箱をうまく隠すこともできず、御几帳を少し引き寄せて、ご自身は身をお隠しになった。源氏が、「若宮は目をお覚ましになったか。わずかの間も恋しいものだね」と申し上げなさると、御息所(女御)はお返事も申し上げなさらないので、御方(明石の君)が、「対(紫の上)の方にお移し申し上げなさいました」と申し上げなさる。源氏は、「まったく妙なことだ。あちらでこの宮を独り占めして、懐から少しも放さずにお世話して、自分から好んで、衣も皆濡らして脱ぎ替えてばかりいるようだ。軽々しくどうしてこのようにお渡し申し上げなさるのか。こちらに来てこそ拝見なさればよいのに」とおっしゃると、明石の君は、「たいそうひどい、思いやりのないお言葉ですこと。女宮でいらっしゃっても、あちらで拝見なさるのがよろしいでしょう。まして男宮は、この上なく尊いと申し上げますが、気楽にお思いになっているのですから、冗談にでも、このように隔てがましいことを賢しげにおっしゃいますな」と申し上げなさる。

源氏はお笑いになって、「お二人の仲に任せて、私は見放し申し上げるべきだというのだね。隔てを置いて、今は誰も彼も私を突き放して、賢しげなことなどをおっしゃるのは子どもっぽい。まずは、このように物陰に隠れて、素知らぬ顔で私を悪く言いなさるようだね」と言って、御几帳を引きのけなさると、明石の君は母屋の柱に寄りかかって、たいそう美しく、こちらが気後れするほどの様子でいらっしゃる。さっきの文箱も、慌てて隠すのも体裁が悪いので、そのままにしていらっしゃるのを、源氏は、「何の箱だね。深い心のある恋人が長歌を詠んで封じ込めたような気がするよ」とおっしゃると、明石の君は、「まあ、いやですこと。当世風に若返りなさったようなお心の習いで、聞いてもわからないようなお戯れごとが、時々出てくるのですね」と言ってほほえみなさるけれど、しみじみとした様子が、お二人ともはっきりと見えるので、源氏が変だと首をかしげなさる様子なので、明石の君は面倒になって、「あの明石の岩屋から、ひそかに送ってまいりました御祈祷の巻数や、またまだ果たしていない願文などがございましたのを、院のお心にもお知らせ申し上げるべき折があったら、ご覧おきいただくべきかと思いまして。今はその機会もなくて、どうしてお開けになることがありましょう」と申し上げなさると、

源氏は、なるほどしみじみとするはずのことだとお思いになって、「どれほど修行を積んで暮らしていらっしゃることだろう。長生きして、これほど多くの年月勤行してきたのだから、罪もすっかり消えているだろうよ。世の中に教養があって賢い方々として見る人々でも、この世に染まった濁りが深いのであろうか、賢い方面はあっても、たいそう限りがあって、入道には及ばないものだ。あれほど悟りが深く、それでいて風情もあった人の様子だったなあ。聖ぶって、この世を離れたような顔をしてもいなかったが、心の内では、皆来世に通って住んでいるように見えたものだ。まして今は、心苦しい妨げもなく、思い離れてしまったのだろうから。気軽な身分であったら、そっとたいそう会いたいものだ」とおっしゃる。明石の君が、「今は、あの住んでおりました所も捨てて、鳥の声も聞こえない山に入ったと聞いております」と申し上げると、源氏は、「それでは、それが遺言であるようだね。便りは交わしていらっしゃるのか。尼君はどんなにお思いになっているだろう。親子の仲よりも、また夫婦の契りは、格別に深いものであるはずだ」と言って、涙ぐみなさった。

「年を重ねて、世の中のありさまをあれこれと思い知っていくにつれて、不思議と恋しく思い出される人のご様子なので、深い契りを結んだ夫婦の仲は、どんなに悲しいことだろう」などとおっしゃるついでに、明石の君は、「この夢の話も、お思い合わせになることもあろうかと思いまして。たいそう妙な、梵字とかいうような筆跡でございますが、お目にとまるようなところもまじっているかと思いまして。もうこれまでと別れてしまいましたけれど、やはり悲しみは残るものでございますね」と言って、上品にお泣きになる。

意訳

源氏がふいに来て、紫の上が若宮を独り占めしていると冗談を言い、明石の君は紫の上を立てて答える。

源氏は入道の文箱を見とがめ、入道の深い人柄をたたえて涙ぐみ、明石の君は入道の手紙を差し出す。

語釈・文法注

文法

「ななり」(さらばその遺言ななりな)
断定の「なる」+推定の「なり」の「なるなり」が撥音便「なんなり」となり、「ん」が表記されない形。「それが遺言であるようだね」。
懸念の「もこそ」(御すさびごとこそ時々出でくれ)
「…するといけない」という懸念を表す「もこそ」の形。ここでは「お戯れごとが時々出てくるのが困ります」。
「卷じゆ」(御いのりの卷じゆ)
巻数。祈祷のために読んだ経典の名や回数を記して、依頼者に送る文書。

解説

源氏が紫の上の若宮へのかわいがりようをからかうと、明石の君は「隔てがましきことなさかしがり聞えさせ給ひそ」と、紫の上を立てて源氏をたしなめる。明石の君の言葉には、紫の上への感謝と、自らの立場をわきまえる慎み深さとが表れている。

源氏は入道を「さもいたり深くさすがに氣色ありし人」と評価し、会いたいと涙ぐむ。かつて須磨・明石で、入道の熱意に押されて明石の君と結ばれた源氏は、今その入道の宿願が皇統につながったことを知る。源氏と明石一族の深い縁が、改めて確かめられる場面である。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、638–641頁(コマ30–31)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日