源氏物語 第34帖 若菜上(42)
入道の入山
尼君への手紙は短く、今月の十四日に草庵を離れて深い山に入る、この身は熊や狼にでも施そう、あなたは思いどおりの御代を待っていなさい、極楽でまた会おうとだけある。尼君が使いの大徳に尋ねると、入道は手紙を書いてから三日目に、その山奥に移ったという。弟子たちは麓まで送ったが、皆帰され、僧一人と童二人だけを供にした。長年弾いてきた琴や琵琶を最後に弾いて仏に別れを告げ、御堂に施入し、そのほかの物も弟子たち六十余人に分け与え、残りを京への贈り物として送った。入道が雲霞の中に消えた後、悲しむ人々が多いと大徳は語る。この大徳も、童の頃に京から下ってきた人で、今は老法師となり、心細く思っている。仏の弟子でさえ、釈迦の入滅には迷いが深かったのだから、まして尼君の悲しみは限りない。

- 1尼尼あま君君ぎみにににはははことごとことごとことごとににに書書かかかかずずず。。。「「「唯唯ただこのこのこの月月つきののの十十じゅう四四よ日日かににになむなむなん草草くさのののいほりいほりいおり罷罷まかりりり離離はなれれれててて深深ふかききき山山やまににに入入いりりり侍侍はべりりりぬるぬるぬる。。。かひかひかいなきなきなき身身みをををばばば熊熊くま狼狼おおかみにににもももせしせしせし侍侍はべりりりなむなむなん。。。そこそこそこにににはははなほなほなおおもひおもひおもいしししやうやうようなるなるなる御御おん世世よををを待待まちちち出出いででで給給たまへへえ、、、あきらかあきらかあきらかなるなるなる所所ところにてにてにて又又また對對たい面面めんはははありありありなむなむなん」」」とととのみのみのみありありあり。。。尼尼あま君君ぎみこのこのこの文文ふみををを見見みてててかのかのかの使使つかいののの大大だいとことことこににに問問とへへへばばば、、、「「「このこのこの御御おん文文ふみ書書かききき給給たまひひいててて三三みっ日日かととといふいふいうににになむなむなんかのかのかの絕絕たえええたるたるたる峰峰みねにににうつろひうつろひうつろい給給たまひひいにににししし。。。なにがしなにがしなにがしらららもももかのかのかの御御おんおくりおくりおくりににに麓麓ふもとまでまでまではははさぶらひさぶらひさぶらいしかしかしかどどど、、、皆皆みなかへしかへしかへし給給たまひひいててて僧僧そう一一ひと人人り、、、わらはわらはわらわ二二ふた人人りなむなむなん御御おん供供ともにににさぶらはさぶらはさぶらわせせせ給給たまふふう。。。今今いまはははととと世世よををを背背そむききき給給たまひひいしししをりをりおりををを悲悲かなしきしきしきとぢめとぢめとじめととと思思おもううう給給たまへへえしかしかしかどどどのこりのこりのこり侍侍はべりりりけりけりけり。。。
- 2年年とし比比ごろおこなひおこなひおこないのののひまひまひまひまひまひまににによりよりよりふしふしふしながらながらながらかきかきかきならしならしならし給給たまひひいしししきんきんきんののの御御おん琴琴こと琵琵び琶琶わとりとりとりよせよせよせ給給たまひひいててて、、、かいかいかいしらべしらべしらべ給給たまひひいつゝつゝつつ佛佛ほとけにににまかりまかりまかり申申もうしししししし給給たまひひいてててなむなむなん御御み堂堂どうにににせにふせにふせにうししし給給たまひひいしししさらさらさらぬぬぬものものものどもどもどもゝゝも多多おおくくくははは奉奉たてまつりりり給給たまひひいててて、、、そのそのそののこりのこりのこりをををなむなむなん御御おん弟弟で子子しどもどもども六六ろく十十じゅう餘餘よ人人にんなむなむなん親親おやしきしきしきかぎりかぎりかぎりさぶらひさぶらひさぶらいけるけるける、、、ほどほどほどにににつけつけつけててて皆皆みなそぶんそぶんそぶんししし給給たまひひいててて、、、猶猶なおしししのこりのこりのこりをををなむなむなん京京きょうののの御御おん料料りょうとととててて送送おくりりり奉奉たてまつりりり給給たまへへえるるる。。。今今いまはははとてとてとてかきかきかき籠籠こもりりり遙遙はるけきけきけき山山やまののの雲雲くも霞霞かすみにににまじりまじりまじり給給たまひひいにににししし空空むなしきしきしき御御おん跡跡あとにににとまりとまりとまりててて、、、悲悲かなしびびび思思おもふふう人々人々ひとびとなむなむなん多多おおくくく侍侍はべるるる」」」などなどなど、、、このこのこの大大だいとことことこもももわらはわらはわらわにてにてにて京京きょうよりよりより下下くだりりりたりたりたりししし人人ひとののの老老ろう法法ほう師師しににになりなりなりてててとまれとまれとまれるるるいといといと哀哀あわれににに心心こころぼそしぼそしぼそしととと思思おもへへえりりり。。。佛佛ほとけののの御御おん弟弟で子子しのののさかしきさかしきさかしきひじりひじりひじりだにだにだに鷲鷲わしののの峯峯みねをををばばばたどたどしからたどたどしからたどたどしからずずず賴賴たのみみみ聞聞きこえええながらながらながら猶猶なお薪薪たきぎつきつきつきけるけるける世世よのののまどひまどひまどいははは深深ふかかりかりかりけるけるけるををを、、、ましてましてまして尼尼あま君君ぎみののの悲悲かなしししととと思思おもううう給給たまへへえるるることことことかぎりかぎりかぎりなしなしなし。。。
現代語訳
尼君には、細かくは書いていない。「ただ、この月の十四日に、草の庵を離れて深い山に入りました。かいのないこの身は、熊や狼にでも施しましょう。あなたはやはり、思っていたような御代を待ち受けてください。明らかな所(極楽)で、また対面はあるでしょう」とだけある。尼君がこの手紙を見て、あの使いの大徳に尋ねると、「このお手紙をお書きになって三日目に、あの人跡の絶えた峰にお移りになりました。私どもも、あのお見送りに麓まではお供いたしましたが、皆お帰しになって、僧一人と童二人だけをお供にお連れになりました。出家なさった時を、悲しい最後の別れと思っておりましたが、まだ悲しみは残っておりました。
長年、勤行の合間合間に、物に寄りかかりながら掻き鳴らしていらっしゃった琴の御琴や琵琶を取り寄せなさって、お弾きになりながら、仏にお暇乞いをなさって、御堂に施入なさいました。そのほかの物も多くは御堂に差し上げなさって、その残りを、御弟子たち六十余人の親しい者だけがお仕えしておりましたが、身分に応じて皆に分け与えなさって、なお残りを、京の御料として送り申し上げなさいました。今はこれまでと籠もって、遠い山の雲や霞に紛れておしまいになった、空しいお跡に残って、悲しく思う人々が多うございます」などと、この大徳も、童の頃に京から下ってきた人で、老法師になって残っている者なので、たいそうしみじみと心細いと思っている。仏の御弟子で賢い聖でさえ、釈迦が霊鷲山にいらっしゃることを疑いなく頼み申し上げながら、やはり薪の尽きた時(釈迦の入滅)の世の迷いは深かったのに、まして尼君の悲しくお思いになることは限りない。
意訳
入道は尼君には短い手紙を残し、手紙を書いた三日後に、僧一人と童二人だけを連れて深い山に入った。
入道は琴や琵琶を最後に弾いて仏に別れを告げ、財産を分け与えて去り、尼君の悲しみは限りない。
語釈・文法注
文法
- 「せし」(熊狼にもせし侍りなむ)
- 「施し」。熊や狼に施して、捨身の功徳を積もうということ。
- 「薪つきける」(猶薪つきける世のまどひは深かりける)
- 釈迦の入滅をいう。法華経の「薪尽きて火の滅するが如し」による。
- 「鷲の峯」(鷲の峯をばたどたどしからず賴み聞えながら)
- 霊鷲山。釈迦が法華経を説いた山。釈迦が常にそこにいるという信仰をいう。
解説
入道が琴と琵琶を最後に弾いて仏に別れを告げる姿は、明石の巻で源氏と琴を合わせた入道を思い起こさせる。入道は財産をすべて分け与え、わずかな供だけを連れて人跡の絶えた峰に去っていく。その最期は、俗世の栄華を娘に託し、自分は完全に仏道に生きるという、入道の生き方の完成である。
語り手は、仏の弟子でさえ釈迦の入滅には深く迷ったのだから、まして尼君の悲しみは限りないと結ぶ。夫婦として長い年月を共にし、ともに一族の宿願を担ってきた尼君にとって、入道との永遠の別れは耐えがたいものであった。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、634–635頁(コマ28)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日