源氏物語 第34帖 若菜上(39)
皇子誕生
三月十日過ぎ、明石の女御は無事に男御子を出産する。源氏も安心する。明石の町は人目につかない所で、盛大な産養の騒ぎは、尼君には「かひある浦」と見えるが、儀式には不向きなので、女御は寝殿に移ろうとする。紫の上も来て、白い装束で若宮を抱き、親らしくしている姿が美しい。自分では子を産んだことがないので、珍しくかわいいと思い、絶えず抱いている。明石の君は紫の上に任せて、湯殿の世話をする。七日の夜には帝からの産養があり、朱雀院の代わりのように、蔵人所から頭弁が宣旨を受けて奉仕する。秋好中宮をはじめ、親王や大臣たちも競って祝う。源氏も若宮を抱いて、夕霧の子はまだ見せてもらえないのに、このようなかわいい人を授かったと喜ぶ。若宮は日に日に成長する。明石の君の賢く謙虚なふるまいを誰もが褒め、紫の上も、今は若宮のおかげで明石の君と親しくなる。紫の上は子をかわいがる心で、天児などを手ずから作って世話をする。明石の尼君は、若宮を心ゆくまで見られないのを残念に思う。

- 1彌彌やよ生生いののの十十じゅう餘餘よ日日にちのののほどほどほどにににたひらかたひらかたいらかににに生生うまれれれ給給たまひひいぬぬぬ。。。かねてかねてかねてはははおどろおどろしくおどろおどろしくおどろおどろしくおぼしおぼしおぼし騷騷さわぎぎぎしかしかしかどどど痛痛いたくくく惱惱なやみみみ給給たまふふうことことこともももなくなくなくててて男男おとこ御御み子子こにににさへさへさへおはすれおはすれおわすればばば限限かぎりなくなくなくおぼすおぼすおぼすさまさまさまにてにてにておとゞおとゞおとどももも御心御心みこころおちゐおちゐおちい給給たまひひいぬぬぬ。。。此此こ方方なたはははかくれかくれかくれののの方方かたにてにてにて唯唯ただけぢかきけぢかきけじかき程程ほどなるなるなるににに、、、いかめしきいかめしきいかめしき御御おんうぶうぶうぶやしなひやしなひやしないなどなどなどのののうちうちうちしきりしきりしきりひゞきひゞきひびきよそほしきよそほしきよそおしき有樣有樣ありさま、、、げにげにげにかひかひかいあるあるある浦浦うらととと尼尼あま君君ぎみのののためためためにににははは見見みえええたれたれたれどどど、、、儀儀ぎ式式しきなきなきなきやうやうようなれなれなればばば渡渡わたりりり給給たまひひいなむなむなんとととすすす。。。對對たいののの上上うえももも渡渡わたりりり給給たまへへえりりり。。。しろきしろきしろき御御おんさうぞくさうぞくそうぞくししし給給たまひひいててて人人ひとののの親親おやめきめきめきててて若若わか宮宮みやをををつとつとつと抱抱いだききき居居い給給たまへへえるるるさまさまさまいといといとをかしをかしおかし。。。みづからみづからみずからかゝるかゝるかかるととと知知しりりり給給たまははわずずず、、、人人ひとののの上上うえにてにてにてももも見見み習習ならひひい給給たまははわねねねばばばいといといと珍珍めずららからからかににに美美うつくしくしくしととと思思おもひひい聞聞きこえええ給給たまへへえりりり。。。むつかしげむつかしげむつかしげにににおはするおはするおわする程程ほどををを絕絕たえええずずず抱抱いだきききとりとりとり給給たまへへえばばば、、、まことまことまことのののをばをばをば君君きみははは唯唯ただまかせまかせまかせ奉奉たてまつりりりててて、、、御御おん湯湯ゆ殿殿どののののあつかひあつかひあつかいなどなどなどををを仕仕つこううう奉奉たてまつりりり給給たまふふう。。。春宮春宮とうぐうののの宣宣せん旨旨じなるなるなる內內ない侍侍しのののすけすけすけぞぞぞ仕仕つかうまつるうまつるうまつる。。。御御おんむかへむかへむかえゆゆゆにににおりおりおりたちたちたち給給たまへへえるるるもももいといといとあはれあはれあわれにににうちうちうちうちうちうちのののことことこともももほのほのほのしりしりしりたるたるたるににに、、、少少すこしししかたほかたほかたおならならならばばばいとほしからいとほしからいとおしからましましましををを、、、あさましくあさましくあさましくけだかくけだかくけだかくげにげにげにかゝるかゝるかかる契契ちぎりことことことにににものしものしものし給給たまひひいけるけるける人人ひとかなかなかなととと見見み聞聞きこゆゆゆ。。。そのそのその程程ほどののの儀儀ぎ式式しきなどなどなどもももまねびまねびまねびたてたてたてむむんにににいといといと更更さらなりなりなりややや。。。
- 2六六む日日いかととといふいふいうににに例例れいのののおとゞおとゞおとどににに渡渡わたりりり給給たまひひいぬぬぬ七七なぬ日日かののの夜夜ようちうちうちよりよりよりももも御御おんうぶうぶうぶやしなひやしなひやしないのののことことことありありあり。。。朱朱す雀雀ざく院院いんのののかくかくかく世世よををを捨捨すてててゝゝておはしますおはしますおわします御御おんかはりかはりかわりにににややや、、、藏藏くら人人うど所所どころよりよりより頭頭とう辨辨べん、、、宣宣せん旨旨じうけたまはりうけたまはりうけたまわりててて珍珍めずららからからかなるなるなるさまさまさまににに仕仕つかうまつれうまつれうまつれりりり。。。祿祿ろくのののきぬきぬきぬなどなどなど又又また中中ちゅう宮宮ぐうののの御御おん方方かたよりよりよりももも、、、おほやけおほやけおおやけごとごとごとにににはははたちたちたちまさりまさりまさりいかめしくいかめしくいかめしくせせせさせさせさせ給給たまふふう。。。次次つぎ々々つぎのののみみみ子子こ達達たち大大だい臣臣じんののの家家いえ々々いえそのそのそのころころころのののいとなみいとなみいとなみにてにてにてわれわれわれもももわれわれわれもももととと淸淸きよらららををを盡盡つくしししててて仕仕つかうまつりうまつりうまつり給給たまふふう。。。おとゞおとゞおとどののの君君きみもももこのこのこの程程ほどのののごとごとごとゞもゞもどもははは例例れいのののやうやうようにににもももことことことそがそがそがせせせ給給たまははわででで、、、世世よににになくなくなく響響ひびきききこちたきこちたきこちたき程程ほどにににうちうちうちうちうちうちのののなまめかしくなまめかしくなまめかしくこまかこまかこまかなるなるなるみやびみやびみやびのののまねびまねびまねび傳傳つたふふうべきべきべきふしふしふしははは目目めもももとまらとまらとまらずずずなりなりなりにににけりけりけり。。。おとゞおとゞおとどののの君君きみももも若若わか宮宮みやををを程程ほどなくなくなく抱抱いだききき奉奉たてまつりりり給給たまひひいててて、、、大大だい將將しょうののの數數あま多多たまうけまうけもうけたなるたなるたなるををを今今いままでまでまで見見みせせせぬぬぬがががうらめしきうらめしきうらめしきにににかくかくかくらうたきらうたきろうたき人人ひとををを添添そへへえ奉奉たてまつりりりたるたるたるとととうつくしみうつくしみうつくしみ聞聞きこえええ給給たまふふうはははことわりことわりことわりなりなりなりややや。。。日日ひ々々びににに物物ものをををひきひきひき延延のぶるぶるぶるやうやうようにににおよすけおよすけおよすけ給給たまふふう。。。
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現代語訳
三月の十日過ぎのころに、女御は無事にご出産なさった。前々からは大げさに心配して騒いでいらっしゃったけれど、ひどくお苦しみになることもなくて、そのうえ男御子でいらっしゃったので、この上なく思いどおりのことで、大臣(源氏)もお心が落ち着きなさった。こちら(明石の町)は奥まった所で、ただ人目に近い所なので、盛大な御産養などがひっきりなしに続く、評判の立派な様子は、なるほど「かひある浦」と尼君のためには見えたけれど、儀式のない所のようなので、女御は寝殿にお移りになろうとする。対の上(紫の上)もお越しになった。白い御装束をお召しになって、人の親らしく若宮をしっかりと抱いていらっしゃる様子は、たいそう美しい。ご自身はこのようなことをご存じなく、人の身の上でも見慣れていらっしゃらないので、たいそう珍しくかわいいとお思い申し上げなさった。まだ扱いにくくいらっしゃる頃なのを、絶えず抱き取っていらっしゃるので、本当の祖母君(明石の君)は、ただお任せ申し上げて、御湯殿の世話などをお仕え申し上げなさる。東宮の宣旨である典侍がお仕えする。御迎え湯に、明石の君が自らお立ちになったのも、たいそうしみじみと、内々の事情もほのかに知っている典侍には、少しでも見劣りするようであったら気の毒だろうに、驚くほど気高く、なるほどこのような格別の宿縁をお持ちの人であったのだと拝見する。その頃の儀式なども、まねして語ろうとすると、いうまでもないことである。
六日目に、いつもの御殿(寝殿)にお移りになった。七日の夜には、帝からも御産養のことがある。朱雀院がこのように世を捨てていらっしゃる代わりであろうか、蔵人所から頭弁が宣旨を承って、珍しいほど盛大にお仕えした。禄の衣なども、また中宮の御方からも、公の儀式よりもまさって盛大におさせになる。次々の親王たちや大臣の家々も、そのころの営みとして、我も我もと美しさを尽くしてお仕えなさる。大臣の君(源氏)も、この時のことは、いつものように簡略にはなさらず、世にないほど評判が立って仰々しいので、内々の優美で細やかな風雅で、まねして伝えるべきようなことは、目にもとまらなくなってしまった。大臣の君も、若宮を間もなくお抱き申し上げなさって、「大将(夕霧)が大勢子をもうけたというのに、今まで見せないのが恨めしいのに、このようにかわいらしい人を授けてくださった」と、かわいがり申し上げなさるのは、もっともなことであるよ。若宮は、日々に物を引き伸ばすように成長なさる。
御乳母なども、事情を知らない者はすぐにはお召しにならず、お仕えしている者の中で、身分や心が優れた者だけを選んでお仕えさせなさる。御方(明石の君)のお心構えが、物慣れていて気高くおおらかなものの、しかるべき方面にはへりくだって、憎らしげに我が物顔にふるまわないところなどを、褒めない人はいない。対の上は、はっきりとではないけれど、明石の君と顔を合わせなさって、あれほど許さないお気持ちでいらっしゃったけれど、今は若宮のおかげで、たいそう親しく大切にお思いになるようになった。子どもをかわいがりなさるお心なので、天児などを御自身の手で作っていらっしゃるのも、たいそう若々しい。明け暮れ、この若宮のお世話をしてお過ごしになる。あの古風な尼君は、若宮を心ゆくまで拝見できないのを、物足りなく思っていた。
意訳
明石の女御は無事に男御子を出産し、紫の上は若宮を抱いてかわいがり、盛大な産養が行われる。
明石の君の謙虚なふるまいは誰からも褒められ、紫の上も若宮のおかげで明石の君と親しくなる。
語釈・文法注
文法
- 「うぶやしなひ」(いかめしき御うぶやしなひなど)
- 産養。出産後、三日、五日、七日、九日の夜に行う祝宴。親族や縁者が衣服や食物を贈った。
- 「あまがつ」(あまがつなど御手づから作りそゝくり)
- 天児。幼児のそばに置いて、災いを身代わりに受けさせる人形。
- 反実仮想「ならば…まし」(少しかたほならばいとほしからましを)
- 「少しでも見劣りするようであったら、気の毒だっただろうに」。
解説
明石の女御が男御子を産んだことで、明石一族の栄華は確かなものとなる。この若宮は、のちに東宮となる。かつて須磨・明石に流された源氏が、明石の君と出会ったことが、ここで皇統につながる実を結んだのである。
子のない紫の上が、若宮を絶えず抱いてかわいがる姿は、ほほえましくも痛ましい。紫の上は女御の養母として、若宮の祖母の立場にある。明石の君と紫の上が、若宮を通じて親しくなっていくのは、六条院の秩序が新しい形で保たれていくことを示している。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、630–633頁(コマ26–27)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日