源氏物語 第34帖 若菜上(36)
夕霧主催の賀
冷泉帝は、思い立ったことを無にはできないと、夕霧に賀の主催を命じる。右大将が病で辞任したので、帝は夕霧を急に右大将に任じる。源氏は喜びながらも、過ぎた喜びだと謙遜する。夕霧は六条院の丑寅の町(花散里の町)で賀を催し、宣旨によって公の儀式として、太政大臣も勅命で参列する。太政大臣は堂々と太って盛りの威厳があり、源氏はなお若々しい源氏の君に見える。帝の御宸筆の屏風が飾られ、馬や楽器なども下賜される。舞楽の後、源氏が琴を、太政大臣が和琴を、蛍兵部卿宮が琵琶を弾き、昔話に花が咲いて、二人は酔い泣きする。源氏は太政大臣に和琴や高麗笛、漢籍などを贈る。夕霧が一人っ子であることを寂しく思っていた源氏だが、その優れた姿に、かつて葵の上と六条御息所が張り合った宿縁の行く末を思う。花散里も、夕霧のおかげで晴れがましい場に加わる。こうして年が改まる。

- 1內內うちにににはははおぼしおぼしおぼしそめそめそめてててししし事事ことどもどもどもをををむげむげむげにににやややはははとてとてとて中中ちゅう納納な言言ごんにににぞぞぞつけつけつけさせさせさせ給給たまひひいてててけるけるける。。。そのそのそのころころころののの右右う大大だい將將しょうやまひやまひやまいしししててて辭辭じししし給給たまひひいけるけるけるををを、、、このこのこの中中ちゅう納納な言言ごんににに御御おん賀賀がののの程程ほどよろこびよろこびよろこびくはへくはへくわえむむんとととおぼしおぼしおぼし召召めしししててて俄俄にわかににになさなさなさせせせ給給たまひひいつつつ院院いんももも喜喜よろこびびび聞聞きこえええさせさせさせ給給たまふふうものものものからからから「「「いといといとかくかくかく俄俄にわかにににあまるあまるあまるよろこびよろこびよろこびをををなむなむなんいちはやきいちはやきいちはやき心地心地ここちししし侍侍はべるるる」」」ととと卑卑ひ下下げししし申申もうししし給給たまふふう。。。丑丑うし寅寅とらののの町町まちににに御御おんしつらひしつらひしつらい設設もうけけけ給給たまひひいてててかくろへかくろへかくろえたるたるたるやうやうようにににしなししなししなし給給たまへへえれれれどどど、、、今今け日日きょうははは猶猶なおかたかたかたことことことににに儀儀ぎ式式しきまさりまさりまさりててて所所ところ々々どころののの饗饗きょうなどなどなどもももくらくらくらづかさづかさずかさごくそうごくそうごくそうゐんゐんいんよりよりより仕仕つかうまつらうまつらうまつらせせせ給給たまへへえりりり。。。とんじきとんじきとんじきなどなどなどおほやけおほやけおおやけざまざまざまにてにてにて頭頭とう中中ちゅう將將じょう宣宣せん旨旨じ承承うけたまわりりりててて御御み子子こ達達たち五五ご人人にん、、、左左さ右右ゆうのののおとゞおとゞおとど大大だい納納な言言ごん二二ふた人人り、、、中中ちゅう納納な言言ごん三三さん人人にん、、、宰宰さい相相しょう五五ご人人にん、、、殿上人殿上人てんじょうびとははは例例れいののの、、、內內うち、、、春宮春宮とうぐう、、、院院いん殘殘のこりりりすくなしすくなしすくなし。。。
- 2おましおましおまし御御み調調ちょう度度どどもどもどもなどなどなどはははおほきおほきおおきおとゞおとゞおとど委委くわしくしくしくうけうけうけ給給たまはりはりわりててて仕仕つかうまつらうまつらうまつらせせせ給給たまへへえりりり。。。今今け日日きょうははは仰仰おおせ事事ごとありありありてててわたりわたりわたり參參まいりりり給給たまへへえりりり。。。院院いんもももいといといとかしこくかしこくかしこく驚驚おどろききき申申もうししし給給たまひひいててて御御おんざざざにににつきつきつき給給たまひひいぬぬぬもやもやもやのののおましおましおましににに向向むかへへえててておとゞおとゞおとどののの御御おんざざざありありあり、、、いといといと淸淸きよらららにににものものものものしくものしくものしくふとりふとりふとりてててこのこのこのおとゞおとゞおとどぞぞぞ今今いまさかりさかりさかりのののまうとくまうとくもうとくとととははは見見みえええ給給たまへへえるるる。。。あるじあるじあるじののの院院いんははは猶猶なおいといといと若若わかききき源氏源氏げんじののの君君きみににに見見みえええ給給たまふふう。。。御御おん屏屏びょう風風ぶ四四し帖帖じょうににに內內うちののの御御おん手手て書書かかかかせせせ給給たまへへえるるるからからからののの綾綾あやのののうすうすうすだんだんだんにににしたしたしたゑゑえのののさまさまさまなどなどなどおろかおろかおろかならならならむむんやややははは。。。おもしろきおもしろきおもしろき春春はる秋秋あきのののつくりつくりつくりゑゑえなどなどなどよりよりよりもももこのこのこの御御おん屏屏びょう風風ぶののの墨墨すみつきつきつきののの輝輝かがやくくくさまさまさまははは目目めももも及及およばばばずずず、、、思思おもひなしひなしいなしさへさへさへめでたくめでたくめでたくなむなむなんありありありけるけるける。。。置置おき物物ものののの御御み厨厨ず子子しひきひきひきものものものふきふきふきものものものなどなどなど藏藏くら人人うど所所どころよりよりよりたまはりたまはりたまわり給給たまへへえりりり。。。大大だい將將しょうののの御御おんいきほひいきほひいきおいもももいといといといかめしくいかめしくいかめしくなりなりなり給給たまひひいにににたれたれたればばば打打うちちち添添そへへえててて今今け日日きょうののの作作さ法法ほういといといとことことことなりなりなり。。。御御おん馬馬うま四四し十十じゅう疋疋ひき左左さ右右ゆうのののうまうまうまづかさづかさずかさ六六ろく衛衛え府府ふののの官官かん人人にんかみかみかみよりよりより次次つぎ々々つぎにににひきひきひきとゝのふるとゝのふるととのうる程程ほど日日ひ暮暮くれれれはてはてはてぬぬぬ。。。例例れいののの萬萬まん歲歲ざい樂樂らく賀賀が皇皇おう恩恩おんなどなどなどいふいふいう舞舞まい氣色氣色けしきばかりばかりばかり舞舞まひひいててておとゞおとゞおとどののの渡渡わたりりり給給たまへへえるるるににに珍珍めずらしくしくしくもてもてもてはやしはやしはやし給給たまへへえるるる御御おん遊遊あそびににに皆皆みな人人ひと心心こころをををいれいれいれ給給たまへへえりりり。。。
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現代語訳
帝は、思い立ちなさったことを、無にしてしまうことはできないとお思いになって、中納言(夕霧)に賀の主催をお命じになった。そのころの右大将が病気で辞任なさったのを、帝は、この中納言に、御賀の折に喜びを加えようとお思いになって、急に右大将におさせになった。院(源氏)もお喜び申し上げなさるものの、「たいそうこのように急に、身に余る喜びを、早すぎるような気がいたします」と、謙遜して申し上げなさる。夕霧は、丑寅の町(花散里の町)に設えをなさって、目立たないようにしつらえなさったけれど、今日はやはり格別に儀式がまさって、あちらこちらの饗応なども、内蔵寮や穀倉院から奉仕させなさった。屯食などは公の儀式として、頭中将が宣旨を承って、親王たち五人、左右の大臣、大納言二人、中納言三人、宰相五人、殿上人は例のとおりで、帝、東宮、院(冷泉院の方々)の殿上人も、残る者は少ない。
御座所や御調度類などは、太政大臣が詳しく承ってお仕えさせなさった。今日は勅命があって、大臣もお越しになった。院もたいそう恐縮してお驚き申し上げなさって、御座にお着きになった。母屋の御座所に向かい合って、大臣の御座がある。たいそう美しく、堂々と太って、この大臣こそ今が盛りの威厳がある方とお見えになる。主人の院は、やはりたいそう若い源氏の君とお見えになる。御屏風四帖に、帝の御筆跡をお書きになった、唐の綾の薄緞に、下絵の様子など、どうして並々のものであろうか。趣深い春秋の作り絵などよりも、この御屏風の墨つきの輝くような様子は目もまばゆく、帝の御筆と思うせいか、すばらしかった。置物の御厨子や、弦楽器、管楽器などは、蔵人所から下賜された。大将(夕霧)のご威勢も、たいそう盛んになっていらっしゃったので、それも加わって、今日の儀式はたいそう格別である。御馬四十疋を、左右の馬寮、六衛府の官人が、上位の者から次々に引きそろえるうちに、日がすっかり暮れた。例の万歳楽、賀皇恩などという舞を形ばかり舞って、大臣がお越しになったので、珍しくもてはやしなさる管絃の御遊びに、皆が心を入れていらっしゃった。
琵琶は例によって兵部卿の宮が、何事にもめったにない名手でいらっしゃって、たいそう比類がない。院の御前には琴(きん)の御琴、大臣は和琴をお弾きになる。長年聞き慣れていらっしゃったお耳のせいであろうか、源氏はたいそう優雅にしみじみとお思いになるので、琴も御手をほとんどお隠しにならず、すばらしい音色が出る。昔のお話などが出てきて、今はまた、このようなご縁組で、どちらにつけても親しく交際なさるはずのお付き合いなどを、気持ちよく申し上げなさって、御酒を何度も召し上がって、楽の興も滞りなく、お二人とも酔い泣きをこらえることがおできにならない。源氏は御贈り物として、優れた和琴一つに、大臣のお好みの高麗笛を添えて、紫檀の箱一具に唐の書物や日本の草仮名の本などを入れて、御車に追いかけて差し上げなさる。御馬などを受け取って、右馬寮の者たちが高麗楽を奏して騒ぎ立てる。六衛府の官人の禄などは、大将がお与えになる。
源氏はご自身の意向で簡略になさって、仰々しいことは今度はおやめになったけれど、帝、東宮、一院(朱雀院)、后の宮と、次々のご縁故の方々の威厳が、言いようもなく見渡されることなので、やはりこのような折にはめでたく思われた。大将(夕霧)がただ一人っ子でいらっしゃるのを、源氏は寂しく張り合いのない気持ちがしていたけれど、大勢の人に優れて、声望も格別で、人柄も並ぶ者がないようでいらっしゃるにつけても、あの母北の方(葵の上)が、伊勢の御息所(六条御息所)と恨み深く張り合いなさったころの、お二人の宿縁の行く末が見えたことは、さまざまであった。その日の御装束などは、こちらの上(花散里)がご用意なさった。禄など大体のことは、三条の北の方(雲居雁)が準備なさったようだ。折々の催しや、内輪の美しい事柄も、こちらの方(花散里)はただよそごととして聞いていらっしゃったのに、何によってこのような晴れがましい人々の数に加わることができようかと思っていたが、大将の君の御縁で、たいそうよく人数に入れられていらっしゃった。こうして年が改まった。
意訳
冷泉帝は夕霧を右大将に任じて賀を主催させ、太政大臣も勅命で参列して、源氏と管絃を楽しみ、昔を語り合う。
源氏は夕霧の優れた姿に、葵の上と六条御息所の宿縁の行く末を思い、花散里も晴れがましい場に加わる。
語釈・文法注
文法
- 反語の「やは」(むげにやはとて)
- 「無にしてしまえようか、いや、できない」。下に「あらむ」などが省略されている。
- 反語の「やは」(おろかならむやは)
- 「並々のものであろうか、いや、そうではない」。
- 「まうとく」(今さかりのまうとくとは見え給へる)
- 威厳、貫禄。「真徳」などの字を当てる説がある。
解説
夕霧の主催する賀は、帝の命による公の儀式であり、四十の賀の締めくくりとなる。ここで源氏と太政大臣(かつての頭中将)が琴と和琴を合わせ、昔を語り合って酔い泣きする。若い頃からの好敵手が、今は子を通じて縁を結んだ間柄となっている。
太政大臣が「ふとりて」盛りの威厳を見せるのに対し、源氏は「猶いと若き源氏の君」と描かれる。この対比は源氏の若々しさを讃えるものであるが、同時に、源氏が年齢にふさわしい落ち着きを得ていないことをも示している。若い女三の宮を迎え、朧月夜のもとに通う源氏の姿と重なり合う描写である。
夕霧の母葵の上と、六条御息所との「恨深く挑みかはし給ひけむ」争いは、葵の巻の車争いを指す。その争いの後、葵の上は夕霧を生んで亡くなり、六条御息所の娘は中宮となった。二人の宿縁の行く末が、この賀の場でそれぞれ実を結んでいる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、626–629頁(コマ24–25)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日