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源氏物語 第34帖 若菜上(35)

秋好中宮の賀

登場人物:光源氏・冷泉帝・秋好中宮・藤壺の中宮

源氏は、亡き藤壺の中宮がいたら、このような賀は自分が真っ先に奉仕しただろうに、何によって志を見せられただろうかと、残念に思い出す。冷泉帝も、母の藤壺がいないことを寂しく思い、実の父である源氏に、例のある礼を尽くせないことを常に物足りなく思っていたので、この賀にかこつけて行幸しようとするが、源氏が強く辞退するので思いとどまる。十二月の二十日過ぎ、秋好中宮が六条院に退出し、奈良の七大寺や都の四十寺に誦経を依頼し、源氏の長寿を祈る。中宮は源氏の深い養育の恩を思い、亡き父宮や母御息所の分の志も添えるが、源氏の辞退で多くを控える。それでも公の行事として盛大に行われ、上達部や親王たちに禄が与えられる。源氏への贈り物には、故前坊から伝わった名高い帯や御佩刀もあり、しみじみとした思いを誘う。

冬の六条院の秋好中宮の御殿で、華やかに設えられた賀宴の席に、中宮から源氏への見事な贈り物が並べられている場面(AI生成)
冬の六条院の秋好中宮の御殿で、華やかに設えられた賀宴の席に、中宮から源氏への見事な贈り物が並べられている場面
  1. 1故こ故ここ入にふ入にふにゅう道だう道だうどうののの宮みや宮みやみやおはせおはせおわせましかましかましかばばばかゝるかゝるかかる御おん御おんおん賀が賀ががなどなどなど我わ我わわこそこそこそ進すす進すすすすみみみ仕つか仕つかつかうまつらうまつらうまつらましかましかましか、、、何事なにごと何事なにごとなにごとにににつけつけつけてててかはかはかは志こころざし志こころざしこころざしをををももも見み見みみえええ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりりけむけむけんととと飽あ飽ああかかかずずず口惜くちを口惜くちをくちおしくしくしくのみのみのみ思おも思おもおもひひい出い出いいででで聞きこ聞きこきこえええ給たま給たまたまふふう。。。內うち內うちうちにににももも故こ故ここ宮みや宮みやみやのののおはしまさおはしまさおわしまさぬぬぬことことことををを、、、何事なにごと何事なにごとなにごとにににもももはえはえはえなくなくなくさうざうしくさうざうしくそうぞうしくおぼさおぼさおぼさるゝるゝるるにににこのこのこの院ゐん院ゐんいんののの御おん御おんおん事こと事ことことをををだにだにだに例れい例れいれいののの跡あと跡あとあとあるあるあるさまさまさまのののかしこまりかしこまりかしこまりををを盡つく盡つくつくしししてててももも得え得ええ見み見みみせせせ奉たてまつ奉たてまつたてまつらららぬぬぬををを世よ世よよととと共とも共ともともににに飽あ飽ああかかかぬぬぬ心地ここち心地ここちここちししし給たま給たまたまふふうももも今こ今ここ年とし年としとしはははこのこのこの御おん御おんおん賀が賀ががにににことことことつけつけつけてててみゆきみゆきみゆきなどなどなどもももあるあるあるべくべくべくおぼしおぼしおぼしおきおきおきてててけれけれけれどどど「「「世よ世よよののの中なか中なかなかのののわづらひわづらひわずらいならならならむむんことことこと更さら更さらさらにににせせせさせさせさせ給たま給たまたまふふうまじくまじくまじくなむなむなん」」」ととといなびいなびいなび申まう申まうもうししし給たま給たまたまふふうことことこと度たび度たびたび々たび々たびたびににになりなりなりぬれぬれぬればばば口惜くちを口惜くちをくちおしくしくしくおぼしおぼしおぼしとまりとまりとまりぬぬぬ。。。
  2. 2しはすしはすしわすののの二は二はは十つ十つつ日か日かかあまりあまりあまりのののほどほどほどににに中ちゆう中ちゆうちゅう宮ぐう宮ぐうぐうまかでまかでまかでさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて今こ今ここ年とし年としとしののののこりのこりのこりののの御おん御おんおんいのりいのりいのりににに奈な奈なな良ら良ららののの京きやう京きやうきょうののの七しち七しちしち大だい大だいだい寺じ寺じじににに御おん御おんおん誦ず誦ずず經きやう經きやうきょう、、、布ぬの布ぬのぬの四し四しし千せん千せんせん段むら段むらむら、、、このこのこの近ちか近ちかちかききき都みやこ都みやこみやこののの四し四しし十じふ十じふじゅう寺じ寺じじににに絹きぬ絹きぬきぬ四し四しし百ひやく百ひやくひゃく疋ひき疋ひきひきをををわかちわかちわかちてててせせせさせさせさせ給たま給たまたまふふう。。。ありがたきありがたきありがたき御おん御おんおんはぐゝみはぐゝみはぐくみをををおぼしおぼしおぼし知し知ししりりりながらながらながら、、、何事なにごと何事なにごとなにごとにににつけつけつけてててかはかはかは深ふか深ふかふかききき御おん御おんおん志こころざし志こころざしこころざしをををももも顯あら顯あらあらはしはしわし御覽ごらん御覽ごらんごらんぜぜぜさせさせさせ給たま給たまたまははわむむんとてとてとて、、、父ちゝ父ちゝちち宮みや宮みやみや母はゝ母はゝはは御み御みみ息やす息やすやす所どころ所どころどころのののおはせおはせおわせましましまし御おん御おんおんためためためののの志こころざし志こころざしこころざしをををももも取と取ととりりり添そ添そそへへえおぼすおぼすおぼすににに、、、かうかうこうあながちあながちあながちにににおほやけおほやけおおやけにににももも聞きこ聞きこきこえええ返かへ返かへかえさささせせせ給たま給たまたまへへえばばばことことことゞもゞもども多おほ多おほおおくくく留とど留とどとどめめめさせさせさせ給たま給たまたまひひいつつつ。。。
  3. 3「「「四よそ四よそよそ十ぢ十ぢじののの賀が賀ががととといふいふいうことことことはははさきざきさきざきさきざきををを聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべるるるにににももも殘のこり殘のこりのこりのののよはひよはひよわい久ひさ久ひさひさしきしきしきためしためしためしなむなむなん少すくな少すくなすくなかりかりかりけるけるけるををを、、、このこのこの度たび度たびたびははは猶なほ猶なほなお世よ世よよのののひゞきひゞきひびき留とど留とどとどめめめさせさせさせ給たま給たまたまひひいててて、、、誠まこと誠まことまことににに後のち後のちのちにににたらたらたらむむんことことことををを數かぞ數かぞかぞへへへさせさせさせ給たま給たまたまへへえ」」」とととありありありけれけれけれどどどおほやけおほやけおおやけざまざまざまにてにてにて猶なほ猶なほなおいといといと嚴いか嚴いかいかめしくめしくめしくなむなむなんありありありけるけるける。。。宮みや宮みやみやののの坐おは坐おはおわしますしますします町まち町まちまちののの寢しん寢しんしん殿でん殿でんでんににに御おん御おんおんしつらひしつらひしつらいなどなどなどしししてててさきざきさきざきさきざきにににことことことににに變かは變かはかわらららずずず。。。上達部かんだちめ上達部かんだちめかんだちめののの祿ろく祿ろくろくなどなどなど大だい大だいだいきやうきやうきょうににになずらへなずらへなずらえてててみみみ子こ子ここ達たち達たちたちにににははは殊こと殊ことことににに女をんな女をんなおんなのののさうぞくさうぞくそうぞく、、、非ひ非ひひ參さん參さんさん議ぎ議ぎぎののの四し四しし位ゐ位ゐい、、、まうちまうちもうちきんだちきんだちきんだちなどなどなど、、、たゞたゞただののの殿上人てんじやうびと殿上人てんじやうびとてんじょうびとにににははは白しろ白しろしろききき細ほそ細ほそほそ長なが長ながなが一ひと一ひとひとかさねかさねかさねこしざしこしざしこしざしなどなどなどまでまでまで次つぎ次つぎつぎ々つぎ々つぎつぎにににたまふたまふたまう。。。御おん御おんおんさうさうそう束ぞく束ぞくぞく限かぎり限かぎりかぎりなくなくなく淸きよ淸きよきよらららををを盡つく盡つくつくしししててて名な名なな高だか高だかだかききき帶おび帶おびおびみはかしみはかしみはかしなどなどなど、、、故こ故ここ前ぜん前ぜんぜん坊ばう坊ばうぼうののの御おん御おんおん方かた方かたかたざまざまざまにてにてにて傳つた傳つたつたはりはりわり參まゐ參まゐまいりりりたるたるたるももも又また又またまた哀あはれ哀あはれあわれににになむなむなん。。。ふるきふるきふるき世よ世よよのののひとつひとつひとつのののものものものととと名な名ななあるあるある限かぎり限かぎりかぎりははは、、、皆みな皆みなみなつどひつどひつどい參まゐ參まゐまいるるる御おん御おんおん賀が賀ががににになむなむなんあめるあめるあめる。。。昔むかし昔むかしむかし物語ものがたり物語ものがたりものがたりにににももも物もの物ものもの得え得ええさせさせさせたるたるたるををを、、、かしこきかしこきかしこきことことことにににははは數かぞ數かぞかぞへへへ續つゞ續つゞつづけけけためれためれためれどどど、、、いといといとうるさくうるさくうるさくてててこちたきこちたきこちたき御おん御おんおんなからひなからひなからいのののことことことゞもゞもどもはははえええぞぞぞかぞへかぞへかぞえあへあへあえ侍はべ侍はべはべらららぬぬぬややや。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

源氏は、故入道の宮(藤壺の中宮)がいらっしゃったら、このような御賀なども、私こそ進んでお仕え申し上げただろうに、何によって志をもお見せ申し上げただろうかと、物足りなく残念にばかりお思い出し申し上げなさる。帝(冷泉帝)も、故宮がいらっしゃらないことを、何事にも張り合いがなく寂しくお思いになるので、せめてこの院(源氏)のことだけでも、先例のある礼を尽くしてお見せすることもできないのを、いつも物足りないお気持ちでいらっしゃるので、今年はこの御賀にかこつけて、行幸などもあるようにとお考えになっていたけれど、源氏が「世の中の負担となるようなことは、決してなさいませんように」と、ご辞退申し上げなさることがたびたびになったので、残念ながら思いとどまりなさった。

十二月の二十日過ぎのころに、中宮(秋好中宮)が退出なさって、今年の残りの御祈祷として、奈良の京の七大寺に御誦経として布四千段、この近い都の四十寺に絹四百疋を分けて納めさせなさる。中宮は、源氏のめったにないご養育の恩をよく知りながら、何によって深いお志をお示ししてご覧に入れられようかと思って、父宮や母御息所(六条御息所)が生きていらっしゃったらしたであろうお志をも添えようとお思いになるが、源氏がこのように強く朝廷にもご辞退申し上げなさるので、多くのことをおやめになった。

源氏は、「四十の賀ということは、以前のことを聞きましても、その後の余命が長かった例は少なかったので、今度はやはり世間の騒ぎをおやめになって、本当に後に残った年を数えてお祝いください」とおっしゃったけれど、中宮の賀は公のこととして、やはりたいそう盛大であった。中宮のいらっしゃる町の寝殿に、御設えなどをして、これまでのものと特に変わらない。上達部の禄などは、大饗に準じて、親王たちには特に女の装束を、非参議の四位や、院の殿上人などには、普通の殿上人には白い細長一襲、腰差しなどまで、次々にお与えになる。源氏への御装束はこの上なく美しさを尽くして、名高い帯や御佩刀などは、故前坊(中宮の父)の御方から伝わったものであるのも、またしみじみとしている。古い代の唯一の宝物として名高いものは、皆集まってくる御賀であるようだ。昔物語でも、褒美を与えたことを、立派なこととして数え上げているようだが、たいそう煩わしくて、仰々しいご関係の方々のことは、とても数えきれませんよ。

意訳

源氏は亡き藤壺を思い、冷泉帝は行幸を考えるが、源氏の辞退で思いとどまる。

秋好中宮は源氏の恩に報いようと賀を催し、源氏は辞退するが、公の行事として盛大に行われる。

語釈・文法注

文法

反実仮想「ましかば…ましか」(おはせましかば…我こそ進み仕うまつらましか)
「もしいらっしゃったら、私こそ進んでお仕えしただろうに」。「こそ」に応じて「まし」の已然形「ましか」で結ぶ。
草子地(えぞかぞへあへ侍らぬや)
語り手が物語に顔を出して、数えきれないと断る言葉。
「おほやけざま」(おほやけざまにて猶いと嚴めしく)
公式のやり方。中宮の催す賀は公の行事として扱われた。

解説

冷泉帝が源氏の賀を盛大に祝おうとするのは、源氏が実の父であることを知っているからである。しかしその秘密は公にできず、帝は「例の跡あるさまのかしこまり」、つまり先例にかなった形でしか敬意を示せない。藤壺の中宮を失った帝と源氏の、共有された孤独が背景にある。

源氏が「四十の賀といふことは…殘のよはひ久しきためしなむ少かりける」と言うのは、死を意識した言葉である。四十歳は老いの入り口であり、源氏の栄華の頂点は、同時に人生の終わりへの始まりでもあった。

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出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、624–627頁(コマ23–24)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日