源氏物語 第34帖 若菜上(33)
紫の上主催の四十の賀
十月、紫の上は源氏の四十の賀のため、嵯峨野の御堂で薬師仏の供養を行う。源氏が盛大にすることを強く止めたので、ひそやかにと心がけたが、仏や経箱、帙簀の調えは極楽を思わせるほど見事で、多くの上達部が参列する。紅葉の中、霜枯れの野を行き交う馬や車の音が響く。御方々も競って御誦経を行う。二十三日を精進落としの日として、紫の上は自分の私邸と思う二条院で祝宴を準備する。御装束をはじめ、すべてを紫の上が整え、御方々も分担を申し出る。寝殿の放出には螺鈿の椅子を立て、西の間には衣装の机を並べ、明石の君が調えた挿頭の台や、式部卿宮が作らせた四季の屏風など、趣向をこらした調度が並ぶ。

- 1神神かん無無な月月ずきににに對對たいののの上上うえ院院いんののの御御おん賀賀がににに嵯嵯さ峨峨が野野のののの御御み堂堂どうにてにてにて藥藥やく師師し佛佛ぼとけ供供く養養ようししし奉奉たてまつりりり給給たまふふう。。。いかめしきいかめしきいかめしきことことことはははせちせちせちににに諫諫いさめめめ申申もうししし給給たまへへえばばば忍忍しのびやかびやかびやかにににとととおぼしおぼしおぼしおきておきておきてたりたりたり。。。佛佛ほとけ、、、きやうきやうきょうばこばこばこ、、、ぢすぢすじすのののとゝのへとゝのへととのえまことまことまことののの極極ごく樂樂らくぞぞぞ思思おもひやらひやらいやらるゝるゝるる最最さいぞうぞうぞう王王おう經經ぎょう金金こん剛剛ごう磐磐はん若若にゃずずず命命みょう經經きょうなどなどなどいといといとゆたけきゆたけきゆたけき御御おんいのりいのりいのりなりなりなり。。。上達部上達部かんだちめいといといと多多おおくくく參參まいりりり給給たまへへえりりり。。。御御み堂堂どうのののさまさまさまおもしろくおもしろくおもしろくいはいはいわむむんかたかたかたなくなくなく紅紅もみ葉葉じのののかげかげかげわけわけわけ行行ゆくくく野野の邊邊べののの程程ほどよりよりより始始はじめめめてててみものみものみものなるなるなるにににかたへかたへかたえはははきほひきほひきおい集集あつまりりり給給たまふふうなるなるなるべしべしべし。。。霜霜しもがれがれがれ渡渡わたれれれるるる野野の原原はらのののまゝまゝままににに馬馬うま車車くるまののの行行ゆききき通通かよふふう音音おとしげくしげくしげく響響ひびきききたりたりたり。。。御御おんずずず經經きょうわれわれわれもももわれわれわれもももととと御御おん方方かた々々がたいかめしくいかめしくいかめしくせせせさせさせさせ給給たまふふう。。。
- 2二二に十十じゅう三三さん日日にちををを御御おんとしみとしみとしみののの日日ひにてにてにてこのこのこの院院いんはははかくかくかくすきますきますきまなくなくなく集集つどひひい給給たまへへえるるるうちうちうちににに我我わががが御御おんわたくしわたくしわたくしののの殿殿とのとととおぼすおぼすおぼす、、、二二に條條じょう院院いんにてにてにてそのそのその御御おんまうけまうけもうけはははせせせさせさせさせ給給たまふふう。。。御御おんさうぞくさうぞくそうぞくをををはじめはじめはじめ大大おおかたかたかたのののことことことゞもゞもどもゝゝも、、、皆皆みなこなたこなたこなたにににのみのみのみししし給給たまふふうををを、、、御御おん方方かた々々がたもももさるべきさるべきさるべきことことことどもどもどもわけわけわけつゝつゝつつ望望のぞみみみ仕仕つかうまつりうまつりうまつり給給たまふふう。。。對對たいどもどもどもははは人人ひとののの局局つぼね々々ずぼねにににしししたるたるたるををを拂拂はらひひいててて、、、殿上人殿上人てんじょうびと諸諸しょ大大だい夫夫ぶ院院いん司司じしもしもしも人人びとまでまでまでのののまうけまうけもうけいかめしくいかめしくいかめしくせせせさせさせさせ給給たまへへえりりり。。。寢寢しん殿殿でんのののはなちはなちはなちいでいでいでををを例例れいのののしつらひしつらひしつらいてててらでんらでんらでんのののいしいしいし立立たてててたりたりたり。。。おとゞおとゞおとどののの西西にしののの間間まににに御御おんぞぞぞののの机机つくえ十十じゅう二二にたてたてたてゝゝて、、、夏夏なつ冬冬ふゆののの御御おんよそひよそひよそい御御おんふすまふすまふすまなどなどなど例例れいののの如如ごとくくく、、、紫紫むらさきののの綾綾あやのののおほひおほひおおいどもどもども麗麗うるわしくしくしく見見みえええ渡渡わたりりりてててうちうちうちののの心心こころはははあらはあらはあらわならならならずずず御御お前前まえににに置置おき物物ものののの机机つくえ二二ふたつつつ唐唐からののの地地じのののすそごすそごすそごののの覆覆おおひひいしししたりたりたり。。。かざしかざしかざしののの臺臺だいははは沈沈じんのののけそくけそくけそくこがねこがねこがねののの鳥鳥とり、、、銀銀しろがねののの枝枝えだににに居居いたるたるたる心心こころばへばへばえなどなどなど淑淑しげ景景い舍舍さののの御御おんあづかりあづかりあずかりにてにてにて、、、明明あか石石しののの御御おん方方かたのののせせせさせさせさせ給給たまへへえるるるゆゑゆゑゆえふかくふかくふかく心心こころことことことなりなりなり。。。後後うしろののの御御おん屏屏びょう風風ぶ四四し帖帖じょうははは式部式部しきぶ卿卿きょう宮宮のみやなむなむなんせせせさせさせさせ給給たまひひいけるけるける。。。いみじくいみじくいみじくつくしつくしつくしててて例例れいののの四四し季季きののの繪繪えなれなれなれどどど珍珍めずらしきしきしき泉泉せん水水すいだんだだんだだんだなどなどなどめめめなれなれなれずずずおもしろしおもしろしおもしろし。。。北北きたののの壁壁かべにににそへそへそえててて置置おき物物ものののの御御み厨厨ず子子しふたふたふたよろひよろひよろいたてたてたてゝゝて御御み調調ちょう度度どももも例例れいのののことことことなりなりなり。。。
現代語訳
十月に、対の上(紫の上)は、院(源氏)の御賀のために、嵯峨野の御堂で薬師仏をご供養申し上げなさる。源氏が盛大なことはしきりにお止め申し上げなさるので、ひそやかにとお考えになっていた。仏像、経箱、帙簀の調えは、本当の極楽が思いやられるほどで、最勝王経、金剛般若経、寿命経など、たいそう豊かなご祈祷である。上達部がたいそう大勢参列なさった。御堂の様子は趣深く、言いようもなく、紅葉の陰を分けて行く野辺のあたりからして見ものなので、一つには、それを目当てに競って集まりなさるのであろう。霜枯れの広がる野原一面に、馬や車の行き来する音が、しきりに響いている。御誦経を、我も我もと御方々が盛大におさせになる。
二十三日を精進落としの日として、この院(六条院)は、このようにすき間なく御方々が集まっていらっしゃるので、紫の上はご自分の私邸とお思いになる二条院で、その祝宴のご用意をおさせになる。御装束をはじめとして、だいたいのことも、皆こちらでばかりなさるのを、御方々もしかるべきことを分担しながら、お望みになってお仕えなさる。対の屋などは、女房たちの局にしていたのを片づけて、殿上人、諸大夫、院司、下人までの饗応の用意を盛大におさせになった。寝殿の放出をいつものように設えて、螺鈿の椅子を立てた。寝殿の西の間に、御衣の机を十二立てて、夏冬の御装束や御衾など、例のとおりで、紫の綾の覆いが端麗に見渡されて、中のものははっきりとは見えない。御前に置物の机を二つ置いて、唐の地の裾濃の覆いをかけてある。挿頭の台は、沈の華足で、金の鳥が銀の枝にとまっている趣向など、淑景舎(明石の女御)のご担当で、明石の御方がおさせになったものなので、由緒深く格別である。後ろの御屏風四帖は、式部卿の宮がおさせになったのだった。たいそう技を尽くして、例の四季の絵だけれど、珍しい泉水や滝などが見慣れなくておもしろい。北の壁に沿って、置物の御厨子を二具立てて、御調度も例のとおりである。
意訳
紫の上は源氏の四十の賀のため、嵯峨野の御堂で薬師仏の供養を盛大に行う。
精進落としの祝宴を二条院で催し、明石の君や式部卿宮が調えた見事な調度が並ぶ。
語釈・文法注
文法
- 「としみ」(二十三日を御としみの日にて)
- 精進落とし。法会の後、精進をやめて魚肉などを食べること。
- 「かたへは」(かたへはきほひ集り給ふなるべし)
- 一方では、一つには。人々が集まった理由の一部を推し量っている。
- 「すそご」(唐の地のすそごの覆ひ)
- 裾濃。上を薄く、下に行くほど濃く染めたもの。
解説
紫の上が主催する四十の賀は、正妻の座を女三の宮に譲った後も、紫の上が六条院の実質的な女主人であることを示すものである。嵯峨野の御堂での薬師仏供養は、源氏の長寿と病気平癒を祈るもので、紫の上の深い心づかいが表れている。
紫の上が二条院を「我が御わたくしの殿」と思うのは、そこが少女の頃に源氏に引き取られて育った場所だからである。女三の宮の降嫁後、六条院に居場所を失いつつある紫の上の心が、この言葉にさりげなく示されている。この二条院は、のちに紫の上が病を得て移り住み、最期を迎える場所となる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、622–623頁(コマ22)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日