源氏物語 第34帖 若菜上(28)
藤の花の別れ
源氏は「年月を」と涙の歌を詠み、朧月夜は「涙のみ」と、逢う道はとうに絶えたと突き放す。しかし朧月夜は、昔の騒ぎも誰のせいだったかと思い出しながらも、もう一度の対面はあってもよかったと心弱くなる。もともとしっかりしたところのない人で、年月を経て世の中を思い知ったはずなのに、昔のような対面に、強くふるまえない。源氏は、変わらず優しくなつかしい朧月夜の様子に、明けていくのが惜しくてならない。春の朝、百千鳥の声がうららかで、藤の花の頃、昔の花の宴を思い出す。帰りぎわ、源氏は藤の花を折らせて「沈みしも」と詠み、朧月夜も「身をなげむ」と返す。源氏は、また会う約束をして帰っていく。

- 1「「「年年とし月月つきをををなかなかなかにににへだてへだてへだてゝゝて逢逢おう坂坂さかのののさささもももせきせきせきがたくがたくがたくおつるおつるおつるなみだなみだなみだかかか」」」。。。女女おんな、、、「「「淚淚なみだのみのみのみせきせきせきとめとめとめがたきがたきがたきしみづしみづしみずにてにてにて行行ゆききき逢逢あふふう道道みちははははやくはやくはやく絕絕たえええにににききき」」」などなどなどかけかけかけはなれはなれはなれ聞聞きこえええ給給たまへへえどどど、、、いにしへいにしへいにしえをををおぼしおぼしおぼし出出いづるづるずるももも誰誰たれににによりよりより多多おおうううはははさるさるさるいみじきいみじきいみじきことことこともももありありありししし世世よのののさわぎさわぎさわぎぞぞぞととと思思おもひひい出出いででで給給たまふふうににに、、、實實げににに今今いま一一ひと度度たびののの對對たい面面めんはははありありありもももすすすべかりべかりべかりけりけりけりとととおぼしおぼしおぼしよわるよわるよわるももも、、、もとよりもとよりもとよりづしやかづしやかずしやかなるなるなる所所ところはははおはせおはせおわせざりざりざりししし人人ひとののの、、、年年とし比比ごろはははさまざまさまざまさまざまににに世世よののの中中なかををを思思おもひひい知知しりりり、、、きしきしきし方方かたをををくやしくくやしくくやしくおほやけおほやけおおやけわたくしわたくしわたくしのののことことことににに觸觸ふれれれつゝつゝつつ數數かずもももなくなくなくおぼしおぼしおぼし集集あつめめめててて、、、いといといといたくいたくいたく過過すぐししし給給たまひひいにににたれたれたれどどど、、、昔昔むかし覺覺おぼえええたるたるたる御御おん對對たい面面めんにににそのそのその世世よののの事事ことももも遠遠とおからからからぬぬぬ心地心地ここちしししててて得得え心心こころづよくづよくずよくもてなしもてなしもてなし給給たまははわずずず。。。猶猶なおらうらうしくらうらうしくろうろうしく若若わこうううなつかしくなつかしくなつかしくててて一一ひと方方かたならならならぬぬぬ世世よのののつゝましさつゝましさつつましさをををももも哀哀あわれれれをををももも思思おもひひい亂亂みだれれれててて歎歎なげきききがちがちがちにてにてにてものしものしものし給給たまふふう氣色氣色けしきなどなどなど、、、今今いま始始はじめめめたらたらたらむむんよりよりよりももも珍珍めずらしくしくしく哀哀あわれにてにてにて明明あけけけ行行ゆくくくもももいといといと口惜口惜くちおしくしくしくててて出出いででで給給たまははわむむん空空そらもももなしなしなし。。。
- 2朝朝あさぼらけぼらけぼらけのののたゞたゞただならならならぬぬぬ空空そらににに百百もも千千ち鳥鳥どりののの聲聲こえもももいといといとうらゝかうらゝかうららかなりなりなり。。。花花はなははは皆皆みな散散ちりりり過過すぎぎぎててて名名な殘殘ごりかすめるかすめるかすめる梢梢こずえののの淺淺あさ綠綠みどりなるなるなるこここだちだちだち、、、昔昔むかし藤藤ふじののの宴宴えんししし給給たまひひいしししこのこのこの頃頃ころのののことことことなりなりなりけむけむけんかしかしかしとととおぼしおぼしおぼし出出いづるづるずるににに、、、年年とし月月つきのののつもりつもりつもりにににけるけるける程程ほどもももそのそのその折折おりのののことことことかきかきかきつゞけつゞけつづけ哀哀あわれにににおぼさおぼさおぼさるるる。。。中中ちゅう納納な言言ごんののの君君きみののの見見み奉奉たてまつりりり送送おくるるるとてとてとて妻妻つま戶戶ど押押おししし開開あけけけたるたるたるににに立立たちちちかへりかへりかえり給給たまひひいててて「「「このこのこの藤藤ふじよよよいかにいかにいかに染染そめめめけむけむけん色色いろにににかかか。。。猶猶なおえええならならならぬぬぬ心心こころ添添そふふうにほひにほひにおいにににこそこそこそ。。。いかでいかでいかでかかかこのこのこの影影かげははは立立たちちち離離はなるるるべきべきべき」」」とととわりなくわりなくわりなくいでいでいでがてがてがてにににおぼしおぼしおぼしやすらひやすらひやすらいたりたりたり。。。やまやまやまぎはぎはぎわよりよりよりさしさしさし出出いづるづるずる日日ひののの花花はなやかやかやかなるなるなるにににさしさしさしあひあひあい、、、目目めももも輝輝かがやくくく心地心地ここちするするする御御おんさまさまさまのののこよなくこよなくこよなくねびねびねび加加くわはりはりわり給給たまへへえるるる御御おんけはひけはひけわいなどなどなどををを珍珍めずらしくしくしく程程ほど經經へてててももも見見み奉奉たてまつるるるはははましてましてましてよよよのののつねつねつねならならならずずず覺覺おぼゆれゆれゆればばば、、、さるさるさる方方かたにてにてにてもももなどなどなどかかか見見み奉奉たてまつりりり過過すぐししし給給たまははわざらざらざらむむん、、、御御おん宮仕宮仕みやずかえにににもももかぎりかぎりかぎりありありありてててきはきはきわことことことににに離離はなれれれ給給たまふふうことことこともももなかりなかりなかりしししををを、、、故故こ宮宮みやのののよろづよろづよろずににに心心こころををを盡盡つくししし給給たまひひい、、、よからよからよからぬぬぬ世世よのののさわぎさわぎさわぎにににかるがるしきかるがるしきかるがるしき御御おん名名なさへさへさへ響響ひびきききててて、、、やみやみやみにににしししよよよなどなどなど思思おもひひい出出いでででらるらるらる。。。
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現代語訳
源氏は、「年月をなかにへだてゝ逢坂のさもせきがたくおつるなみだか(長い年月を隔ててようやく逢えたのに、逢坂の関のように隔てられ、せき止めがたく落ちる涙よ)」。女は、「淚のみせきとめがたきしみづにて行き逢ふ道ははやく絕えにき(涙だけはせき止めがたい清水のように流れますが、逢う道はとうに絶えてしまいました)」などと、突き放すように申し上げなさるけれど、昔のことをお思い出しになるにつけても、いったい誰のせいで、あれほどひどいことも多くあった世の騒ぎだったのかとお思い出しになると、なるほど、もう一度の対面はあってもよかったのだと、心が弱くおなりになるのも、もともとしっかりしたところはおありでなかった人が、近年はさまざまに世の中のことを思い知り、過去を後悔し、公私のことにつけて数知れずお思いを重ねて、たいそう慎重に過ごしていらっしゃったけれど、昔を思い出させるご対面に、あの頃のことも遠くないような気がして、気強くふるまうことがおできにならない。やはり物慣れていて、若々しく親しみやすくて、並々でない世間への遠慮も、しみじみとした思いも、思い乱れて嘆きがちでいらっしゃる様子などが、今初めて逢ったよりも珍しく感慨深くて、源氏は、夜が明けていくのもたいそう残念で、お帰りになる気にもなれない。
朝ぼらけの、何ともいえない空に、百千鳥の声もたいそううららかである。花は皆散り過ぎて、名残が霞んでいる梢の浅緑の木立を見て、昔、藤の宴をなさったのも、ちょうどこの頃のことであったろうよとお思い出しになると、年月が積もってしまったことも、その折のことも思い続けられて、しみじみとお思いになる。中納言の君がお見送り申し上げようとして、妻戸を押し開けたところ、源氏は引き返していらっしゃって、「この藤の花よ、どのように染めた色なのだろう。やはり何ともいえず心ひかれる美しさだ。どうしてこの花陰から立ち去ることができようか」と、どうにも立ち去りがたくためらっていらっしゃる。山の端から昇る日の光の華やかなのに照らされて、目もまばゆいほどのご様子で、この上なく年を重ねて立派になっていらっしゃるご様子などを、久しぶりに拝見するのは、まして並々ではなく思われるので、中納言の君は、「そのような女御の身分としてでも、どうして尚侍の君が源氏をお世話申し上げて過ごしなさらなかったのだろう。宮仕えにも限りがあって、格別に身分が離れていらっしゃるわけでもなかったのに、故宮(弘徽殿の大后)が何かと心を尽くしなさって、よくない騒ぎのために軽々しいお噂まで立って、終わってしまったのだ」などと、思い出される。
名残の多く残っているであろうお話の締めくくりには、なるほど、まだ続きを残しておきたいことであるようだが、源氏はご自身を心のままにはおできにならず、大勢の人目もたいそう恐ろしく遠慮されるので、日がだんだん昇っていくにつれて気がせいて、廊の戸口に御車を寄せた人々も、そっと咳払いをして申し上げる。源氏は、人を呼んで、あの咲きかかっている藤の花を一枝折らせなさった。「しづみしも忘れぬものをこりずまに身をなげつべきやどの藤波(身を沈めた須磨のつらさも忘れていないのに、懲りずにまた身を投げてしまいそうな、この家の藤の花よ)」。たいそうひどく思い悩んで、物に寄りかかっていらっしゃるのを、中納言の君はお気の毒に拝見する。女君も、今さらにたいそう気がひけて、さまざまに思い乱れていらっしゃるが、花の陰はやはり慕わしくて、「身をなげむふちもまことの淵ならでかけじやさらにこりずまの波(身を投げるという淵も、本当の淵ではないのですから、懲りずにまた袖を濡らすようなことはいたしません)」。たいそう若々しいお振る舞いを、ご自身の心でも許されないことだとお思いになりながら、関守の守りが固くない油断からであろうか、源氏はたいそうよく約束しておいてお帰りになる。
意訳
源氏と朧月夜は涙の歌を交わし、朧月夜は心を許してしまう。
春の朝、源氏は昔の花の宴を思い出し、藤の花を折って歌を詠み、また会う約束をして帰る。
語釈・文法注
文法
- 掛詞「逢坂」(逢坂のさもせきがたく)
- 「逢ふ」と地名の「逢坂」を掛ける。逢坂の関から「せき(関・塞き)」を導く。
- 「こりずま」(こりずまに身をなげつべき)
- 「懲りず」と地名の「須磨」を掛ける。須磨に流された苦しみに懲りずに、という意味。
- 推量の「けむかし」(この頃のことなりけむかし)
- 過去推量の「けむ」に念押しの「かし」。「この頃のことであったろうよ」。
解説
源氏と朧月夜の再会は、花宴の巻の「朧月夜に似るものぞなき」と口ずさんでいた出会いを思い起こさせる。その時も藤の花の頃であった。四十歳の源氏と、朱雀院の出家を見送った朧月夜とが、ふたたび禁じられた逢瀬を重ねる。
朧月夜は「もとよりづしやかなる所はおはせざりし人」と語られる。しっかりした判断より、情に流されやすい性格である。その弱さを知りながら、源氏は「こりずまに」と詠みかける。須磨流謫の原因となった恋に、懲りずにまた身を投げようとする源氏の姿には、老いを拒む情熱が表れている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、616–619頁(コマ19–20)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日