源氏物語 第34帖 若菜上(17)
子の日の祝宴
玉鬘は、鬚黒との間の幼い二人の男君も連れてきた。源氏は、年を重ねても自分では若いつもりだが、こうした孫たちを見ると思い知らされる、夕霧の子にもまだ会っていない、今日の子の日はうらめしいと言う。玉鬘は「若葉さす」の歌で源氏の長寿を祈り、源氏は「小松原」の歌で応じる。上達部たちが南の廂に着き、式部卿宮も遅れて参上する。宴が始まり、太政大臣が用意した名器で、ひそやかな管絃の遊びが催される。太政大臣秘蔵の和琴を柏木が弾き、父に劣らぬ見事な音色に人々は感じ入る。

- 1幼幼おさなききき君君きみもももいといといと美美うつくしくしくしくててて物物ものししし給給たまふふう。。。かんかんかんののの君君きみははは打打うちちち續續つづきききてててももも御覽御覽ごらんぜぜぜられられられじじじとととのたまひのたまひのたまいけるけるけるををを大大だい將將しょうのののかゝるかゝるかかる序序ついでにににだにだにだに御覽御覽ごらんぜぜぜさせさせさせむむんとてとてとて、、、二二ふた人人り同同おなじじじやうやうようににに振振ふり分分わけ髮髮がみののの何何なに心心ごころなきなきなき直直のう衣衣し姿姿すがたどもどもどもにてにてにておはすおはすおわす。。。「「「過過すぐるぐるぐるよはひよはひよわいもももみづからみづからみずからののの心心こころにににはははことことことににに思思おもひひい咎咎とがめめめられられられずずず、、、唯唯ただ昔昔むかしながらながらながらののの若若わか々々わかしきしきしき有樣有樣ありさまにてにてにて改改あらたむるむるむることことこともももなきなきなきををを、、、かゝるかゝるかかる末末すえ々々ずえのののもよほしもよほしもよおしににになむなむなんなまなまなまはしたなきはしたなきはしたなきまでまでまで思思おもひひい知知しらららるゝるゝるる折折おりももも侍侍はべりりりけるけるける。。。中中ちゅう納納な言言ごんのののいつしかいつしかいつしかととと設設もうけけけたなるたなるたなるをををうとうとしくうとうとしくうとうとしく思思おもひひい隔隔へだてててゝゝてまだまだまだ見見みせせせずずずかしかしかし。。。人人ひとよりよりより殊殊ことににに數數かぞへへえとりとりとりけるけるける今今け日日きょうののの子子ねののの日日ひこそこそこそ猶猶なおうれたけれうれたけれうれたけれ。。。しばししばししばしははは老老おいををを忘忘わすれれれてててももも侍侍はべるるるべきべきべきををを」」」ととと聞聞きこえええたまふたまふたまう。。。かんかんかんののの君君きみもももいといといとよくよくよくねびねびねびまさりまさりまさりものものものものしきものしきものしきけけけさへさへさへ添添そひひいててて見見みるるるかひかひかいあるあるあるさまさまさまししし給給たまへへえりりり。。。「「「若若わか葉葉ばさすさすさすのべのべのべののの小小こ松松まつをををひきひきひきつれつれつれてててもともともとののの岩岩いわ根根ねをををいのるいのるいのる今今け日日きょうかなかなかな」」」とととせめてせめてせめておとなびおとなびおとなび聞聞きこえええ給給たまふふう。。。沈沈じんののの折折お敷敷しき四四よつつつしししててて御御おん若若わか菜菜なさまさまさまばかりばかりばかりまゐれまゐれまいれりりり。。。御御おんかはらけかはらけかわらけ取取とりりり給給たまひひいててて、、、「「「小小こ松松まつ原原ばらすゑすゑすえのののよはひよはひよわいにににひかひかひかれれれてててややや野野のべべべのののわかなわかなわかなももも年年としをををつむつむつむべきべきべき」」」などなどなど聞聞きこえええかはしかはしかわし給給たまひひいててて上達部上達部かんだちめあまたあまたあまた南南みなみののの廂廂ひさしにににつきつきつき給給たまふふう。。。
- 2式部式部しきぶ卿卿きょう宮宮のみやははは參參まいりりりにくゝにくゝにくくおぼしおぼしおぼしけれけれけれどどど、、、御御おんせうそこせうそこしょうそこありありありけるけるけるにににかくかくかく親親おやしきしきしき御御おんなからひなからひなからいにてにてにて心心こころあるあるあるやうやうようならならならむむんもももびんなくびんなくびんなくててて日日ひたけたけたけてててぞぞぞ渡渡わたりりり給給たまへへえるるる。。。大大だい將將しょうのののしたりしたりしたり顔顔がおにてにてにてかゝるかゝるかかる御御おんなからひなからひなからいにににうけばりうけばりうけばりてててものしものしものし給給たまふふうももも、、、げにげにげに心心こころやましげやましげやましげなるなるなるわざわざわざなめれなめれなめれどどど御御おんうまごうまごうまごののの君君きん達達だちはははいづかたいづかたいずかたにににつけつけつけてててもももおりおりおり立立たちちちてててざふやくざふやくぞうやくしたまふしたまふしたまう。。。こものこものこものよそよそよそえだえだえだ、、、をりひづをりひづおりひつものものものよそぢよそぢよそじ中中ちゅう納納な言言ごんをををはじめはじめはじめ奉奉たてまつりりりてててさるべきさるべきさるべきかぎりかぎりかぎりとりとりとり續續つづけけけ給給たまへへえりりり。。。御御おんかはらけかはらけかわらけくだりくだりくだり若若わか菜菜なののの御御おん羹羹あつもの參參まいるるる。。。御御お前前まえにににははは沈沈じんのののかけかけかけはんはんはん四四よつつつおほんおほんおおんつきつきつきどもどもどもなつかしくなつかしくなつかしく今今いまめきめきめきたるたるたる程程ほどにににせせせられられられたりたりたり。。。
- 3朱朱す雀雀ざく院院いんののの御御おん藥藥くすりのののことことこと猶猶なおたひらぎたひらぎたいらぎはてはてはて給給たまははわぬぬぬににによりよりより樂樂がく人人にんなどなどなどははは召召めさささずずず。。。御御おん笛笛ふえなどなどなどおほきおほきおおきおとゞおとゞおとどのののそのそのその方方かたはははとゝのへとゝのへととのえ給給たまひひいててて、、、世世よののの中中なかにににこのこのこの御御おん賀賀がよりよりより又又また珍珍めずらしくしくしく淸淸きよらららををを盡盡つくすすすべきべきべきことことことあらあらあらじじじとととのたまひのたまひのたまいててて勝勝すぐれれれたるたるたるねねねのののかぎりかぎりかぎりをををかねてかねてかねてよりよりよりおぼしおぼしおぼし設設もうけけけたりたりたりけれけれければばば忍忍しのびやかびやかびやかににに御御おん遊遊あそびありありあり。。。とりどりとりどりとりどりににに奉奉たてまつるるる中中なかににに和和わ琴琴ごんはははかのかのかのおとゞおとゞおとどののの第第だい一一いちににに秘秘ひししし給給たまひひいけるけるける御御おん琴琴ことなりなりなり。。。さるさるさるものものものゝゝの上手上手じょうずののの心心こころををを留留とどめめめてててひきひきひき鳴鳴ならしらしらし給給たまへへえるるるねねねいといといとならびならびならびなきなきなきををを、、、ことことことひとひとひとははは搔搔かきききたてたてたてにくゝにくゝにくくししし給給たまへへえばばば、、、右右う衛衛え門門もん督督かみのののかたくかたくかたくいなぶるいなぶるいなぶるをををせめせめせめ給給たまへへえばばば、、、げにげにげにいといといとおもしろくおもしろくおもしろくをさをさをさをさおさおさ劣劣おとるるるまじくまじくまじくひくひくひく。。。何事何事なにごとももも上手上手じょうずのののつぎつぎつぎととといひいひいいながらながらながらかくかくかくしもしもしも得得えつがつがつがぬぬぬわざわざわざぞぞぞかしかしかしととと心心こころにくゝにくゝにくく哀哀あわれににに人々人々ひとびとおぼすおぼすおぼす。。。
現代語訳
幼い君たちも、たいそうかわいらしくいらっしゃる。尚侍の君は、続けて産んだ子どもたちをお目にかけまいとおっしゃっていたのを、大将が、このような機会にでもお目にかけようといって、二人同じように振り分け髪の、無邪気な直衣姿でいらっしゃる。源氏は、「過ぎていく年齢も、自分の心では特に気にとめることもなく、ただ昔のままの若々しい様子で改めることもないのに、このような孫たちに促されて、何となくきまり悪いほど、思い知らされる折もあるのですね。中納言(夕霧)が早くも子をもうけたそうだが、よそよそしく隔てて、まだ見せてくれないのですよ。人より特に年を数えて祝ってくださる今日の子の日こそ、やはりうらめしい。しばらくは老いを忘れてもいられるはずなのに」と申し上げなさる。尚侍の君も、たいそうよく大人びて、重々しい気配まで加わって、見るかいのある様子をしていらっしゃる。「若葉さすのべの小松をひきつれてもとの岩根をいのる今日かな(若葉の芽ぐむ野辺の小松を引き連れて、もとの岩根〈源氏〉の長寿を祈る今日ですこと)」と、つとめて大人らしく申し上げなさる。沈の折敷四つに、御若菜を形ばかり差し上げた。源氏は御杯をお取りになって、「小松原すゑのよはひにひかれてや野べのわかなも年をつむべき(小松原の末長い齢にあやかって、野辺の若菜〈私〉も、年を積んで長生きするのだろうか)」などと申し交わしなさって、上達部が大勢、南の廂の間にお着きになる。
式部卿の宮は、参上しにくくお思いになったが、お招きのお手紙があったので、このように親しい間柄で、わだかまりがあるようなのも具合が悪くて、日が高くなってからお越しになった。大将(鬚黒)が得意顔で、このような間柄に我が物顔でいらっしゃるのも、なるほど不愉快なことであろうが、宮の御孫の君たちは、どちらにつけても身を入れて雑役をなさる。籠物四十枝、折櫃物四十を、中納言をはじめとして、しかるべき人々が次々と取り次いで差し上げなさった。御杯が回り、若菜の御羹を差し上げる。源氏の御前には、沈の懸盤四つ、御器の類が、親しみやすく当世風な様子に調えられていた。
朱雀院のご病気がまだすっかりお治りにならないので、楽人などはお召しにならない。御笛などは、太政大臣がその方面のことはお整えになって、「世の中に、この御賀よりほかに、また珍しく美を尽くすべきことはあるまい」とおっしゃって、優れた音色の楽器ばかりを、かねてからご用意なさっていたので、ひそやかに管絃の御遊びがある。それぞれに差し上げる中で、和琴は、あの大臣が第一に秘蔵していらっしゃった御琴である。そのような名手が心をこめて弾き鳴らしていらっしゃった音は、たいそう並ぶものがないので、ほかの人は弾きにくくしていらっしゃるので、右衛門督(柏木)が固く辞退するのを、無理にお勧めになると、なるほどたいそう趣深く、ほとんど劣らないほどに弾く。何事も名手の跡継ぎとはいいながら、これほどまでには受け継げないものだと、奥ゆかしく、しみじみと人々はお思いになる。
意訳
玉鬘は二人の子を連れてきて、源氏は孫たちを見て老いを思い知らされる。二人は長寿を祝う歌を交わす。
式部卿宮も参上して宴が始まり、柏木が太政大臣秘蔵の和琴を見事に弾く。
語釈・文法注
文法
- 掛詞「つむ」(野べのわかなも年をつむべき)
- 若菜を「摘む」と、年を「積む」を掛ける。
- 「たなる」(いつしかと設けたなるを)
- 完了の「たる」+伝聞の「なる」の「たんなる」の「ん」が表記されない形。「早くももうけたそうだが」。
- 「うれたし」(今日の子の日こそ猶うれたけれ)
- いまいましい、うらめしい。年を数えさせられることを冗談めかして恨んでいる。
解説
玉鬘の歌の「小松」は自分の子どもたち、「もとの岩根」は源氏を指す。子どもたちを連れて源氏の長寿を祈る歌である。源氏の返歌は、その小松にあやかって長生きしようと応じつつ、年を重ねることを素直には喜べない心をにじませている。
柏木が和琴を弾く場面は、柏木がこの巻で本格的に登場する最初の場面である。父の太政大臣に劣らない腕前は、柏木の才能と、名門の嫡男としての期待とを示している。この才能ある青年が、やがて女三の宮への思いに身を滅ぼしていく。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、604–607頁(コマ13–14)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日