源氏物語 第34帖 若菜上(10)
源氏の思惑
東宮の意見に意を強くした朱雀院は、まず左中弁を通じて源氏に内意を伝える。源氏は、院の余命が短いといっても自分もいつまで生きられるかわからないと言い、皇女たちの世話はするとしても、自分一人を頼られる夫となるのは、かえって死出の妨げになると辞退する。夕霧なら将来は朝廷の後見ともなる人だが、妻が決まっているので院も遠慮しているのだろうと言う。左中弁が院の決意の固さを詳しく語ると、源氏はほほえみながら、それならむしろ帝に入内させるのがよい、後から入内しても、かつて藤壺の中宮が弘徽殿の大后をしのいだ例もあると言う。そして、女三の宮の母は藤壺の中宮の妹で、器量もよいと言われた人だったので、宮も並々の美しさではあるまいと、心ひかれる。

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現代語訳
院は、東宮がたいそうよくお考えになっておっしゃったと、いよいよお心を固めなさって、まずあの左中弁を使いとして、とりあえず内意をお伝え申し上げなさった。源氏は、この宮のことをこのようにお思い悩んでいらっしゃる様子は、以前から皆聞いていらっしゃったので、「お気の毒なことであるようだね。そうではあっても、院の御寿命が残り少ないといって、私がまた、どれほど院に遅れて生き残り申し上げるはずだと思って、そのご後見のことをお引き受け申し上げられようか。なるほど、順序を誤らずに、私がもうしばらく生き残っている限りは、大体のことにつけては、どの皇女たちのことも、よそごとに聞き捨て申し上げるべきではないけれど、またこのように取り分けてお頼みを承った宮のことは、特に後見申し上げようと思うが、それさえたいそう定めのない世のならいだからね」とおっしゃって、「まして、ひたすらに頼りにされ申し上げるような夫婦の間柄として親しみ慣れ申し上げることは、かえって次々と、私が世を去る時に、気の毒で、自分のためにも浅くない妨げとなるだろう。中納言(夕霧)などは、年が若く軽々しいようだけれど、将来は遠くて、人柄も、ついには朝廷のご後見ともなるはずの将来性のようなので、そのようにお考えになったら、どうしてこの上ないことでないことがあろうか。けれども、たいそうまじめになって、思う人が定まっているようなので、それに遠慮なさっているのだろうか」などとおっしゃって、ご自身は思い離れている様子であるのを、
左中弁は、院のお決めになったことは並々ではないのに、このようにおっしゃるので、気の毒にも残念にも思って、院が内々に思い立っていらっしゃる様子などを詳しく申し上げると、源氏はさすがにほほえみながら、「たいそうかわいがっていらっしゃる御子のようなので、むやみにこのように、過去や将来のことまで深くお考えになるのだろうね。ただ帝に差し上げなさればよいのだ。高貴な先の方々がいらっしゃるということは、つまらないことだ。それにさしさわるはずのことでもない。必ずしも、後から入内した人が劣るということもない。故院の御代に、大后(弘徽殿の大后)が東宮の最初の女御として勢いがよかったけれど、ずっと後に入内なさった入道の宮(藤壺の中宮)に、しばらくは圧倒されなさったのだよ。この宮の御母女御こそは、あの入道の宮の御妹でいらっしゃったのだろう。容貌も、入道の宮に次いではたいそうよいと言われなさった人だったので、どちらにつけても、この姫宮は並々の器量ではまさかいらっしゃるまいが」などと、心ひかれてお思い申し上げなさるようだ。
意訳
源氏は、自分も先が長くないと言って辞退し、夕霧を推すようなことを言う。
しかし左中弁が院の決意を詳しく語ると、源氏は、女三の宮が藤壺の中宮の姪であることを思い、心ひかれる。
語釈・文法注
文法
- 反語の「とてか…む」(いくばく立ち後れ奉るべきとてかその御うしろみの事をば受け取り聞えむ)
- 「どれほど遅れて生き残るはずだと思って、ご後見を引き受けられようか、いや、引き受けられない」。
- 「あなる」(心苦しき御事にもあなるかな)
- 「あるなる」の撥音便「あんなる」の「ん」が表記されない形。伝聞・推定。「お気の毒なことであるようだね」。
- 「けめ」(御はらからにものし給ひけめ)
- 過去推量の「けむ」の已然形。「こそ」に応じる。「妹でいらっしゃったのだろう」。
解説
源氏は表向き辞退しながら、左中弁の話を聞いてほほえみ、女三の宮が藤壺の中宮の姪であることに思いを寄せる。若紫の巻で、藤壺のゆかりとして紫の上を見いだしたのと同じ心の動きが、ここでも繰り返されている。
源氏の言う「むげの末に參り給へりし入道宮に…おされ給ひにきかし」という先例は、藤壺の中宮の栄光を思い起こしたものである。源氏の心の奥には、今なお藤壺への思慕が生きている。この「いぶかしさ」が、降嫁を受け入れる決め手となっていく。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、596–597頁(コマ9)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日