源氏物語 第34帖 若菜上(3)
夕霧の見舞い
年の暮れにかけて朱雀院の病は重くなり、院は今度こそ最期かと思う。源氏からはたびたび見舞いがあり、源氏自身も参上すると聞いて、院はたいそう喜ぶ。夕霧(中納言)が見舞いに参ると、院は御簾の内に招き入れて語る。桐壺院の遺言で源氏と冷泉帝のことを託されながら、源氏の須磨退去を防げなかったことを悔い、源氏が恨みを見せず、東宮にも心を寄せてくれることに感謝し、対面したいと伝えてほしいと言う。夕霧は、父が昔のことを恨んだことはなく、院のもとへ自由に参れない身を嘆いていると答える。

- 1朝朝あさ夕夕ゆうにににこのこのこの御御おん事事ことをををおぼしおぼしおぼし歎歎なげくくく。。。年年とし暮暮くれれれ行行ゆくくくまゝまゝままににに、、、御御おん惱惱なやみみみ誠誠まことににに重重おもくくくなりなりなりまさらまさらまさらせせせ給給たまひひいてててみすみすみすのののとととにににももも出出いでででさせさせさせ給給たまははわずずず、、、御御おんものものものゝけゝけのけにてにてにて時時とき々々どき惱惱なやままませせせ給給たまふふうことことこともももありありありつれつれつれどどど、、、いといといとかくかくかくうちうちうちはへはへはえをやみをやみおやみなきなきなきさまさまさまにににはははおはしまさおはしまさおわしまさゞりゞりざりつるつるつるををを、、、このこのこの度度たびははは猶猶なお限限かぎりなりなりなりとととおぼしめしおぼしめしおぼしめしたりたりたり。。。御御おん位位くらいををを去去さらららせせせ給給たまへへえれれれどどど、、、猶猶なおそのそのその世世よにににたのみたのみたのみそめそめそめ奉奉たてまつりりり給給たまへへえるるる人々人々ひとびとははは今今いまももも懷懷なつかしくかしくかしくめでたきめでたきめでたき御御おん有樣有樣ありさまををを心心こころやりやりやり所所どころににに參參まいりりり仕仕つかうまつりうまつりうまつり給給たまふふうかぎりかぎりかぎりははは心心こころをををつくしつくしつくしててて惜惜おしみみみ聞聞きこえええ給給たまふふう。。。六六ろく條條じょう院院いんよりよりよりももも、、、御御おんとぶらひとぶらひとぶらいしばしばしばしばしばしばありありあり、、、みづからみづからみずからももも參參まいりりり給給たまふふうべきべきべきよしよしよし聞聞きこしめししめししめしててて院院いんはははいといといといたくいたくいたく喜喜よろこびびび聞聞きこえええさせさせさせ給給たまふふう。。。中中ちゅう納納な言言ごんののの君君きみ參參まいりりり給給たまへへえるるるをををみすみすみすののの內內うちににに召召めししし入入いれれれててて御御おん物語物語ものがたりこまやかこまやかこまやかなりなりなり。。。
- 2「「「故故こ院院いんののの上上うえののの今今いまははわのののきざみきざみきざみにににあまたあまたあまた御御おん遺遺ゆい言言ごんありありありししし中中なかにににこのこのこの院院いんののの御御おんことことこと今今いまののの內內うちののの御御おんことことことなむなむなんとりわきとりわきとりわきてててのたまひのたまひのたまいおきおきおきしししををを、、、おほやけおほやけおおやけとととなりなりなりてててことことことかぎりかぎりかぎりありありありけれけれければばば內內うち々々うちののの心心こころよせよせよせははは變變かわらららずずずながらながらながらはかなきはかなきはかなきことことことあやまりあやまりあやまりににに心心こころおかおかおかれれれ奉奉たてまつるるることことこともももありありありけむけむけんととと思思おもふふうををを、、、年年とし頃頃ごろことことことにににふれふれふれてててそのそのその恨恨うらみみみ殘殘のこししし給給たまへへえるるる氣色氣色けしきをををなむなむなん漏漏もらしらしらし給給たまははわぬぬぬ。。。さかしきさかしきさかしき人人ひとととといへいへいえどどど身身みののの上上うえににになりなりなりぬれぬれぬればばばことことことたがひたがひたがいててて心心こころ動動うごききき、、、必必かならずずずそのそのそのむくいむくいむくい見見みえええ、、、ゆがめるゆがめるゆがめることことことなむなむなんいにしへいにしへいにしえだにだにだに多多おおかりかりかりけるけるける。。。いかならいかならいかならむむんをりをりおりにににかかかそのそのその御御おん心心こころばへばへばえほころぶほころぶほころぶべからべからべからむむんととと世世よののの人人ひともももおもむけおもむけおもむけ疑疑うたがひひいけるけるけるををを、、、つひにつひについに忍忍しのびびび過過すぐしぐしぐし給給たまひひいててて春宮春宮とうぐうなどなどなどにににももも心心こころをををよせよせよせ聞聞きこえええ給給たまふふう。。。今今いまはたはたはた又又またなくなくなく親親おやしかるしかるしかるべきべきべき中中なかとととなりなりなりむつびむつびむつびかはしかはしかわし給給たまへへえるるるももも限限かぎりなくなくなく心心こころにににははは思思おもひひいながらながらながら、、、本本ほん性性じょうのののおろかおろかおろかなるなるなるににに添添そへへえてててこのこのこの道道みちののの闇闇やみににに立立たちちちまじりまじりまじり、、、かたくなかたくなかたくなゝるゝるなるさまさまさまにににやややとてとてとて、、、なかなかなかなかなかなかよそよそよそのののことことことににに聞聞きこえええ放放はなちちちたるたるたるさまさまさまにてにてにて侍侍はべるるる。。。
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- 4中中ちゅう納納な言言ごんののの君君きみ、、、「「「過過すぎぎぎ侍侍はべりりりにににけむけむけんかたかたかたははは、、、ともかくもともかくもともかくも思思おもううう給給たまへへえわきわきわき難難かたくくく侍侍はべりりり。。。年年としまかりまかりまかり入入いりりり侍侍はべりりりててておほやけおほやけおおやけにににももも仕仕つかうまつりうまつりうまつり侍侍はべるるるあひだあひだあいだ世世よののの中中なかののの事事ことををを見見み給給たまへへえまかりまかりまかりありくありくありく程程ほどにににははは、、、大大だい小小しょうのののことことことにににつけつけつけてててももも內內うち々々うちのののさるべきさるべきさるべき物語物語ものがたりなどなどなどのののついでついでついでにににもももいにしへいにしへいにしえのののうれはしきうれはしきうれわしき事事ことありありありてててなむなむなんなどなどなど、、、うちうちうちかすめかすめかすめ申申もうさささるゝるゝるる折折おりははは侍侍はべらららずずずなむなむなん。。。かくかくかくおほやけおほやけおおやけののの御御おんうしろみうしろみうしろみををを仕仕つかうまつりうまつりうまつりさしさしさしててて靜靜しずかなるなるなる思思おもひひいをををかなへかなへかなえむむんととと、、、ひとへひとへひとえににに籠籠こもりりり居居いししし後後のちははは、、、何事何事なにごとをををももも知知しらららぬぬぬやうやうようにてにてにて故故こ院院いんののの御御おんゆゐごんゆゐごんゆいごんののの事事こともももえええ仕仕つかうまつらうまつらうまつらずずず、、、御御おん位位くらいににに坐坐おわしましゝしましゝしましし世世よにににははは齡齡よわいののの程程ほどももも身身みのののうつはものうつはものうつわものももも及及およばばばずずず、、、かしこきかしこきかしこきかみかみかみののの人々人々ひとびと多多おおくくくててて、、、そのそのその志志こころざしをををとげとげとげててて御覽御覽ごらんぜぜぜらるゝらるゝらるることことこともももなかりなかりなかりききき。。。今今いまかくかくかくまつりごとまつりごとまつりごとをををさりさりさりててて靜靜しずかにににおはしますおはしますおわします比比ころほひほひおい心心こころのののうちうちうちをををももも隔隔へだてなくなくなく、、、參參まいりりりうけたまはらうけたまはらうけたまわらまほしきまほしきまほしきををを、、、さすがにさすがにさすがに何何なにとととなくなくなく所所ところせきせきせき身身みのののまそほひまそほひまそおいにてにてにておのづからおのづからおのずから月月つき日日ひををを過過すぐすぐすぐすことことことゝゝとなむなむなん折々折々おりおり歎歎なげききき申申もうししし給給たまふふう」」」などなどなど奏奏そうししし給給たまふふう。。。
現代語訳
院は朝夕、この宮のことをお嘆きになる。年が暮れていくにつれて、ご病気は本当に重くなっていかれて、御簾の外にもお出ましにならない。御物の怪のために時々お苦しみになることもあったが、これほどずっと絶え間ないご様子ではいらっしゃらなかったのに、今度はやはり最期であるとお思いになった。御位はお退きになったけれど、やはりその御代に頼みにし申し上げた人々は、今も慕わしく立派なご様子を心の慰めとして参上してお仕えなさる者は皆、心を尽くしてお惜しみ申し上げなさる。六条院(源氏)からも、お見舞いがたびたびあり、ご自身でも参上なさるはずだということをお聞きになって、院はたいそうお喜びになる。中納言の君(夕霧)が参上なさったのを、御簾の内にお召し入れになって、お話をこまやかになさる。
「故院(桐壺院)が臨終の折に、多くのご遺言があった中で、この院(源氏)のことと、今の帝(冷泉帝)のこととを、とりわけておっしゃっておかれたのだが、私は帝となって、何かと制約があったので、内々の好意は変わらないながらも、ちょっとした過ちのために、恨まれ申し上げることもあっただろうと思うのに、源氏の院は長年、何かにつけてその恨みを残していらっしゃるような様子をお漏らしにならない。賢い人といっても、自分の身の上のこととなると、勝手が違って心が動き、必ずその仕返しが見え、ゆがんだことをするのが、昔でさえ多かったのだ。いつの折にかそのお心が表に出るだろうかと、世の人も推し量って疑っていたのに、とうとう我慢してお過ごしになって、東宮などにも心を寄せ申し上げなさる。今はまたとなく親しい間柄となって睦み合っていらっしゃるのも、この上なく心にはありがたく思いながら、生まれつきの愚かさに加えて、子を思う心の闇に迷い込み、見苦しい様子であろうかと思って、かえってよそごとのように申し上げずにいるのです。
今の帝のことは、あの故院のご遺言どおりにお譲り申し上げたので、このように末の世の賢明な君として、過去の私の不面目をも取り戻してくださるのが、本意どおりたいそううれしいのです。この秋の行幸の後、昔のことも思い合わせて、源氏の院が懐かしく、お目にかかりたく思われます。直接お会いして申し上げたいこともございます。ぜひご自身でお見舞いくださるよう、お勧め申し上げてください」などと、涙ぐみながらおっしゃる。
中納言の君は、「過ぎ去ってしまったことは、何とも存じ分けかねます。成人いたしまして、朝廷にもお仕えいたします間、世の中のことを見聞きしてまいりますうちには、大小のことにつけても、内々のしかるべき話のついでにも、昔つらいことがあってなどと、ほのめかし申されることはございません。『こうして朝廷のご後見を途中でやめて、静かな暮らしの願いをかなえようと、ひたすら籠もってしまってからは、何事も知らないようにして、故院のご遺言のこともお仕えできず、院が御位にいらっしゃった御代には、年齢も器量も及ばず、優れた上の人々も多くて、その志を遂げてご覧に入れることもなかった。今このように政治をお退きになって、静かにいらっしゃるこの頃こそ、心の内も隔てなく参上して承りたいのだが、さすがに何となく窮屈な身の上のために、自然と月日を過ごしてしまう』と、折々嘆いていらっしゃいます」などと奏上なさる。
意訳
朱雀院の病は重くなり、見舞いに来た夕霧に、源氏への感謝と対面したいという思いを伝える。
夕霧は、源氏が昔のことを恨んだことはなく、院のもとへ参れないのを嘆いていると答える。
語釈・文法注
文法
- 「この道の闇」(この道の闇に立ちまじり)
- 子を思う親心の迷い。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰集・藤原兼輔)による。
- 「御おもてぶせ」(きし方の御おもてぶせをもおこし給ふ)
- 面目を失うこと、不名誉。冷泉帝の賢明な治世が、朱雀院自身の治世の不面目をも償ってくれる、という気持ち。
- 「思う給へ」(思う給へわき難く侍り)
- 「思ひ給へ」のウ音便。下二段の「給ふ」は謙譲語で、「存じます」。
解説
朱雀院は、源氏が須磨に退去した頃の不和を、自分の不明として悔いている。源氏がその恨みを表に出さなかったことを、院は「つひに忍び過ぐし給ひて」と高く評価する。この信頼が、のちに女三の宮を源氏に託す理由となる。
朱雀院が「この道の闇」と言うのは、子を思う親の迷いを述べたもので、すでに女三の宮のことが念頭にある。夕霧への語りかけは、夕霧自身を婿の候補として見定める場でもあったことが、次の場面で明かされる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部2(源氏物語 下) 板倉屋書房、明治36年(1903)、586–589頁(コマ4–5)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日