源氏物語 第14帖 澪標(2)
冷泉帝の即位と源氏の内大臣就任
翌年二月、東宮が元服する。東宮は源氏に瓜二つで、藤壺は心を痛める。同じ月、朱雀帝は譲位し、冷泉帝が即位する。源氏は内大臣となり、致仕していた左大臣(もとの頭中将の父)が摂政太政大臣として復帰する。左大臣家の一族は再び栄え、源氏はその子の多さを羨む。

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- 2いといといとまばゆきまばゆきまばゆきまでまでまで光光ひかりりりあひあひあい給給たまへへえるるるををを世世よののの人人ひとめでたきめでたきめでたきものものものににに聞聞きこゆれゆれゆれどどど、、、母宮母宮ははみやはははいみじういみじういみじゅうかたはらいたきかたはらいたきかたわらいたきことことことにににあいなくあいなくあいなく御心御心みこころををを盡盡つくししし給給たまふふう。。。內內うちにににもももめでたしめでたしめでたしととと見見み奉奉たてまつりりり給給たまひひいててて世世よのののなかなかなか讓讓ゆずりりり聞聞きこえええ給給たまふふうべきべきべきことことことなどなどなどなづかしうなづかしうなずかしゅう聞聞きこえええ知知しらららせせせ給給たまふふう。。。
- 3同同おなじじじ月月つきののの廿餘日廿餘日はつかあまりのののことことこと俄俄にわかなれなれなればばばおほきさきおほきさきおおきさきおぼしおぼしおぼしあわてあわてあわてたりたりたり。。。「「「かひかひかいなきなきなきさまさまさまながらながらながらももも心心こころのどかのどかのどかににに御覽御覽ごらんぜぜぜらるらるらるべきべきべき事事ことををを思思おもふふうなりなりなり」」」とととぞぞぞ聞聞きこえええ慰慰なぐさめめめ給給たまひひいけるけるける。。。坊坊ぼうにににはははしようきやうしようきやうしようきょう殿殿でんのののみこみこみこ居居い給給たまひひいぬぬぬ。。。
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現代語訳
翌年の二月に、東宮のご元服の儀があった。十一歳におなりだが、年齢のわりに大きく大人びて美しく、ただ源氏の大納言のお顔を写し取ったようにお見えになる。たいそうまぶしいほどに二人が光り輝き合っていらっしゃるのを、世の人はすばらしいことと申し上げるが、母宮(藤壺)はたいそう居たたまれない思いで、わけもなくお心を痛めなさる。帝も、東宮をすばらしいと拝見なさって、帝位をお譲り申し上げることなどを、親しみ深くお話し申し上げなさる。
同じ月の二十日過ぎに、ご譲位のことが急なので、大后はあわてなさった。帝は「かいのない身ではありますが、心のどかに母上のお世話をしようと思うのです」と申し上げてお慰めになった。東宮には承香殿の女御の皇子がお立ちになった。
世の中が改まって、打って変わって華やかなことが多い。源氏の大納言は内大臣におなりになった。大臣の定員が決まっていて空きもなかったので、定員外に加わりなさったのである。そのまま政治をお執りになるはずだが、源氏は「そのような忙しい職には堪えられません」と言って、致仕の大臣(もとの左大臣)が摂政をなさるべきだとお譲り申し上げなさる。大臣は「病のために官位もお返ししたのに、いよいよ老いが積もって、しっかりした働きはできますまい」と言ってお引き受けなさらない。
「外国でも、政変があって世の中が定まらない時には、深い山に隠れていた人でさえ、治まった世には白髪も恥じずに出て仕えたのを、まことの聖人としたのです。病で引退してお返しになった位を、世の中が変わってまた改めなさるのに、まったく差し支えはない」と、朝廷でも世間でも決められる。そのような先例もあったので、辞退しきれずに太政大臣におなりになる。お年も六十三におなりである。
世の中がおもしろくないので、一方では籠っていらっしゃったのを、また華やかにおなりになったので、ご子息たちなど沈んだようにしていらっしゃったのが、皆浮かび上がりなさる。とりわけ宰相中将(頭中将)は権中納言におなりになる。あの四の君のお腹の姫君が十二歳におなりなのを、宮中に入内させようと大切にお育てになる。あの「高砂」を謡った君も元服させて、たいそう思いどおりである。あちこちのお腹にお子たちがたいそう大勢次々と生まれ育って、にぎやかなのを、源氏の大臣はうらやましくお思いになる。
大殿腹の若君(夕霧)は、人よりことにかわいらしくて、帝と東宮の殿上童をなさる。故姫君(葵の上)が亡くなられた嘆きを、大宮と大臣はまた改めてお嘆きになる。けれども、葵の上がいらっしゃらない後も、ただこの源氏の大臣のご威光によって万事大切に扱われなさって、長年沈んでいらっしゃった名残もないほどに栄えなさる。源氏は今も昔とお心が変わらず、折あるごとにお訪ねになりなどして、若君の乳母たちやそのほかの人々も、長年の間退出して散り散りにならなかった者は、皆しかるべき機会につけて身の落ち着き先をつけようとお考えおきになったので、幸運な人が多くなることだろう。
意訳
翌年二月、源氏に瓜二つの東宮が元服し、藤壺は心を痛める。同じ月に朱雀帝は譲位し、冷泉帝が即位する。新しい東宮には朱雀院の皇子が立つ。
源氏は内大臣となり、致仕していた左大臣が摂政太政大臣として復帰する。左大臣家の一族は再び栄え、権中納言(頭中将)は娘の入内を準備する。源氏は、その子の多さを羨む。
語釈・文法注
- みくにゆづり
- 御国譲り。天皇が位を譲ること。譲位。
- ちじの大臣
- 致仕の大臣。官職を辞して引退した大臣。ここでは葵の上の父である、もとの左大臣を指す。
- たかさご
- 催馬楽「高砂」。賢木の巻の韻塞ぎの宴で、頭中将の次男が美しい声で謡った。
文法
- 打消の接続助詞「で」(すまひはて給はで)
- 「辞退しきれずに」。
- 推量の「べし」(さいはひ人多くなりぬべし)
- 「幸運な人が多くなることだろう」。「ぬ」と組み合わせて、確信の強い推量を表す。
解説
冷泉帝の即位により、源氏は、実の子が帝となるという秘密の栄華を手に入れる。東宮が源氏に瓜二つであることに藤壺が心を痛める描写は、この秘密の重さを改めて読者に思い出させる。
致仕の大臣の復帰は、源氏と左大臣家の結びつきの強さを示す。一方で、権中納言(頭中将)が娘の入内を準備することは、のちに源氏との間に起こる後宮の争いの伏線となる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、284–285頁(コマ145)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日