源氏物語 第13帖 明石(11)
召還の宣旨と明石の君の懐妊
朱雀帝の病は重く、皇子はまだ二歳で幼い。帝は、源氏を後見に立てるべきだと考え、大后の諫めに背いて、七月二十日過ぎ、源氏召還の宣旨を下す。源氏は喜ぶ一方で、明石を去ることを嘆く。そのころ明石の君は懐妊していた。源氏は別れが近づくにつれ、いっそう明石の君をいとしく思い、供人たちはいつもの癖だとささやき合う。

- 1內內うちににに御御おん藥藥くすりのののことことことありありありててて世世よののの中中なかさまざまさまざまさまざまにににのゝしるのゝしるののしる。。。當代當代とうだいののの皇子皇子みこははは右大臣右大臣うだいじんののの御御おんむすめむすめむすめ、、、承香殿承香殿じょうきょうでんののの女御女御にょうごののの御御おん腹腹はらににに、、、男御子男御子おとこみこ生生うまれれれ給給たまへへえるるる、、、二二ふたつつつににになりなりなり給給たまへへえばばばいといといといはけなしいはけなしいわけなし。。。
- 2春宮春宮とうぐうにににこそこそこそははは讓讓ゆずりりり聞聞きこえええ給給たまははわめめめ、、、おほやけおほやけおおやけののの御御おん後見後見うしろみをををししし世世よをををまつりごつまつりごつまつりごつべきべきべき人人ひとをををおぼしおぼしおぼしめぐらすめぐらすめぐらすににに、、、このこのこの源氏源氏げんじのののかくかくかく沈沈しずみみみ給給たまふふう事事こといといといとあたらしうあたらしうあたらしゅう、、、あるあるあるまじきまじきまじきことことことなれなれなればばば、、、遂遂ついににに后后きさきののの御御おんいさめいさめいさめをををももも背背そむきききててて許許ゆるささされれれぬぬぬべきべきべき定定さだめめめ出出いででできききぬぬぬ。。。
- 3去年去年こぞよりよりよりきさききさききさきももも御御おんものゝけものゝけもののけににに惱惱なやみみみ給給たまひひいさまざまさまざまさまざまのののものものものゝゝのさとしさとしさとししきりしきりしきりさわがしきさわがしきさわがしきををを、、、いみじきいみじきいみじき御御おんつゝしみつゝしみつつしみどもどもどもをををししし給給たまふふうしるししるししるしにににややや、、、よろしうよろしうよろしゅうおはしましおはしましおわしましけるけるける。。。御目御目めのののなやみなやみなやみさへさへさへ此頃此頃このごろ重重おもくくくならならならせせせ給給たまひひいててて、、、物物もの心心こころ細細ぼそくくく思思おぼささされれれけれけれければばば、、、
- 4七月七月ふみづき二十二十はつかよよよ日日かののの程程ほどににに又又また重重かさねねねててて京京きょうへへへ歸歸かえりりり給給たまふふうべきべきべき下下くだるるる。。。つひつひついののの事事ことととと思思おもひひいしかしかしかどどど、、、世世よののの常常つねなきなきなきにににつけつけつけてててもももいかにいかにいかになりなりなりはつはつはつべきべきべきにににかかかととと歎歎なげききき給給たまふふうををを、、、かうかうこうにはかにはかにはかなれなれなればばば嬉嬉うれしきしきしきにににつけつけつけてててももも、、、又又またこのこのこの浦浦うらををを今今いまはははととと思思おもひひい離離はなれれれむむん事事ことをををおぼしおぼしおぼし歎歎なげくくくににに、、、
- 5入道入道にゅうどうさるべきさるべきさるべき事事ことととと思思おもひひいながらながらながらうちうちうち聞聞きくくくよりよりより胸胸むねふたがりふたがりふたがりててて覺覺おぼゆれゆれゆれどどど、、、思思おもひひいのののごとごとごと榮榮さかえええ給給たまははわゞゞばこそこそこそははは我我わががが思思おもいのののかなふかなふかなうにににはははあらあらあらめめめなどなどなど思思おもいいいなほすなほすなおす。。。そのそのその頃頃ころはははよがれよがれよがれなくなくなく語語かたらひらひらい給給たまふふう。。。みなつきみなつきみなつきばかりばかりばかりよりよりより心苦心苦こころぐるしきしきしき氣色氣色けしきありありありててて惱惱なやみみみけりけりけり。。。
- 6かくかくかく別別わかれれれ給給たまふふうべきべきべき程程ほどなれなれなればばばあやにくあやにくあやにくなるなるなるにににやややありありありけむけむけん、、、ありありありしししよりよりよりももも哀哀あわれににに思思おぼしししててて怪怪あやしうしうしゅう物物もの思思おもふふうべきべきべき身身みにににもももありありありけるけるけるかなかなかなととと思思おもししし亂亂みだるるる。。。女女おんなははは更更さらにににもももいはいはいわずずず思思おもひひいしづみしづみしずみたりたりたり。。。いといといとことわりことわりことわりややや。。。
- 7思思おもいののの外外ほかににに悲悲かなしきしきしき道道みちににに出出いででで立立たちちち給給たまひひいしかしかしかどどど遂遂ついにににははは行行ゆきききめぐりめぐりめぐりきききなななむむんとととかつはかつはかつわおぼしおぼしおぼし慰慰なぐさめめめききき。。。このこのこの度度たびははは嬉嬉うれしきしきしき方方かたののの御御おん出立出立いでたちののの又又またやややはははかへりかへりかえり見見みるるるべきべきべきととと思思おぼすすすににに哀哀あわれなりなりなり。。。侍侍さぶらふふう人々人々びともももほどほどほどほどほどほどにににつけつけつけてててははは喜喜よろこびびび思思おもふふう。。。
- 8京京きょうよりよりよりももも御御おん迎迎むかえににに人々人々びと參參まいりりり心地心地ここちよげよげよげなるなるなるををを、、、あるじあるじあるじののの入道入道にゅうどう淚淚なみだにににくれくれくれててて月月つきももも立立たちちちぬぬぬ程程ほどさへさへさへ哀哀あわれなるなるなる空空そらののの氣色氣色けしきににに、、、なぞなぞなぞややや心心こころづからづからづから今今いまももも昔昔むかしもももすゞろすゞろすずろなるなるなる事事ことにてにてにて身身みをををはふらかすはふらかすはふらかすらむらむらんとととさまざまさまざまさまざまにににおぼしおぼしおぼし亂亂みだるるる。。。
- 9心心こころををを知知しれれれるるる人々人々びとははは、、、あなあなあなにくにくにく例例れいののの御御おん癖癖くせぞぞぞととと見見み奉奉たてまつりりりむづかるむづかるむずかるめりめりめり。。。月比月比つきごろはははつゆつゆつゆ人人ひとににに氣色氣色けしき見見みせせせずずず時々時々ときどきかいかいかいまぎれまぎれまぎれなどなどなどししし給給たまへへえるるるつれなさつれなさつれなさををを、、、このこのこの頃頃ころあやにくあやにくあやにくににに、、、なかなかなかなかなかなかののの人人ひとののの心心こころづくしづくしづくしにににとととつきつきつきじろふじろふじろう。。。少納言少納言しょうなごんしるべしるべしるべしししててて聞聞きこえええ出出いでででししし始始はじめののの事事ことなどなどなどさゝめきさゝめきささめきあへあへあえるるるをををたゞたゞただならならならずずず思思おもへへえりりり。。。
現代語訳
帝がご病気になって、世の中がさまざまに騒がしい。今上帝の皇子は、右大臣の御娘の承香殿の女御のお腹に男の皇子がお生まれになっていたが、二歳におなりなので、たいそう幼い。東宮にこそ帝位をお譲りになるだろうが、朝廷の後見をして政治を執るべき人をお考えめぐらしになると、この源氏がこのように沈んでいらっしゃるのは、たいそう惜しく、あってはならないことなので、ついに大后のお諫めにも背いて、許されるはずの決定が出た。
去年から、大后も物の怪にお悩みになり、さまざまの物のさとしがしきりで騒がしいのを、厳しい御物忌みなどをなさったかいがあってか、よくおなりになったのだった。帝のお目の病までこのごろ重くおなりになって、何となく心細くお思いになったので、七月二十日過ぎに、重ねて京へお帰りになるようにとの宣旨が下る。
源氏は、最後にはこうなることと思っていたが、世の無常につけても、どうなってしまうのだろうと嘆いていらっしゃったのに、このように急なことなので、うれしいにつけても、またこの浦を今は思い離れることをお嘆きになる。入道も、当然のこととは思いながら、聞くなり胸がふさがる思いがするが、思いどおりに源氏が栄えなさってこそ、自分の願いもかなうのだなどと思い直す。
そのころは、夜離れもなく明石の君のもとにお通いになって語らいなさる。六月ごろから、明石の君は苦しそうな様子があって、身ごもって具合が悪かった。このように別れなければならない時なので、あいにくなことであったのだろうか、以前よりもしみじみといとしくお思いになって、不思議に物思いをしなければならない身であるよと、思い乱れなさる。女は言うまでもなく、思い沈んでいた。たいそうもっともなことである。
思いがけず悲しい旅に出かけなさった時も、いつかは帰ってくるだろうと、一方では心を慰めていらっしゃった。今度はうれしい方のご出立で、またこの浦を顧みることがあるだろうかとお思いになると、しみじみと悲しい。お仕えする人々は、それぞれの身分に応じて喜んでいる。
京からもお迎えに人々が参上して、気分がよさそうなのに、主の入道は涙にくれて、月も替わってしまった。季節までがしみじみとした空の様子に、どうして自分から、今も昔もつまらないことで身を持ち崩すのだろうと、さまざまに思い乱れなさる。
事情を知っている人々は、ああ憎らしい、いつものご癖だと拝見して、不満に思っているようだ。何か月も、まったく人に様子を見せず、時々こっそりと通っていらっしゃったのに、このごろはあいにくなことに、かえって人の心を苦しめることだと、つつき合っている。少納言(良清)が手引きして、最初に娘のことを申し上げたことなどをささやき合っているのを、良清は穏やかでなく思っていた。
意訳
朱雀帝の病は重く、皇子はまだ幼い。帝は、源氏を後見に立てるべきだと考え、大后の諫めに背いて、源氏召還の宣旨を下す。源氏は喜ぶ一方で、明石を去ることを嘆く。
そのころ明石の君は懐妊していた。源氏は別れが近づくにつれ、いっそう明石の君をいとしく思う。供人たちは、源氏のいつもの癖だとささやき合う。
語釈・文法注
- 宣旨
- 天皇の命令を伝える文書。ここでは源氏を京へ召還する命令。
文法
- 「こそ…め」の逆接(春宮にこそは讓り聞え給はめ、)
- 「東宮にこそ帝位をお譲りになるだろうが」。
- 「ばこそ…め」(榮え給はゞこそは…かなふにはあらめ)
- 「栄えなさってこそ、自分の願いもかなうのだろう」。
解説
源氏の召還は、朱雀帝の病と、源氏を後見に立てる必要とによって実現する。帝が大后の諫めに背いて決断したことは、右大臣方の権勢の衰えを示している。
明石の君の懐妊は、物語の大きな転機である。この時生まれる娘は、のちに源氏の唯一の娘として中宮となり、明石の入道の夢を実現することになる。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、274–277頁(コマ140–141)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
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