源氏物語 第13帖 明石(4)
明石の浦の邸
明石の浦の入道の邸は、海辺にも山陰にも、季節ごとに趣のある建物を構え、都の高貴な邸にも劣らない立派さである。入道は娘を岡辺の家に移し、浜の館に源氏を迎える。入道は源氏を一目見て、老いも忘れて住吉の神を拝む。落ち着いた源氏は、都の人々に文を送り、紫の上には、須磨からさらに遠い明石に移ったことを歌に詠んで伝える。

- 1濱濱はまのののさまさまさまげにげにげにいといといと心心こころ異異ことなりなりなり人人ひとしげうしげうしぎょう見見みゆるゆるゆるのみのみのみなむなむなん御御おん願願ねがひひいににに背背そむきききけるけるける。。。入道入道にゅうどうのののらうじらうじろうじしめしめしめたるたるたる所々所々ところどころ海海うみのののつらつらつらにににももも山山やまがくれがくれがくれにににももも時々時々ときどきにににつけつけつけててて興興きょうをををさかすさかすさかすべきべきべき渚渚なぎさののの苫屋苫屋とまや、、、
- 2おこなひおこなひおこないをををしししててて後後のちののの世世よのののことことことををを思思おもひひいすましすましすましつつつべきべきべき山水山水やまみずのののつらつらつらにににいかめしきいかめしきいかめしき堂堂どうををを立立たてゝてゝてて、、、行行おこなひひいこのこのこの世世よのののまうけまうけもうけににに秋秋あきののの田田たののの實實みををを刈刈かりりり収収おさめめめ殘殘のこりののの齡齡よわい積積つむむむべきべきべき稻稻いねののの倉町倉町くらまちどもどもどもなどなどなど折々折々おりおり所所ところにににつけつけつけたるたるたる見所見所みどころありありありてててしししあつめあつめあつめたりたりたり。。。
- 3高潮高潮たかしおにににおぢおぢおじてててこのこのこの頃頃ころむすめむすめむすめなどなどなどははは岡邊岡邊おかべのののやどやどやどににに移移うつしししててて住住すままませせせけれけれければばばこのこのこの濱濱はまのののたちたちたちににに心心こころ安安やすくくくおはしますおはしますおわします。。。
- 4船船ふねよりよりより御車御車みくるまににに奉奉たてまつりりり移移うつるるるほどほどほど日日ひやうやうやうやうようようさしさしさしあがりあがりあがりてててほのかほのかほのかににに見見み奉奉たてまつるるるよりよりより老老おいももも忘忘わすれれれ齡齡よわいのぶるのぶるのぶる心地心地ここちしししててて笑笑えみみみさかえさかえさかえてててまづまづまず住吉住吉すみよしののの神神かみをををかつがつかつがつかつがつ拜拜おがみみみ奉奉たてまつるるる。。。月日月日つきひののの光光ひかりををを手手てににに得得え奉奉たてまつりりりたるたるたる心地心地ここちしししててていとなみいとなみいとなみ仕仕つこうううまつるまつるまつることことことことわりことわりことわりなりなりなり。。。
- 5所所ところのののさまさまさまをををばばばさらさらさらにににもももいはいはいわずずず作作つくりりりなしなしなしたるたるたる心心こころばへばへばえこだちこだちこだちたていしたていしたていし前栽前栽せんざいなどなどなどののの有樣有樣ありさまえもえもえもいはいはいわぬぬぬ入江入江いりえののの水水みずなどなどなど繪繪えににに書書かかかかばばば心心こころのののいたりいたりいたり少少すくなからからからむむん繪師繪師えしははは書書かききき及及およぶぶぶまじまじまじととと見見みゆゆゆ。。。
- 6月頃月頃つきごろののの御御おん住住すまひひいよりよりよりはははこよなくこよなくこよなく明明あきらかににになつかしなつかしなつかし。。。御御おんしつらひしつらひしつらいなどなどなどえならずえならずえならずしししててて住住すまひひいけるけるけるさまさまさまなどなどなどげにげにげに都都みやこのののやむごとなきやむごとなきやむごとなき所々所々ところどころににに異異ことならならならずずず。。。えんえんえんにににまばゆきまばゆきまばゆきさまさまさまはははまさりまさりまさりざまざまざまにににぞぞぞ見見みゆるゆるゆる。。。
- 7少少すこししし御心御心みこころしづまりしづまりしずまりてててははは京京きょうののの御御おん文文ふみどもどもども聞聞きこえええ給給たまふふう。。。參參まいれれれりりりししし使使つかいははは「「「今今いまはははいみじきいみじきいみじき道道みちににに出出いででで立立たちちちててて悲悲かなしきしきしきめめめををを見見みるるる」」」ととと泣泣なききき沈沈しずみみみててて、、、あのあのあの須磨須磨すまにににとまりとまりとまりたるたるたるををを召召めしししててて身身みにににあまれあまれあまれるるる物物ものどもどもども多多おおくくく給給たまひひいてててつかはすつかはすつかわす。。。
- 8むつましきむつましきむつましき御御おんいのりいのりいのりののの師師しどもどもどもさるべきさるべきさるべき所々所々ところどころにににはははこのこのこの程程ほどののの御御おん有樣有樣ありさま委委くわしくしくしく言言いひひいつかはすつかはすつかわすべしべしべし。。。入道入道にゅうどうののの宮宮みやばかりばかりばかりにににはははめづらかめづらかめずらかにてにてにてよみがへれよみがへれよみがえれるるるさまさまさまなどなどなど聞聞きこえええ給給たまふふう。。。
- 9二條院二條院にじょういんののの哀哀あわれなりなりなりししし程程ほどののの御御おんかへりかへりかえりははは書書かきききもももやりやりやり給給たまははわずずず、、、うちうちうちおきおきおきうちうちうちおきおきおき押押おしししのごひのごひのごいつゝつゝつつ聞聞きこえええ給給たまふふう御御おん氣色氣色けしきなほなほなおことことことなりなりなり。。。
- 10「「「かへすがへすかへすがへすかえすがえすいみじきいみじきいみじきめめめのののかぎりかぎりかぎりををを見見み盡盡つくしししはてはてはてつるつるつるありさまありさまありさまなれなれなればばば今今いまはははととと世世よををを思思おもひひい離離はなるゝるゝるる心心こころのみのみのみまさりまさりまさり侍侍はべれれれどどど鏡鏡かがみををを見見みてててもももとととののの給給たまひひいししし面影面影おもかげののの離離はなるゝるゝるる世世よなきなきなきををを、、、かくかくかくおぼつかなおぼつかなおぼつかなながらながらながらやややととと、、、こゝらこゝらここら悲悲かなしきしきしきさまざまさまざまさまざまのののうれはしさうれはしさうれわしさはははさしさしさし置置おかかかれれれててて、、、
- 11はるかはるかはるかにににももも思思おもひひいやるやるやるかなかなかな知知しらららざりざりざりししし浦浦うらよりよりよりをちをちおちにににうらづたひうらづたひうらづたいしししててて。。。夢夢ゆめのののうちうちうちなるなるなる心地心地ここちのみのみのみしししててて覺覺さめめめはてはてはてぬぬぬほどほどほど、、、いかにいかにいかにひがごとひがごとひがごと多多おおからからからむむん」」」とととそこはかとなくそこはかとなくそこはかとなくかきかきかき亂亂みだりりり給給たまへへえるるるしもしもしもぞぞぞいといといと見見みまほしきまほしきまほしきそばめそばめそばめなるなるなるををを、、、いといといとこよなきこよなきこよなき御御おん志志こころざしののの程程ほどととと人々人々びと見見み奉奉たてまつるるる。。。おのおのおのおのおのおの故鄕故鄕ふるさとににに心心こころ細細ぼそげげげなるなるなることづてことづてことづてすすすべかべかべかめりめりめり。。。
現代語訳
浜の様子は、本当にたいそう趣が違っていて、人が多く見えることだけが、源氏のお望みに背いていた。入道の領有している所々は、海辺にも山陰にも、季節ごとに興趣を呼び起こすような渚の苫屋や、勤行をして来世のことを思い澄ますのにふさわしい山水のほとりに、立派な御堂を建てて三昧の行を行い、この世の生活の備えとしては、秋の田の実を刈り収めて、余生を送るために蓄える稲の倉町などを、折々、所につけた見どころのあるように造り集めてあった。
高潮を恐れて、このごろ娘などは岡辺の家に移して住ませていたので、この浜の館に、源氏は気楽にお住まいになる。船からお車にお移りになる時、日がだんだん高くなって、ほのかに拝見するなり、入道は老いも忘れ、寿命も延びる気持ちがして、笑みを満面にたたえて、まず住吉の神を、ともかくも拝み申し上げる。月や日の光を手に入れ申し上げたような気持ちがして、お世話申し上げるのは、もっともなことである。
場所の様子はいうまでもなく、造りなしてある趣向や、木立、立石、前栽などの有り様、言いようもない入江の水など、絵に描くとしたら、たしなみの浅い絵師には描ききれないだろうと見える。この数か月のお住まいよりは、この上なく明るく、親しみやすい。お部屋の飾りつけなども格別で、暮らしぶりなどは、本当に都の高貴な方々の邸と違わない。優美できらびやかな様子は、かえってまさっているように見える。
少しお心が落ち着かれてからは、京へのお手紙を差し上げなさる。須磨に参上した紫の上の使いは、「今はとんでもない旅に出て、悲しい目を見ることだ」と泣き沈んで、まだ須磨にとどまっていたのを呼び寄せて、身に余るほどの品々を多くお与えになって、京へ遣わす。
親しいご祈祷の師たちや、しかるべき方々には、この間のご様子を詳しく言い送るのだろう。入道の宮にだけは、不思議なことで生き返った様子などを申し上げなさる。二条院のしみじみとした頃のお手紙へのご返事は、書き終えることもおできにならず、筆を置いては涙を押しぬぐいながらお書きになるご様子は、やはり格別である。
「繰り返しひどい目の限りを見尽くしてしまった有り様なので、今はもう世を思い離れる心ばかりがまさりますが、『鏡を見ても』とおっしゃった面影が離れる時もないので、このまま会えずに終わるのかと思うと、多くの悲しいさまざまの嘆きはさておいて、はるかにあなたを思いやることです。知らなかった須磨の浦よりも、さらに遠くへ浦伝いに来て。夢の中にいるような気持ちばかりして、まだ目が覚めきらないうちなので、どんなに書き誤りが多いことでしょう」と、とりとめもなく書き乱していらっしゃるのが、かえってたいそう見たくなるような横顔なので、この上ないご愛情のほどだと、人々は拝見する。供人たちも、それぞれ故郷に心細そうな言伝てをするようである。
意訳
明石の入道の邸は、季節ごとに趣のある建物を構え、都の高貴な邸にも劣らない立派さである。入道は娘を岡辺の家に移し、浜の館に源氏を迎える。入道は源氏を一目見て、老いも忘れて住吉の神に感謝する。
落ち着いた源氏は、都の人々に文を送る。藤壺には不思議な体験を伝え、紫の上には、須磨からさらに遠い明石に移ったことを歌に詠んで伝える。
語釈・文法注
- 三昧
- 一つの対象に心を集中して修行すること。ここでは念仏三昧で、ひたすら念仏を唱える行。
文法
- 仮定の「ば」(繪に書かば)
- 「もし絵に描くならば」。
- 推量の「べかめり」(ことづてすべかめり)
- 「言伝てをするようだ」。「べかるめり」の撥音便の無表記。
和歌
はるかにも思ひやるかな知らざりし浦よりをちにうらづたひして
- 詠者
- 光源氏
- 状況
- 明石に移った後、紫の上に送った歌。はるかにあなたを思いやることです。知らなかった須磨の浦よりも、さらに遠くへ浦伝いに来て。
解説
明石の入道の邸は、須磨のわび住まいとは対照的に、都の貴族の邸にも劣らない豪華さで描かれる。入道は播磨守として蓄えた富で、明石に理想の住まいを築いていた。
源氏は明石に移っても、紫の上への思いを忘れない。紫の上への歌は、須磨よりさらに遠くへ来たことを嘆きつつ、変わらぬ思いを伝えている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、262–263頁(コマ134)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日