源氏物語 第1帖 桐壺(8)
いときなき初元結
十二歳の源氏は盛大な元服の式をあげ、その夜、左大臣の娘の葵の上と結婚する。しかし源氏の心は藤壺に向かい、四歳年上の葵の上にはなじめない。帝は亡き更衣の里邸を改築させ、源氏はそこに理想の人を住まわせたいと願う。

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現代語訳
この君の童姿を、帝はたいそう変えたくないとお思いになるが、十二歳で元服をなさる。帝は自ら立ち働いて準備をなさり、定めのある儀式に、さらに趣向を加えさせなさる。先年、東宮の元服が南殿で行われた時の儀式の評判にも劣らないように、方々での饗宴なども、内蔵寮や穀倉院などが公の行事としてお仕えすると、手落ちがあってはいけないと特にご命令があって、華やかさを尽くしてお仕えした。
帝がおいでになる清涼殿の東の廂に、東向きに椅子を立てて、冠者(源氏)の座と、加冠役の大臣の座がその御前にある。申の刻に源氏が参上なさる。角髪に結っていらっしゃる顔つきや顔の色つやを、元服で変えてしまうのは惜しいほどである。大蔵卿が蔵人として髪を整える役をお仕えする。たいそう美しい御髪を切り整える時、気の毒そうな様子なので、帝は御息所が見ていたらとお思い出しになると、耐えがたい気持ちを心強くこらえていらっしゃる。
冠をつけなさって、休息所に退出して、大人の装束に着替え、庭に下りて拝舞なさる様子に、その場の人は皆、涙を落としなさる。帝はまして、こらえきることがおできにならない。悲しみがまぎれる折もあったのに、昔のことが思い返されて悲しくお思いになる。こんなに幼い年ごろでは、髪上げをするとかえって見劣りするのではないかと心配なさっていたが、驚くほどかわいらしさが加わっていらっしゃった。
加冠役の左大臣には、皇女である奥方との間に、ただ一人大切に育てていらっしゃる姫君がいて、東宮からも所望のお気持ちがあったのを、大臣が思い悩んでいたのは、この源氏の君に差し上げようというお心からであった。帝のご意向もうかがっていらっしゃったので、帝は「それならば、この元服の折の後見もいないようなので、添い臥しにでも」と促しなさったので、大臣もそのようにお考えになったのだった。
源氏は侍所に退出なさって、人々がお祝いの酒などをいただく時、親王方の座の末席にお着きになった。大臣がそれとなく姫君のことをほのめかし申し上げなさるが、気恥ずかしい年ごろなので、何ともお答え申し上げなさらない。帝の御前から、内侍が宣旨を承り伝えて、大臣に参上するようにとのお召しがあったので、大臣は参上なさる。ご褒美の品を、帝付きの命婦が取り次いでお与えになる。白い大袿に御衣一揃いで、しきたりどおりである。お盃をくだされる折に、帝は、
「幼い者の初めての元結に、末長い縁を約束する心を結びこめたであろうか」とお詠みになって、お心づかいがあって、はっとさせなさる。
大臣は「深い心をこめて結んだ元結の、濃い紫の色さえあせなければ(末長くお仕えいたしましょう)」と申し上げて、長橋から下りて拝舞なさる。左馬寮の御馬と、蔵人所の鷹を据えていただきなさる。御階のもとに親王方や上達部が並んで、身分に応じて禄をいただきなさる。
その日の御前の折櫃物や籠物などは、右大弁が承って調えさせた。屯食や、禄の唐櫃などは、置き場もないほどで、東宮の元服の時よりも数がまさっていた。かえって限りもなく盛大なものであった。
その夜、源氏の君を左大臣の邸に退出させなさる。婿取りの作法は世にまたとないほどで、丁重にお世話申し上げなさった。源氏がたいそう幼い様子でいらっしゃるのを、大臣は不吉なほどかわいらしいとお思い申し上げなさる。姫君は源氏より少し年上でいらっしゃるので、源氏がたいそう若くていらっしゃるのを、似合わず恥ずかしいとお思いになっていた。
この大臣は帝のご信任がたいそう厚い上に、姫君の母宮は帝と同じ后腹のご兄妹なので、どちらから見ても華やかであるところへ、この源氏の君までがこうして婿として加わったので、東宮の祖父で、いずれは天下の政治をとるはずの右大臣の勢いは、ものの数でもなく押されておしまいになった。
左大臣にはお子たちが、何人もの奥方との間に大勢いらっしゃる。宮腹のご子息は蔵人少将で、たいそう若く美しいのを、右大臣は、左大臣との仲はあまりよくないけれど、見過ごすことがおできにならず、婿として大切にしていらっしゃる。右大臣の四の君にめあわせて、源氏に劣らぬほど大事にお世話しているのは、どちらも申し分のないご縁組である。
源氏の君は、帝がいつもおそばにお召しになるので、気楽に左大臣邸で暮らすこともおできにならない。心の中では、ただ藤壺のご様子を比べるものがないとお思い申し上げて、あのような人をこそ妻にしたい、似る人もいない方だったなあ、左大臣の姫君はたいそう美しく大切に育てられた人とは見えるけれど、心にもしっくりこないとお思いになって、幼い心ひとすじに藤壺を思いつめて、たいそう苦しいほどでいらっしゃった。
元服して大人におなりになってからは、帝は以前のように御簾の中にもお入れにならない。管弦の遊びの折々に、琴や笛の音に心を通わせ、かすかに聞こえる藤壺のお声を慰めにして、宮中住まいばかりを好ましくお思いになる。五、六日宮中にお仕えして、左大臣邸には二、三日など、途切れ途切れに退出なさるけれど、左大臣は、今はまだ幼いお年ごろだから仕方がないと咎めずにお思いになって、心を尽くして大切にお世話申し上げなさる。源氏と姫君付きの女房たちには、世間並みでない人を選りすぐって仕えさせなさる。源氏のお心にかないそうな遊びをして、精いっぱいお世話をなさる。
宮中では、もとの淑景舎(桐壺)を源氏のお部屋として、母御息所に仕えていた女房たちを退出させずに、そのまま仕えさせなさる。更衣の里邸は、修理職や内匠寮に宣旨が下って、またとないほど立派に改築させなさる。もとから木立や築山のたたずまいが趣深い所だったのを、池を広く造りなして、見事に造営して大騒ぎである。源氏は、このような所に理想の人を住まわせて一緒に暮らしたいものだと、そればかりを嘆かわしくお思い続けになる。
「光る君」という名は、高麗の人相見がおほめ申し上げてお付けしたのだと、言い伝えているということだ。
意訳
元服は、源氏が子どもから大人になる儀式であり、同時に政治の世界に組みこまれる儀式でもあった。加冠役の左大臣が娘を源氏に嫁がせたのは、東宮の外戚である右大臣家に対抗するためである。源氏は母方の後ろ盾を失ったかわりに、左大臣家という強い後ろ盾を得た。帝の計らいは、源氏の将来を守ろうとするものだった。
しかし、源氏の心は政略結婚の相手である葵の上ではなく、藤壺へ向かっている。元服して御簾の中に入れなくなったことで、かえって藤壺への思いはつのる。改築された母の里邸(のちの二条院)に「思ふやうならむ人」を住まわせたいという願いは、のちに紫の上を迎えることで形になる。桐壺巻の終わりは、源氏の恋の物語の始まりでもある。
語釈・文法注
- 童姿(わらわすがた)
- 元服前の子どもの姿。髪を角髪(みずら)に結っている。
- かへまうく
- 変えたくない。「まうし」は「…したくない」の意の助動詞「まうし」の連用形。
- 元服
- 男子の成人式。髪を結い上げて冠をつけ、大人の装束を着る。十一歳から十六歳ごろに行われた。
- ゐたち
- 座ったり立ったり。帝が自ら立ち働いて準備することをいう。
- 南殿(なでん)
- 紫宸殿。内裏の正殿で、重要な儀式が行われた。東宮の元服はここで行われたが、源氏の元服は清涼殿で行われた。
- よそほし
- いかめしく立派だ。
- 饗(きょう)
- 饗宴、ごちそう。
- 穀倉院(こくそういん)
- 畿内の調銭や無主の田の収穫などを納め、宮中の行事の食物を用意した役所。
- もぞ
- 係助詞「も」+「ぞ」。「…したら困る」と懸念を表す。
- くわんざ
- 冠者(かんざ)。元服して冠をつける少年。ここでは源氏。
- ひきいれ
- 引入(ひきいれ)。加冠役。元服する者に冠をかぶせる役で、多くは有力な貴族がつとめ、その後の後見人となった。ここでは左大臣。
- みづら
- 角髪(みずら)。少年の髪型で、髪を左右に分けて耳のあたりで輪に結ったもの。
- 大藏卿(おおくらきょう)
- 大蔵省の長官。ここでは理髪役をつとめる。
- みやす所
- ここでは休息所の意。儀式の途中で着替えをする部屋。
- かうぶり
- 冠(こうぶり)。元服して初めて冠をつけること。
- きびは
- 幼くて弱々しいさま。
- あげおとり
- 髪上げ(元服)をしたために、かえって見劣りすること。
- みこ腹
- 皇女を母とすること。左大臣の北の方は帝の妹宮(大宮)で、その娘が葵の上。
- 副臥(そいぶし)
- 元服の夜、皇子や貴族の少年に添い寝する女性。そのまま正妻となることが多かった。
- さぶらひ
- 侍所。殿上人などが控える所。
- おほみき
- 大御酒。帝から下される酒。
- けしきばむ
- それとなく気持ちをほのめかす。
- あへしらふ
- 応対する、受け答えをする。
- 祿(ろく)
- 褒美として与える品物。主に衣服。
- おほうちき
- 大袿(おおうちき)。禄として与える、大きく仕立てた袿。
- いときなし
- 幼い、あどけない。
- 初元結(はつもとゆい)
- 元服の時に、初めて髪を結い束ねる紐。紫の組紐が用いられた。
- こき紫
- 濃い紫色。元結の色。
- 長はし
- 長橋。清涼殿から紫宸殿へ通じる廊下。
- 舞踏(ぶとう)
- 拝舞。禄をいただいた礼として行う、左右左と身を動かして拝む作法。
- ひだりのつかさ
- 左馬寮(さまりょう)。宮中の馬を管理する役所。
- 折櫃物(おりびつもの)
- ヒノキの薄板を折り曲げて作った箱(折櫃)に入れた食べ物。こもの(籠物)はかごに入れた果物など。
- 屯食(とんじき)
- 強飯を握り固めたもの。儀式の時に下級の役人などに配った。
- 所せし
- 場所が狭いほどいっぱいだ。
- をんな君
- 姫君。ここでは左大臣の娘の葵の上。このとき十六歳で、源氏より四歳年上。
- ひとつきさい腹
- 同じ后から生まれた兄弟姉妹。左大臣の北の方(大宮)は桐壺帝と同じ母后から生まれた妹。
- くら人少將
- 蔵人少将。左大臣の子で、葵の上の兄。のちの頭中将。源氏の親友であり好敵手となる。
- 四の君
- 右大臣の四女。弘徽殿の女御の妹。
- あはひ
- 間柄、組み合わせ。
- おほい殿
- 大殿(おおいどの)。左大臣家、またはその邸。
- ひとへ心
- ひとすじに思いつめる心。
- おふなおふな
- 力の限り、精いっぱい。
- 淑景舍(しげいさ)
- 桐壺の正式な名。母更衣の部屋だった所を、源氏の宮中での部屋とした。
- すりしき・たくみづかさ
- 修理職(すりしき)は宮中の建物の修理を、内匠寮(たくみづかさ)は調度品の製作などを担当した役所。
- になう
- 二なく。またとないほど。
- のゝじる
- 大騒ぎする。評判になるほど盛大に行う。
文法
- 願望の終助詞「ばや」(住まばや)
- 未然形について、話し手の願望を表す。「住みたいものだ」。
- 反実仮想「ましかば」(みやす所の見ましかば)
- 「もし御息所が見ていたならば(どんなに喜んだだろう)」。後半が省略されている。
- 伝聞の結び(言ひ傳へたるとなむ)
- 巻末の「…とぞ言ひ傳へたるとなむ」は、語り手が伝聞であることを示して物語を閉じる言い方。「なむ」の後に「言ふ」などが省略されている。
和歌
いときなき初元結に長き世をちぎる心は結びこめつや
- 詠者
- 桐壺帝
- 状況
- 元服の祝いの盃を左大臣に与えるとき、帝が詠みかけた歌。幼い源氏の初めての元結に、娘との末長い縁を約束する心を結びこめたか、と問う。
修辞
- 縁語
- 「元結」「結び」「長き」が縁語。元結を結ぶことに、源氏と娘の夫婦の契りを結ぶことを重ねる。
結びつる心も深きもとゆひにこき紫の色しあせずは
- 詠者
- 左大臣
- 状況
- 帝の歌への返歌。深い心をこめて結んだ元結の濃い紫の色があせないように、源氏の心が変わらなければ(末長くお仕えします)。
修辞
- 縁語・掛詞
- 「結び」「もとゆひ」「色」が縁語。「深き」は心の深さと色の濃さの両方にかかる。
- こき紫
- 元結の濃い紫色。紫は一位・二位の高貴な色でもあり、縁の深さを表す。
解説
元服の儀式は、清涼殿の東の廂で行われた。帝は東宮の元服に劣らないよう命じ、引き出物の数は東宮の時よりも多かったという。臣下となった源氏の元服を、東宮と同じかそれ以上に盛大に行ったことは、帝の源氏への思いの深さとともに、右大臣家への強い牽制でもあった。
左大臣家と右大臣家は、この後の物語で長く対立する。源氏と葵の上、右大臣の四の君と蔵人少将(のちの頭中将)という二組の結婚は、両家が婿を取り合って勢力を張り合う様子を示している。
改築された母の里邸は、のちの「二条院」である。源氏はここに若紫(紫の上)を迎え、理想の女性に育てることになる。巻の最後に置かれた「光君といふ名は、こまうどのめで聞えてつけ奉りける」という一文は、高麗の相人の予言の場面と呼応して、桐壺巻を締めくくっている。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、14–17頁(コマ9–10)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校合
- 塚本哲三編『源氏物語』1(有朋堂文庫) 有朋堂書店、昭和7年(1932)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日