古典ライブラリー

源氏物語 第1帖 桐壺(5)

尋ねゆくまぼろし

登場人物:桐壺帝・靫負命婦・弘徽殿の女御

帰参した命婦の報告を、帝は長恨歌の絵を見ながら起きて待っていた。母君の返事と形見の品に悲しみを新たにし、楊貴妃の魂を探しに行った幻術士のような者がいればと歌を詠む。弘徽殿では管弦の遊びが聞こえ、帝は夜明けまで眠れない。

秋の夜更け、灯火のもとで帝が長恨歌の絵巻を広げ、物思いに沈んでいる場面(AI生成)
秋の夜更け、灯火のもとで帝が長恨歌の絵巻を広げ、物思いに沈んでいる場面
  1. 1命婦みやうぶ命婦みやうぶみょうぶははは、、、まだまだまだ大殿籠おほとのごも大殿籠おほとのごもおおとのごもらせらせらせ給たま給たまたまははわざりざりざりけるけるけるををを、、、哀あはれ哀あはれあわれににに見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる。。。
  2. 2御前おまへ御前おまへおまえののののののいといといとおもしろきおもしろきおもしろき盛さかり盛さかりさかりなるなるなるををを御覽ごらん御覽ごらんごらんずるずるずるやうやうようにてにてにて、、、忍しの忍しのしのびやかびやかびやかににに心こころ心こころこころ限かぎり限かぎりかぎりののの女房にようばう女房にようばうにょうぼう四五人よたりいつたり四五人よたりいつたりよたりいつたりさぶらはさぶらはさぶらわせせせ給たま給たまたまひひいててておほんおほんおおん物語ものがたり物語ものがたりものがたりせせせさせさせさせたまふたまふたまうなりなりなりけりけりけり。。。
  3. 3このこのこの頃ごろ頃ごろごろあけくれあけくれあけくれ御覽ごらん御覽ごらんごらんずるずるずるののの御おん御おんおん繪ゑ繪ゑえ、、、亭子ていじ亭子ていじていじのののののの書か書かかかかかせせせたまひたまひたまいててて、、、伊勢いせ伊勢いせいせ、、、ににによまよまよませせせたまへたまへたまえるるるやまとやまとやまと言こと言ことことののの葉は葉ははをををももも、、、もろこしもろこしもろこしのののうたうたうたをををももも、、、たゞたゞただ其その其そのそのすぢすぢすじをををぞぞぞにににせせせさせさせさせたまふたまふたまう。。。
  4. 4いといといとこまやかこまやかこまやかににに有樣ありさま有樣ありさまありさまををを問と問ととはははせせせたまふたまふたまう。。。哀あはれ哀あはれあわれなりなりなりつるつるつることことことををを忍しの忍しのしのびやかびやかびやかににに奏そう奏そうそうすすす。。。
  5. 5御おん御おんおん返かへ返かへかえりりり御覽ごらん御覽ごらんごらんずれずれずればばば、、、「「「いといといとももも畏かしこ畏かしこかしこきききははは置お置おおききき所どころ所どころどころももも侍はべ侍はべはべらららずずず。。。
  6. 6かゝるかゝるかかる仰事おほせごと仰事おほせごとおおせごとにににつけつけつけてててもももみだりみだりみだりににになむなむなん。。。
  7. 7荒あら荒あらあらききき風かぜ風かぜかぜふせぎふせぎふせぎしししかげかげかげののの枯か枯かかれれれしししよりよりより小萩こはぎ小萩こはぎこはぎがががうへうへうえぞぞぞなきなきなき」」」などなどなどやうやうようににに亂みだ亂みだみだりりりををを、、、心こころ心こころこころ治をさ治をさおさめめめざりざりざりけるけるける程ほど程ほどほどととと御覽ごらん御覽ごらんごらんじじじゆるすゆるすゆるすべしべしべし。。。和歌
  8. 8いといといとかうかうこうしもしもしも見み見みみえええじじじとととおぼしおぼしおぼししづむれしづむれしずむれどどど、、、更さら更さらさらにににえええ忍しの忍しのしのびびびあへあへあえさせさせさせたまはたまはたまわずずず。。。
  9. 9御覽ごらん御覽ごらんごらんじじじ始はじ始はじはじめめめししし年月としつき年月としつきとしつきのののことことことさへさへさへ書か書かかききき集あつ集あつあつめめめ萬よろづ萬よろづよろずにににおぼしおぼしおぼし續つづ續つづつづけけけられられられててて、、、時とき時ときときのののまままもももおぼつかなかりおぼつかなかりおぼつかなかりしししををを、、、かくかくかくてててももも月日つきひ月日つきひつきひははは經へ經へへにににけりけりけりととと淺あさ淺あさあさましうましうましゅうおぼしめさおぼしめさおぼしめさるるる。。。
  10. 10「「「故こ故ここ大納言だいなごん大納言だいなごんだいなごんののの遺言ゆいごん遺言ゆいごんゆいごん過あやま過あやまあやまたずたずたず宮仕みやづかへ宮仕みやづかへみやずかえのののほいほいほい深ふか深ふかふかくくくものしものしものしたりたりたりししし喜よろこび喜よろこびよろこびはははかひかひかいあるあるあるさまさまさまにににとととこそこそこそ思おも思おもおもひひい渡わた渡わたわたりりりつれつれつれ。。。
  11. 11いふがひなしいふがひなしいうがいなしややや」」」とととうちうちうちのたまはせのたまはせのたまわせててていといといと哀あはれ哀あはれあわれにににおぼしおぼしおぼしやるやるやる。。。
  12. 12「「「かくかくかくてててもももおのづからおのづからおのずから若宮わかみや若宮わかみやわかみやなどなどなど生お生おおひひい出い出いいでででたまはたまはたまわゞゞば、、、さるべきさるべきさるべきついでついでついでもももありありありなむなむなん。。。
  13. 13命いのち命いのちいのち長なが長ながながくくくとととこそこそこそ思おも思おもおもひひい念ねん念ねんねんぜぜぜめめめ」」」などなどなどのたまはすのたまはすのたまわす。。。
  14. 14かのかのかの贈物おくりもの贈物おくりものおくりもの御覽ごらん御覽ごらんごらんぜぜぜさすさすさす。。。
  15. 15なきなきなき人ひと人ひとひとのののすみかすみかすみか尋たづ尋たづたずねねね出い出いいでででたりたりたりけむけむけんしるししるししるしのののならならならましかましかましかばばばとととおもほすおもほすおもおすもももいといといとかひなしかひなしかいなし。。。
  16. 16「「「尋たづ尋たづたずねねねゆくゆくゆくもがなもがなもがなつてつてつてにてにてにてももも魂たま魂たまたまのののありかありかありかをををそこそこそこととと知し知ししるるるべくべくべく」」」。。。和歌
  17. 17繪ゑ繪ゑえににに書か書かかけけけるるる楊貴妃やうきひ楊貴妃やうきひようきひのののかたちかたちかたちははは、、、いみじきいみじきいみじき繪師ゑし繪師ゑしえしととといへいへいえどもどもども筆ふで筆ふでふでかぎりかぎりかぎりありありありけれけれければばばいといといとにほひにほひにおいなしなしなし。。。
  18. 18大液たいえき大液たいえきたいえきののの、、、未央びあう未央びあうびおうののの柳やなぎ柳やなぎやなぎもももげにげにげにかよひかよひかよいたりたりたりしししかたちかたちかたちををを唐から唐からからめいめいめいたるたるたるよそひよそひよそいはははうるはしううるはしううるわしゅうこそこそこそありありありけめけめけめ。。。懷なつ懷なつなつかしうかしうかしゅうなりなりなりしししをををおぼしおぼしおぼし出い出いいづるづるずるににに、、、花はな花はなはな鳥とり鳥とりとりののの色いろ色いろいろにもにもにも音ね音ねねにもにもにもよそふよそふよそうべきべきべき方かた方かたかたぞぞぞなきなきなき。。。
  19. 19朝夕あさゆふ朝夕あさゆふあさゆうのののににに、、、羽根はね羽根はねはねをををならべならべならべ枝えだ枝えだえだををを交かは交かはかわさささととと契ちぎ契ちぎちぎらせらせらせ給たま給たまたまひひいしししににに、、、かなはかなはかなわざりざりざりけるけるける命いのち命いのちいのちのののほどほどほどぞぞぞ盡つく盡つくつくせせせずずずうらめしきうらめしきうらめしき。。。
  20. 20風かぜ風かぜかぜののの音おと音おとおと蟲むし蟲むしむしのののねねねにににつけつけつけてててゝゝのみみみ悲かな悲かなかなしうしうしゅうおぼさるゝおぼさるゝおぼさるるににに、、、弘徽殿こきでん弘徽殿こきでんこきでんにはにはには久ひさ久ひさひさしうしうしゅううへうへうえののの御局みつぼね御局みつぼねみつぼねにもにもにも參ま參まもううう上のぼ上のぼのぼりりり給たま給たまたまははわずずず、、、月つき月つきつきのののおもしろきおもしろきおもしろきににに、、、夜よ夜よよ更ふ更ふふくるくるくるまでまでまで遊あそび遊あそびあそびをををぞぞぞししし給たま給たまたまふふうなるなるなる。。。
  21. 21いといといとととと聞きこ聞きこきこしめすしめすしめす。。。
  22. 22このこのこの頃ごろ頃ごろごろののの御おん御おんおん氣色けしき氣色けしきけしきををを見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつるるる上人うへびと上人うへびとうえびと女房にようばう女房にようばうにょうぼうなどなどなどははは、、、傍痛かたはらいた傍痛かたはらいたかたわらいたととと聞き聞きききききけりけりけり。。。
  23. 23いといといと押お押おおししし立た立たたちちち所ところ所ところところ物もの物ものものししし給たま給たまたまふふうおほんおほんおおん方かた方かたかたにてにてにて、、、ことにもことにもことにもあらあらあらずずずおぼしおぼしおぼし消け消けけちちちてててもてなしもてなしもてなし給たま給たまたまふふうなるなるなるべしべしべし。。。
  24. 24月つき月つきつきももも入い入いいりりりぬぬぬ。。。
  25. 25「「「雲くも雲くもくもののの上うへ上うへうえももも淚なみだ淚なみだなみだにににくるゝくるゝくるる秋あき秋あきあきののの月つき月つきつきいかでいかでいかですむすむすむらむらむらん淺茅生あさぢふ淺茅生あさぢふあさじうののの宿やど宿やどやど」」」。。。和歌
  26. 26おぼしおぼしおぼしやりやりやりつゝつゝつつ燈火ともしび燈火ともしびともしびををを挑かか挑かかかかけけげ盡つく盡つくつくしししててて起お起おおききき坐おは坐おはおわしますしますします。。。
  27. 27右近うこん右近うこんうこんのののつかさつかさつかさのののののの聲こゑ聲こゑこえ聞きこ聞きこきこゆるゆるゆるははは丑うし丑うしうしににになりなりなりぬるぬるぬるなるなるなるべしべしべし。。。
  28. 28人目ひとめ人目ひとめひとめをををおぼしおぼしおぼしてててよるよるよるのののににに入い入いいらせらせらせ給たま給たまたまひひいてててももも、、、まどろままどろままどろませせせ給たま給たまたまふふう事こと事ことことかたしかたしかたし。。。
  29. 29あしたあしたあしたににに起お起おおきききさせさせさせ給たま給たまたまふふうとてとてとてももも、、、明あ明ああくるくるくるももも知し知ししらららとととおぼしおぼしおぼし出い出いいづるづるずるにもにもにも猶なほ猶なほなお朝あさ朝あさあさははは怠おこた怠おこたおこたらららせせせ給たま給たまたまひひいぬぬぬべかべかべかめりめりめり。。。
  30. 30物もの物ものものなどなどなどももも聞きこ聞きこきこしめさしめさしめさずずず、、、のののけしきけしきけしきばかりばかりばかり觸ふ觸ふふれれれさせさせさせ給たま給たまたまひひいてててのののおものおものおものなどなどなどはははいといといと遥はる遥はるはるかかかににに覺おぼ覺おぼおぼしめししめししめしたれたれたればばば、、、
  31. 31にににさぶらふさぶらふさぶらうかぎりかぎりかぎりははは心苦こころぐる心苦こころぐるこころぐるしきしきしき御おん御おんおん氣色けしき氣色けしきけしきををを見み見みみ奉たてまつ奉たてまつたてまつりりり嘆なげ嘆なげなげくくく。。。
  32. 32すべてすべてすべて近ちか近ちかちかくくくさぶらふさぶらふさぶらうかぎりかぎりかぎりははは男女をとこをんな男女をとこをんなおとこおんな「「「いといといとわりなきわりなきわりなきわざわざわざかなかなかな」」」ととと言い言いいひひい合あは合あはあわせせせつゝつゝつつ歎なげ歎なげなげくくく。。。
  33. 33「「「さるべきさるべきさるべき契ちぎり契ちぎりちぎりこそこそこそはははおはしましおはしましおわしましけめけめけめ。。。
  34. 34ののの人ひと人ひとひとのののそしりそしりそしりうらみうらみうらみをををももも憚はばか憚はばかはばからららせせせ給たま給たまたまははわずずずこのこのこのおほんおほんおおん事こと事ことことにににふれふれふれたるたるたることことことをばをばをばだうりだうりどうりをををももも失うしな失うしなうしなははわせせせ給たま給たまたまひひい今いま今いまいまはははかくかくかく世よ世よよののの中なか中なかなかののの事こと事ことことをををもももおぼしおぼしおぼしすてすてすてたるたるたるやうやうようににになりなりなり行ゆ行ゆゆくくくはははいといといと業わざ業わざわざなりなりなり」」」とととひとひとひとのののののの例ためし例ためしためしまでまでまで引ひ引ひひききき出い出いいでででつゝつゝつつさゝめきさゝめきささめき歎なげ歎なげなげきききけりけりけり。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

命婦は、帝がまだお休みになっていなかったのを、しみじみと拝見する。御前の中庭の植え込みが美しい盛りであるのをご覧になるようなふりをして、ひっそりと、奥ゆかしい女房ばかり四、五人をおそばに控えさせて、お話をさせていらっしゃるのであった。

この頃、明けても暮れてもご覧になる長恨歌の絵は、宇多上皇がお描かせになって、伊勢や貫之に歌を詠ませなさったもので、その和歌も、唐土の詩も、ただその方面のことばかりを日頃の話題にしていらっしゃる。帝はたいそうこまやかに、母君の家の様子をお尋ねになる。命婦はしみじみと哀れだったことを、ひっそりと申し上げる。

母君のご返事をご覧になると、「たいそうおそれ多いお手紙は、置き所もございません。このようなお言葉をいただくにつけても、目の前が暗くなるほど心が乱れまして。荒い風を防いでいた木陰が枯れてしまってから、小萩の身の上が心配で、心静かではいられません」などと、取り乱した書きぶりであるのを、心が落ち着かない時期だからと、帝は大目に見てお許しになるのだろう。

帝は、こんなに取り乱した様子を人に見せまいと気持ちを静めようとなさるが、まったく抑えきることがおできにならない。更衣を初めてご覧になった頃からの年月のことまでも、何もかも思い続けられて、片時も離れているのが気がかりだったのに、こうして月日がたってしまったことだと、あきれるようにお思いになる。「亡き大納言の遺言にそむかず、宮仕えの本望を深く遂げた礼として、そのかいのあるようにしてやろうと思い続けていたのに。言っても仕方のないことだ」とおっしゃって、母君をたいそう哀れに思いやりなさる。「こうなっても、若宮が成長なさったら、しかるべき機会もあるだろう。長生きしようと思って辛抱してほしい」などとおっしゃる。

あの贈り物をご覧に入れる。これが、亡き人の住みかを探し当てた証拠のかんざしであったならばとお思いになるのも、まったくかいのないことである。

「亡き人を探しに行く幻術士がいてくれたらなあ。人づてにでも、魂のありかがどこにあるか知ることができるように」。

絵に描かれた楊貴妃の容貌は、すぐれた絵師といっても筆の力には限りがあるので、まったく生き生きとした美しさがない。太液池の芙蓉や未央宮の柳にたとえられた容貌は、なるほど似ていて、唐風の装いは端正で美しかったのだろう。けれども、更衣の親しみやすくかわいらしかった様子をお思い出しになると、花の色にも鳥の声にもたとえようがない。朝夕の口癖のように、比翼の鳥となり、連理の枝となろうとお約束なさったのに、それもかなわなかった命のはかなさが、尽きることなく恨めしい。

風の音や虫の声につけても、ただ悲しくお思いになるのに、弘徽殿の女御は久しく帝のお部屋にも参上なさらず、月が美しいので、夜が更けるまで管弦の遊びをなさっているようである。帝はそれを、たいそう興ざめで不快だとお聞きになる。この頃の帝のご様子を拝見している殿上人や女房たちは、はらはらしながら聞いていた。たいそう気が強く、とげとげしいところのあるお方なので、帝の悲しみなど何でもないことと無視して振る舞っておられるのだろう。月も沈んでしまった。

「宮中でさえ涙に曇って見える秋の月を、あの荒れた宿では、どうして澄んだ心で見て住んでいられるだろうか」。

母君の家を思いやりながら、灯火をかき立て尽くして、起きていらっしゃる。右近衛府の宿直の者が名乗る声が聞こえるのは、丑の刻になったのだろう。人目を気になさって夜の御殿にお入りになっても、まどろむこともおできにならない。朝お起きになるにつけても、「明けるのも知らずに(共に寝ていた)」とお思い出しになるので、やはり朝の政務も怠りがちになってしまわれるようだ。

お食事なども召し上がらず、朝餉にはほんの形ばかりお手をつけるだけで、大床子での正式なお食事などは遠いものと思っていらっしゃるので、給仕にお仕えする者たちはみな、おいたわしいご様子を拝見して嘆く。おそばにお仕えする者は、男も女も皆、「本当に困ったことだ」と言い合っては嘆く。「前世からの因縁がおありだったのだろう。多くの人の非難や恨みもはばからず、この方のことになると道理もお失いになり、今はまた、このように政務のことまで捨てておしまいになったようになっていくのは、まったく困ったことだ」と、よその国の帝の例まで引き合いに出して、ひそひそと嘆き合うのだった。

意訳

帝が見ている「長恨歌」の絵は、玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋の物語である。帝は自分の悲しみを玄宗に重ね、更衣を楊貴妃に重ねる。しかし語り手は、絵の楊貴妃には「にほひ」がないと言い、更衣の親しみやすい美しさは何にもたとえられないと強調する。物語が漢詩の世界を借りながら、それを越えた人物を描こうとしていることがわかる。

一方、弘徽殿の女御は、帝の喪の悲しみをよそに管弦の遊びを催す。これは単なる無神経ではなく、更衣の死をいつまでも引きずる帝への、はっきりとした抗議である。周囲の人々も、帝が政務をおろそかにすることを心配し、玄宗の例を持ち出す。帝の深い悲しみは、ここでも国の乱れにつながりかねない危ういものとして見られている。

語釈・文法注

壺前栽(つぼせんざい)
殿舎に囲まれた中庭(壺)の植え込み。
心にくし
奥ゆかしい、心ひかれる。
長恨歌
唐の白居易(白楽天)の長編詩。玄宗皇帝と楊貴妃の愛と死別、方士が仙界に楊貴妃の魂を訪ねる話を詠む。平安貴族に広く愛読された。
亭子の院
宇多上皇。譲位後に住んだ亭子院の名で呼ばれた。長恨歌を題材にした屏風絵を描かせたことが知られる。
伊勢・貫之
伊勢は宇多天皇の中宮温子に仕えた女流歌人。紀貫之は『古今和歌集』の撰者の一人。いずれも長恨歌の屏風に歌を詠んだ。
まくらごと
日頃の口癖、いつも話題にすること。
かきくらす
心を暗くする。悲しみで目の前が真っ暗になる。
みだり心地
乱れた気持ち。気分がすぐれないこと。
靜心
落ち着いた心。「靜心なき」で、心が落ち着かない。
亂りがはし
乱雑だ、取り乱している。ここでは手紙の文面が礼を欠いていること。
しるしのかんざし
長恨歌で、方士が楊貴妃に会った証拠として持ち帰った金のかんざし(釵)。
まぼろし
幻術士。長恨歌に出てくる、楊貴妃の魂を探しに行った方士を指す。
大液の芙蓉・未央の柳
長恨歌の一節「太液の芙蓉、未央の柳、芙蓉は面の如く柳は眉の如し」による。太液池の蓮の花と未央宮の柳に、楊貴妃の顔と眉をたとえる。
らうたげ
かわいらしい様子。いたわってやりたくなるさま。
ことぐさ
口癖、いつも言うこと。
羽根をならべ枝を交さむ
長恨歌の「天に在りては願はくは比翼の鳥と作(な)り、地に在りては願はくは連理の枝と為(な)らん」による。夫婦の永遠の愛を誓う言葉。
ものゝみ
何事につけても、ただもう。「ものゝみ悲しう」で、ただひたすらに悲しく。
すさまじ
興ざめだ、不快だ。期待や場にそぐわないさま。
ものし
不快だ、気に入らない。
傍痛し(かたはらいたし)
そばで見ていてはらはらする、気の毒だ。
かどかどし
才気があってとげとげしい、角が立つ。
とのゐまうし
宿直申し。宮中の夜警の者が、時刻ごとに自分の名を名乗ること。右近衛府の者は丑の刻(午前二時ごろ)から名乗った。
よるのおとゞ
夜の御殿。清涼殿の中にある帝の寝所。
明くるも知らで
伊勢の歌「玉すだれ明くるも知らで寝しものを夢にも見じと思ひかけきや」を踏まえる。亭子院の長恨歌の屏風に詠まれた歌とされる。
朝まつりごと
朝の政務。長恨歌の「此れ従(よ)り君王早朝せず」を踏まえる。
あさかれひ
朝餉(あさがれい)。帝が清涼殿の朝餉の間でとる、略式の食事。
大床子(だいしょうじ)
帝が正式の食事をするときに座る台。そこでの食事を「大床子のおもの」という。
陪膳(はいぜん)
帝の食事の給仕をする役。
そこら
たくさんの、多くの。
今はた
今はまた。
たいだいし
不都合だ、もってのほかだ。
ひとのみかど
外国の朝廷、ここでは唐。玄宗皇帝が楊貴妃を寵愛して国を乱した例。

文法

伝聞・推定の助動詞「なり」(遊をぞし給ふなる)
終止形接続の「なり」は、音や声を聞いて推定する意。弘徽殿から聞こえてくる音楽で、遊びをしていると判断している。係助詞「ぞ」の結びで連体形「なる」になる。
推量の助動詞「べし」(御覽じゆるすべし)
語り手の推量。帝はきっと大目に見てお許しになるだろう、と語り手が推し量っている(草子地)。
過去推量の助動詞「けむ」「けめ」
「尋ね出でたりけむしるし」は伝聞の過去(…たという)。「契こそはおはしましけめ」は「こそ」の結びで已然形「けめ」。

和歌

荒き風ふせぎしかげの枯れしより小萩がうへぞ靜心なき

詠者
更衣の母
状況
帝の「宮城野の」の歌への返歌。風を防いでくれた木(更衣)が枯れてしまってから、小萩(若宮)の身の上が心配でならない。

修辞

見立て
「荒き風」を世間の冷たい仕打ちに、「ふせぎしかげ」を若宮を守った母更衣に、「小萩」を若宮にたとえる。帝の歌の「小萩」を受けて詠む。

尋ねゆくまぼろしもがなつてにても魂のありかをそこと知るべく

詠者
桐壺帝
状況
長恨歌で、玄宗皇帝の命を受けた方士が楊貴妃の魂を探し当て、形見のかんざしを持ち帰った話を思い、更衣の魂のありかを知りたいと願う歌。

修辞

本歌・典拠
白居易「長恨歌」の、方士(まぼろし)が仙界の蓬莱山で楊貴妃に会う場面を踏まえる。
もがな
願望の終助詞。「…があればなあ」。

雲の上も淚にくるゝ秋の月いかですむらむ淺茅生の宿

詠者
桐壺帝
状況
宮中でさえ涙で月が曇って見えるのに、荒れた宿にいる更衣の母は、どうしてこの月を見て住んでいられるだろうか、と思いやる歌。

修辞

掛詞
「すむ」に、月が「澄む」と、人が「住む」を掛ける。
雲の上
宮中。月がかかる雲の上と重ねる。

解説

帝がながめている「長恨歌の御絵」は、宇多天皇(亭子院)が描かせた屏風絵で、伊勢や紀貫之の歌が添えられていたと伝えられる。紫式部は実在の作品を物語に取り込み、読者がよく知る長恨歌の世界を、桐壺帝と更衣の物語に重ねている。

長恨歌の言葉は、この場面の随所に引かれている。「太液の芙蓉、未央の柳」「比翼の鳥・連理の枝」「君王早朝せず」など、どれも当時の読者がすぐにわかる有名な句である。帝の「尋ねゆくまぼろしもがな」は、のちに第41帖「幻」の巻名のもとにもなった。光源氏が晩年、紫の上を失って詠む歌にも「まぼろし」が使われており、父と子が同じ嘆きをくり返す構図になっている。

帝が朝の政務を怠り、食事もとらないことを人々が心配するのは、長恨歌の玄宗が楊貴妃に溺れて国を乱したことを思い起こさせるからである。第1場面の「楊貴妃のためしも引き出でつべう」と呼応している。

関連

出典

底本
丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』物語部1(源氏物語 上) 板倉屋書房、明治36年(1903)、8–10頁(コマ6–7)。国立国会図書館デジタルコレクション
校合
塚本哲三編『源氏物語』1(有朋堂文庫) 有朋堂書店、昭和7年(1932)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日