徒然草 第1章(序段〜第6段)
つれづれなるままに
退屈にまかせて心に浮かぶことを書きつけるという序段に始まり、この世で人が望むもの――身分、容姿や人柄、学問と芸事、恋の情趣、後世を思う心――を次々に語る。為政者の倹約、色好みのあるべき姿、子孫を残さぬことの是非までを論じる。

- 1なるまゝになるまゝになるままに、、、ぐらしぐらしぐらし硯硯すずりにむかひてにむかひてにむかいて、、、心心こころにににををを、、、はははかとなくかとなくかとなく書書かきつくればきつくればきつくれば、、、。。。
- 2いでやこのいでやこのいでやこの世世よににに生生うまれてれてれてははは、、、ねがはしかるべきねがはしかるべきねがわしかるべき事事ことこそこそこそ多多おおかめれかめれかめれ。。。みかどのみかどのみかどの御位御位みくらいはははいともかしこしいともかしこしいともかしこし。。。ののの園生園生そのうのすゑばまでのすゑばまでのすえばまで、、、人間人間にんげんののの種種たねならぬぞやんごとなきならぬぞやんごとなきならぬぞやんごとなき。。。
- 3ののの人人ひとののの御御おんありさまありさまありさまはははさらなりさらなりさらなり、、、たゞたゞただ人人ひともももなどなどなど給給たまはるきはるきわるきははわはははゆゝしとゆゝしとゆゆしと見見みゆゆゆ。。。そのこうまごまでそのこうまごまでそのこうまごまでははははふれはふれほうれにたれどにたれどにたれど、、、なほなまめかしなほなまめかしなおなまめかし。。。
- 4それよりそれよりそれより下下しもつつつ方方かたははは、、、ほどにつけつゝほどにつけつゝほどにつけつつ時時ときにあひにあひにあい、、、したりしたりしたり顏顏がおなるもなるもなるも、、、みづからみづからみずからはははいみじといみじといみじと思思おもふらめどいとふらめどいとうらめどいと口口くちをををししし。。。法師法師ほうしばかりばかりばかりうらやましからぬものうらやましからぬものうらやましからぬものはははあらじあらじあらじ。。。
- 5「「「人人ひとにににははは木木きのののはしのやうにはしのやうにはしのように思思おもはるゝよはるゝよわるるよ」」」ととと淸淸きよ少納言少納言しょうなごんががが書書かけるもけるもけるも、、、げにさることぞかしげにさることぞかしげにさることぞかし。。。いきほひまうにのゝしりたるにつけていきほひまうにのゝしりたるにつけていきおいもうにののしりたるにつけて、、、いみじといみじといみじとははは見見みえずえずえず。。。
- 6ひじりのいひけむやうにひじりのいひけむやうにひじりのいいけむように、、、ぐるしくぐるしくぐるしく、、、佛佛ほとけののの御御おんをしへにたがふらむとぞをしへにたがふらむとぞおしえにたがうらむとぞ覺覺おぼゆるゆるゆる。。。ひたぶるのひたぶるのひたぶるの世世よすてすてすて人人ひとははは、、、なかなかあらまほしきかたもありなむなかなかあらまほしきかたもありなむなかなかあらまほしきかたもありなむ。。。
- 7人人ひとはははかたちありさまのかたちありさまのかたちありさまの勝勝すぐれたらむこそあらまほしかるべけれれたらむこそあらまほしかるべけれれたらむこそあらまほしかるべけれ。。。ものものものうちいひたるうちいひたるうちいいたる聞聞ききにくからずきにくからずきにくからず、、、あいぎやうありてあいぎやうありてあいぎょうありて詞詞ことば多多おおからぬこそあかずむかからぬこそあかずむかからぬこそあかずむかはははまほしけれまほしけれまほしけれ。。。
- 8めでたしとめでたしとめでたしと見見みるるる人人ひとののの心心こころおとりせらるゝおとりせらるゝおとりせらるる、、、本性本性ほんじょう見見みえむこそえむこそえむこそ口口くちをををしかるべけれしかるべけれしかるべけれ。。。しなかたちこそしなかたちこそしなかたちこそ生生うまれつきたらめれつきたらめれつきたらめ、、、心心こころはははなどかかしこきよりかしこきにもなどかかしこきよりかしこきにもなどかかしこきよりかしこきにもうつさばうつさばうつさばうつらざらむうつらざらむうつらざらむ。。。
- 9かたちかたちかたち心心こころざまよきざまよきざまよき人人ひとももも、、、ざえなくなりぬればざえなくなりぬればざえなくなりぬれば、、、しなくだりしなくだりしなくだり、、、顏顏がおにくさげなるにくさげなるにくさげなる人人ひとにもにもにも立立たちまじりてちまじりてちまじりて、、、かけずけおさるゝこそかけずけおさるゝこそかけずけおさるるこそほいなきわざなれほいなきわざなれほいなきわざなれ。。。
- 10ありたきことありたきことありたきことははは、、、まことしきまことしきまことしき文文ふみののの道道みち、、、作文作文さくもん、、、和歌和歌わか、、、管管かん絃絃げんののの道道みち、、、またまたまたににに公事公事おおやけごとのかたのかたのかた、、、人人ひとのかゞみならむこそいみじかるべけれのかゞみならむこそいみじかるべけれのかがみならむこそいみじかるべけれ。。。手手てなどつたなからずなどつたなからずなどつたなからずはしりがきはしりがきはしりがき、、、聲聲こえをををかくしてかくしてかくして拍子拍子ひょうしとりとりとり、、、いたましうするものからいたましうするものからいたましゅうするものから、、、をををのこのこのこはははよけれよけれよけれ。。。
- 11いにしへのいにしへのいにしえの聖聖ひじりののの御代御代みよのまつりごとのまつりごとのまつりごとをもをもをもわすれわすれわすれ、、、民民たみのののうれへうれへうれえ、、、國國くにのそこなはるゝのそこなはるゝのそこなわるるをもをもをも知知しらずらずらず、、、よろづにきよらよろづにきよらよろずにきよらをををつくしていみじとつくしていみじとつくしていみじと思思おもひひい、、、所所ところせきさましたるせきさましたるせきさましたる人人ひとこそこそこそうたてうたてうたて思思おもふところなくふところなくうところなく見見みゆれゆれゆれ。。。
- 12「「「衣冠衣冠いかんよりよりより馬車馬車うまくるまにいたるまでにいたるまでにいたるまで、、、あるにしたがひてもちゐよあるにしたがひてもちゐよあるにしたがいてもちいよ。。。美麗美麗びれいをもをもをもとむることなかれとむることなかれとむることなかれ」」」とぞとぞとぞ殿殿どのののの遺誡遺誡ゆいかいにもにもにもはべるはべるはべる。。。ののの禁中禁中きんちゅうののの事事ことどもどもども書書かかせかせかせ給給たまへるにもへるにもえるにも「「「おほやけのたてまつりものおほやけのたてまつりものおおやけのたてまつりものははは、、、おろそかなるおろそかなるおろそかなるをもをもをもつてよしとすつてよしとすつてよしとす」」」とこそとこそとこそ侍侍はべれれれ。。。
- 13よろづにいみじくともよろづにいみじくともよろずにいみじくとも、、、色色いろこのまざらむこのまざらむこのまざらむ男男おとこはははいとさうざうしくいとさうざうしくいとそうぞうしく、、、のさかづきのそこなきのさかづきのそこなきのさかずきのそこなき心心こころちぞすべきちぞすべきちぞすべき。。。露露つゆ霜霜しもにしほたれてにしほたれてにしおたれて、、、所所ところさだめずまどひありきさだめずまどひありきさだめずまどいありき、、、親親おやのいさめのいさめのいさめ、、、世世よのそしりのそしりのそしりをををつゝむにつゝむにつつむに心心こころのいとまなくのいとまなくのいとまなく、、、ににに思思おもひひい亂亂みだれれれ、、、さるさるさるははは獨獨ひとりねがちにまどろむねがちにまどろむねがちにまどろむ夜夜よなきこそなきこそなきこそをををかしけれかしけれかしけれ。。。
- 14さりとてさりとてさりとてひたすらたはれたるひたすらたはれたるひたすらたわれたる方方かたにににはははあらであらであらで、、、女女おんなにたやすからずにたやすからずにたやすからず思思おもはれむこそあらまほしかるべきわざなれはれむこそあらまほしかるべきわざなれわれむこそあらまほしかるべきわざなれ。。。
- 15後後のちののの世世よののの事事こと心心こころにわすれずにわすれずにわすれず、、、佛佛ほとけののの道道みちうとからぬうとからぬうとからぬ、、、心心こころにくしにくしにくし。。。
- 16不幸不幸ふこうにににうれへにうれへにうれえに沈沈しずめるめるめる人人ひとののの、、、かしらおろしなどかしらおろしなどかしらおろしなど、、、ふつゝかにふつゝかにふつつかに思思おもひとりたるにひとりたるにいとりたるにはははあらであらであらで、、、あるかなきかにあるかなきかにあるかなきかに門門かどさしこめてさしこめてさしこめて待待まつこともなくあかしつこともなくあかしつこともなくあかし暮暮くらしたるさるかたにあらまほししたるさるかたにあらまほししたるさるかたにあらまほし。。。
- 17中納言中納言ちゅうなごんのいひけむのいひけむのいいけむ、、、配所配所はいしょののの月月つき罪罪つみなくてなくてなくて見見みむことむことむこと、、、さもおぼえぬべしさもおぼえぬべしさもおぼえぬべし。。。
- 18我我わががが身身みのやんごとなからむにものやんごとなからむにものやんごとなからむにも、、、ましてましてまして數數かずならざらむにもならざらむにもならざらむにも、、、子子こといふものなくてありなむといふものなくてありなむというものなくてありなむ。。。「「「さきのさきのさきの、、、九條九條くじょうののの太政大臣太政大臣だいじょうだいじん、、、花園花園はなぞの左大臣左大臣さだいじん、、、皆皆みなぞぞぞううう絕絕たえむことえむことえむことををを願願ねがひひい給給たまへりへりえり。。。染殿染殿そめどののおとゞものおとゞものおとども、、、子孫子孫しそんおはせぬぞよくおはせぬぞよくおわせぬぞよく侍侍はべるるる。。。末末すえのおくれのおくれのおくれ給給たまへるへるえるはははわろきことなりわろきことなりわろきことなり」」」とぞとぞとぞののの翁翁おきなのものがたりにのものがたりにのものがたりにはははいへるいへるいえる。。。
- 19聖德太子聖德太子しょうとくたいしののの御墓御墓みはかをををかねてつかせかねてつかせかねてつかせ給給たまひけるときもひけるときもいけるときも、、、「「「こゝこゝここをををきれきれきれ、、、かしこかしこかしこをををたてたてたて、、、子孫子孫しそんあらせじとあらせじとあらせじと思思おもふなりふなりうなり」」」ととと侍侍はべりけるとかやりけるとかやりけるとかや。。。
現代語訳
〔序段〕することもなく所在ないのにまかせて、一日中硯に向かって、心に浮かんでは消えてゆくとりとめもないことを、何という当てもなく書きつけていると、妙に心が乱れて、正気でないような気持ちになる。
〔第1段〕さてまあ、この世に生まれたからには、望ましいと思うことはたくさんあるようだ。帝のご身分は、まことに恐れ多い。皇族の末の方々まで、人間の血筋ではないのが尊い。摂政・関白のご様子は言うまでもなく、普通の貴族でも、朝廷から舎人を賜るほどの身分の人は立派に見える。その子や孫までは、落ちぶれていても、やはり優雅さが残っている。それより下の身分の者は、身のほどに応じて時流に乗り、得意顔をしているのも、自分では大したものだと思っているのだろうが、まことに情けない。
法師ほどうらやましくないものはないだろう。「人からは木の切れ端のように思われることだ」と清少納言が書いているのも、なるほどもっともなことである。権勢が盛んで騒ぎたてているにつけても、立派だとは見えない。増賀上人が言ったという話のように、名声を求めて心が苦しく、仏の教えに背くことになるだろうと思われる。ひたすらに世を捨てた人は、かえって望ましいところもあるだろう。
人は容姿や風采がすぐれているのが望ましい。ちょっと物を言うのも聞き苦しくなく、愛嬌があって口数の多くない人とは、いつまでも向かい合っていたいものだ。立派だと思っていた人が、見劣りするような本性を見せるのは残念なことだろう。家柄や顔かたちは生まれつきのものだろうが、心はどうして、賢い方へ賢い方へと移そうとして移らないことがあろうか。容姿も気立てもよい人でも、学問がなくなってしまうと、品が下がり、顔の憎らしげな人の中にも立ちまじって、たやすく圧倒されるのは不本意なことである。
あってほしいことは、本格的な学問の道、漢詩を作ること、和歌、管絃の道、それに有職故実や朝廷の儀式に通じて、人の手本となることこそすばらしいだろう。字なども下手でなく走り書きをし、声よく歌って拍子をとり、酒を勧められるとはにかみながらも、下戸でないのが、男としてはよい。
〔第2段〕昔の聖天子の御代の政治のあり方も忘れ、民の嘆きや国が損なわれていくのも知らずに、万事にぜいたくを尽くして得意になり、場所を取るほど偉そうにふるまっている人は、ひどく考えのない人に見える。「衣服や冠から、馬や車に至るまで、あるものに従って用いよ。華美を求めてはならない」と、九条殿(藤原師輔)の遺訓にもある。順徳院が宮中の事をお書きになったもの(『禁秘抄』)にも、「天子のお召し物は、質素なのをよしとする」とある。
〔第3段〕万事にすぐれていても、恋の情趣を解さない男は、ひどく物足りなく、玉の杯に底がないような気がするにちがいない。露や霜にしっとり濡れながら、あてもなく恋にさまよい歩き、親の意見や世間の非難をはばかって心の休まる暇もなく、あれこれと思い乱れ、それでいて独り寝ばかりで、ぐっすり眠れる夜もないのが趣深いのである。とはいえ、ひたすら色恋に溺れるというのではなく、女性から軽々しい相手ではないと思われるのが、望ましいあり方であろう。
〔第4段〕来世のことを心に忘れず、仏の道に疎くないのは、奥ゆかしい。
〔第5段〕不幸にあって憂いに沈んでいる人が、髪をおろして出家するなど、思慮もなく決めてしまうのではなく、いるのかいないのかわからないように門を閉ざして、何を待つともなく日を暮らしているのは、それはそれで望ましい。顕基中納言が言ったという「配所の月を、罪のない身で見たい」という言葉も、なるほどそう思われるにちがいない。
〔第6段〕自分が高貴な身分であっても、まして取るに足りない身であればなおさら、子というものはないほうがよい。「前中書王(兼明親王)、九条の太政大臣(藤原伊通)、花園左大臣(源有仁)は、みな子孫が絶えることを願われた。染殿の大臣(藤原良房)も、子孫がいらっしゃらないのがよいのです。子孫が劣っていらっしゃるのはよくないことだ」と、世継の翁の物語(『大鏡』)には言っている。聖徳太子がご自分の墓を前もって造らせなさったときも、「ここを切れ、あそこを断て。子孫を残すまいと思うのだ」とおっしゃったとかいうことである。
意訳
〔序段〕何もすることのない一日、硯に向かって、心に浮かぶ雑多な思いをそのまま書きつけていくと、書くことに引きこまれて、自分でも不思議なほど気持ちが高ぶってくる。――随筆という形式そのものを語る、有名な書き出しである。
〔第1段〕人は生まれた以上、誰でもあれこれ望みを持つ。身分の高さは望んでも得られないが、法師の名利はむしろ見苦しい。生まれつきは変えられなくても、心と教養は磨けば移る。学問・詩文・和歌・音楽・故実に通じ、字も歌も上手で、酒も少しはいける――兼好の描く理想の男性像は、王朝以来の「よき人」の姿である。
〔第2段〕政治をとる者は、民の苦しみを忘れてぜいたくをしてはならない。藤原師輔の遺訓や順徳院の『禁秘抄』を引いて、為政者の質素を説く。
〔第3段〕恋を知らない男はつまらない。ただし、溺れるのではなく、恋に悩みながらも女性から重んじられるのが理想だという。
〔第4段〕〔第5段〕来世を思う心を持つこと、そして不幸のさなかに軽々しく出家せず、ひっそりと門を閉ざして暮らすことにも心ひかれる。「罪なくして配所の月を見る」という顕基の言葉に共感を寄せる。
〔第6段〕子孫は持たないほうがよいとまで言い切る。『大鏡』や聖徳太子の逸話を引き、家の繁栄に執着しない生き方を良しとする。
語釈・文法注
- つれづれなるまゝに
- することもなく退屈なのにまかせて。「つれづれ」は、手持ちぶさたで所在ないさま。書名『徒然草』の由来。
- 日ぐらし
- 一日中。朝から晩まで。
- よしなしごと
- とりとめのないこと。つまらないこと。
- そこはかとなく
- これといった当てもなく。とりとめもなく。
- ものぐるほしけれ
- 「ものぐるほし」は、正気でないような、気持ちが高ぶって落ち着かない感じ。
- 竹の園生
- 皇族。中国の梁の孝王が竹を植えた園を「竹園」と呼んだ故事から。
- 一の人
- 摂政・関白。臣下の第一の人。
- 舍人
- ここでは、朝廷から護衛として賜る随身のこと。賜るのは一定以上の身分の貴族に限られた。
- 增賀
- 平安中期の天台宗の僧(917〜1003)。名利を嫌い、奇行で知られた。
- 名聞
- 世間の評判。名声を求める心。
- 有職
- 朝廷や公家の儀式・制度・慣例に通じていること。有職故実。
- げこ
- 下戸。酒の飲めない人。
- 九條殿
- 藤原師輔(908〜960)。『九条右丞相遺誡』を残した。
- 順德院
- 順徳天皇(1197〜1242)。宮中の故実を記した『禁秘抄』を著した。
- 玉のさかづきのそこなき
- 立派でも肝心のものが欠けていること。『文選』に見える「玉卮無当(玉の杯に底がない)」による。
- あふさきるさ
- ああでもないこうでもないと。あれこれ迷うさま。
- 顯基中納言
- 源顕基(1000〜1047)。後一条天皇の死を悲しんで出家した。「罪なくして配所の月を見ばや」の言葉で知られる。
- 中書王
- 中務卿の唐名「中書令」による呼び名。ここでは前中書王の兼明親王。
- 世繼の翁のものがたり
- 『大鏡』。大宅世継という老人が昔語りをする形をとる。
文法
- あやしうこそものぐるほしけれ
- 「こそ」の係り結びで、形容詞「ものぐるほし」が已然形「ものぐるほしけれ」になる。「あやしう」は「あやしく」のウ音便。
- 多かめれ
- 「多かるめれ」の撥音便「多かんめれ」の撥音の無表記。「めれ」は推定の助動詞「めり」の已然形で、「こそ」の結び。
- うつさばうつらざらむ
- 「うつさば」は未然形+「ば」の仮定条件。「などか…うつらざらむ」で、どうして移らないことがあろうか(いや移る)という反語。
- なくてありなむ
- 「な」は強意の助動詞「ぬ」の未然形、「む」は適当。ないほうがよいだろう。
- 皆ぞう絕えむことを
- 底本は「ぞう」と書く。一族・子孫の意の「族(ぞう)」。
解説
『徒然草』は、兼好法師(卜部兼好、1283ごろ〜1352ごろ)が、鎌倉時代末期の元徳二年(1330)から翌年ごろにまとめたとされる随筆である。序段と243の段からなり、長短さまざまの文章が、ほとんど脈絡なく並んでいる。清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と並べて、日本の三大随筆と呼ばれる。
序段の「つれづれなるままに」は、『枕草子』の跋文や『和泉式部日記』などにも見える平安以来の言い方を受けたもので、書くことの動機を「することがないから」と軽く言いながら、書くうちに心が騒ぐ自分を見つめている。「ものぐるほし」を、文章の出来を卑下した言葉ととるか、書くことに熱中していく心の高揚ととるかは、昔から説が分かれる。
第1段から第6段までは、人が望むものを順に挙げていく。身分の高さ、容姿と人柄、学問と芸、恋の情趣、後世を思う心と、望ましいものが少しずつ俗から聖へと移っていくように並んでいる。第1段の理想の男性像は、王朝の貴族社会を手本にしたもので、兼好の尚古趣味がよく表れている。一方で、法師の名利をきびしく退け(第1段)、為政者のぜいたくを戒め(第2段)、子孫への執着さえ否定する(第6段)ところに、遁世者としての兼好の目がある。
兼好は、京都の吉田神社の神職の家である卜部氏の出身で、若いころは堀川家に仕え、後二条天皇の蔵人などをつとめた。三十歳ごろまでに出家し、比叡山の横川や京都の修学院・双ヶ岡などに住んだ。歌人としても知られ、二条為世の門下の「和歌四天王」の一人に数えられる。「吉田兼好」の名は、江戸時代以降に広まった呼び名である。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(徒然草) 板倉屋書房、明治36年(1903)、763〜765頁(コマ395–396)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日