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新古今和歌集 巻第十七 雑歌中 1680番

住みなれし

行尊(ぎょうそん)

住み慣れた私の古里は、このごろ浅茅が原となって鶉が鳴いているだろうか。

作者
大僧正行尊(行尊)
  1. 1三井寺みゐでら三井寺みゐでらみいでら燒や燒ややけてけてけて後のち後のちのち、、、住す住すすみみみ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける坊ばう坊ばうぼうををを思おも思おもおもひやりてよめるひやりてよめるいやりてよめる詞書
  2. 2住す住すすみなれしみなれしみなれし初句
  3. 3わがわがわが故鄕ふるさと故鄕ふるさとふるさとははは二句
  4. 4此この此このこの頃ごろ頃ごろごろややや三句
  5. 5淺茅あさぢ淺茅あさぢあさじががが原はら原はらはらににに四句
  6. 6鶉うづら鶉うづらうずら鳴な鳴ななくらむくらむくらむ結句

引用の仕方

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現代語訳

〔詞書〕三井寺が焼けた後、住んでいた僧坊を思いやって詠んだ歌。

住み慣れた私の古里は、このごろ浅茅が原となって鶉が鳴いているだろうか。

意訳

住み慣れた三井寺の僧坊は、焼けてしまった今ごろ、浅茅の原となって鶉が鳴いているのだろうか。

語釈・文法注

和歌

作者
行尊(ぎょうそん) 1055–1135
源基平の子。園城寺の僧で、大峰山などで修行を重ね、のち天台座主・大僧正に至った。修行の旅の歌が多い。
出典
『新古今和歌集』巻第十七・雑歌中・1680番
歌体
短歌
状況
詞書「三井寺燒けて後、住み侍りける坊を思ひやりてよめる」(三井寺が焼けた後、住んでいた僧坊を思いやって詠んだ歌)。

解説

行尊の歌。

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出典

底本
『新古今集』 短歌雑誌社編輯部校訂、紅玉堂書店、大正15年(1926)、308頁(コマ164)。流布本を底本とする。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部(本文は底本による。現代語訳・注は当サイト)
更新日