紫式部日記 第21章
二の宮の五十日
寛弘七年正月十五日、二の宮敦良親王の五十日の祝い。作者は小少将の君と局を一つにして暮らしている。帝と中宮が並ぶ御前で、女房たちの装いや、袖口の配色の失敗を書きとめる。宴では公卿たちが催馬楽を謡い管絃を奏で、右大臣の失態の気まずさと、笛の贈り物を記して日記は終わる。
- 1またまたまたののの日日ひ夕夕ゆうつかたつかたつかた、、、いつしかいつしかいつしかととと霞霞かすみみみたるたるたる空空そらをををつくりつくりつくりつゞけつゞけつづけたるたるたる軒軒のきのののひまひまひまなきなきなきにてにてにて、、、たゞたゞただ渡渡わた殿殿どののののうへうへうえのののほどほどほどをををほのかほのかほのかににに見見みててて、、、中中なか務務つかさのののめのとめのとめのとゝゝとよべよべよべののの御御おおん口口くちずさみずさみずさみをををめでめでめできこゆきこゆきこゆ。。。
- 2このこのこの命命みょう婦婦ぶぞぞぞ、、、ものものものゝゝのこゝろこゝろこころえええてててかどかどしくかどかどしくかどかどしくははは侍侍はべるるる人人ひとなれなれなれ。。。
- 3あからさまあからさまあからさまにににまかでまかでまかでゝゝて、、、二二にののの宮宮みやののの御御おおんいかいかいかははは正正しょう月月がつ十五日十五日じゅうごにち、、、そのそのその曉曉あかつきまゐるまゐるまいるににに、、、小小こ少少しょう將將しょうののの君君きみ、、、明明あけけけはてはてはてゝゝてはしたなくはしたなくはしたなくなりなりなりたるたるたるににに參參まいりりり給給たまへへえりりり。。。
- 4例例れいのののおなじおなじおなじ所所ところににに居居いたりたりたり。。。二二ふた人人りののの局局つぼねをををひとつひとつひとつにににあはせあはせあわせててて、、、かたみかたみかたみににに里里さとなるなるなるほどほどほどもももすむすむすむ。。。一一ひとたびたびたびにににまゐりまゐりまいりてててははは几帳几帳きちょうばかりばかりばかりへだてへだてへだてにてにてにてありありあり。。。殿殿とのぞぞぞわたらわたらわたらせせせ給給たまふふう。。。
- 5かたみかたみかたみににに知知しらららぬぬぬ人人ひともももかたらはかたらはかたらわるゝるゝるるなどなどなど、、、聞聞ききききにくゝにくゝにくく、、、されどされどされどたれたれたれもももさるさるさるうとうとしきうとうとしきうとうとしきことことことなけれなけれなければばば、、、心心こころやすくやすくやすくてててなむなむなん。。。
- 6日日ひたけたけたけてててまうまうもうのぼるのぼるのぼる。。。かのかのかの君君きみははは櫻櫻さくらののの織織おり物物もののののうちきうちきうちき、、、赤赤あか色色いろのののからからからぎぬぎぬぎぬ、、、例例れいののの摺摺すり裳裳も着着き給給たまへへえりりり。。。紅紅こう梅梅ばいににに萠萠もえ黄黄ぎ、、、柳柳やなぎのののからからからぎぬぎぬぎぬ、、、ものものものすりめすりめすりめなどなどなど今今いまめかしけれめかしけれめかしければばば、、、とりとりとりもももかへかへかへつつつべくべくべくぞぞぞわかやかわかやかわかやかなるなるなる。。。
- 7うへうへうえ人人びとどもどもども十七人十七人じゅうしちにんぞぞぞ宮宮みやののの御御おおん方方かたにににまゐりまゐりまいりたるたるたる。。。いといといと宮宮みやののの御御おおんまかなひまかなひまかないははは橘橘たちばなののの三三さん位位み。。。とりとりとりつぐつぐつぐ人人ひと、、、はしはしはしにににははは小小こ大大たい夫夫ふ、、、式式しき部部ぶ、、、うちうちうちにににははは小小こ少少しょう將將しょう。。。
- 8みかどみかどみかどきさいきさいきさい、、、みみみ帳帳ちょうののの內內うちににに二二ふたところところところながらながらながらおはしますおはしますおわします。。。朝朝あさ日日ひのののひかりひかりひかりあひあひあいてててまばゆきまばゆきまばゆきまでまでまで耻耻はずかしげしげしげなるなるなる御御おまへまへまえなりなりなり。。。
- 9うへうへうえははは御御おおんなほしなほしなおし、、、こぐちこぐちこぐち奉奉たてまつりりり、、、宮宮みやははは例例れいののの紅紅くれないののの御御おおんぞぞぞ、、、紅紅こう梅梅ばい、、、もえぎもえぎもえぎ、、、柳柳やなぎ、、、山山やま吹吹ぶきののの御御おおんぞぞぞ、、、上上うえにににはははえびえびえび染染ぞめののの織織おり物物ものののの御御おおんぞぞぞ、、、柳柳やなぎのののうへうへうえしろしろしろののの御御おおんこうちきこうちきこうちき、、、もんもんもんももも色色いろもももめづらしくめづらしくめずらしく今今いまめかしきめかしきめかしき奉奉たてまつれれれりりり。。。
- 10あなたあなたあなたはははいといといとけそうけそうけそうなれなれなればばば、、、このこのこの奥奥おくにににやをらやをらやおらすべりすべりすべりとゞまりとゞまりとどまりててて居居いたりたりたり。。。
- 11中中なか務務つかさののの乳乳めの母母と、、、宮宮みやいだきいだきいだき奉奉たてまつりりりててて、、、御御み帳帳ちょうのののはざまはざまはざまよりよりより南南みなみざまざまざまにににいでいでいで奉奉たてまつるるる。。。
- 12こまかこまかこまかにににそはそはしくそはそはしくそわそわしくなどなどなどはははあらあらあらぬぬぬかたちかたちかたちののの、、、たゞたゞただゆるらかゆるらかゆるらかにににものものしきものものしきものものしきさまさまさまうちうちうちしししててて、、、さるさるさるかたかたかたににに人人ひとをををしししつつつべくべくべく、、、かどかどしきかどかどしきかどかどしきけはひけはひけわいぞぞぞしししたるたるたる。。。えびえびえび染染ぞめののの織織おり物物ものののの小小こ袿袿うちき、、、無無む紋紋もんののの靑靑あお色色いろににに櫻櫻さくらのののからからからぎぬぎぬぎぬ着着きたりたりたり。。。
- 13そのそのその日日ひののの人人ひとのののさうぞくさうぞくそうぞく、、、いづれいづれいずれとととなくなくなくつくしつくしつくしたるたるたるををを、、、袖袖そで口口ぐちのののあはひあはひあわいわろうわろうわろう重重かさねねねたるたるたる人人ひとしもしもしも、、、御御おまへまへまえのののものものものとりとりとりいるいるいるとてとてとて、、、そこらそこらそこらののの上達部上達部かんだちめ殿殿てん上上じょう人人びとにににさしさしさしいでいでいでゝゝて、、、まぼらまぼらまぼられれれつるつるつることことことこそこそこそ、、、後後のちににに宰宰さい相相しょうののの君君きみなどなどなど口口くちをしがりをしがりおしがり給給たまふふうめりめりめりししし。。。
- 14さるさるさるははは惡惡あしくしくしくももも侍侍はべらららざりざりざりききき。。。たゞたゞただあはひあはひあわいのののさめさめさめたるたるたるなりなりなり。。。
- 15小小こ大大たい夫夫ふははは、、、くれなゐくれなゐくれない一一ひとかさねかさねかさね、、、うへうへうえににに紅紅こう梅梅ばいののの濃濃こききき薄薄うすききき五五いつつつつををを重重かさねねねたりたりたり。。。からからからぎぬぎぬぎぬ櫻櫻さくら、、、源源げん式式しき部部ぶははは、、、濃濃こきききにににまたまたまた紅紅こう梅梅ばいののの綾綾あやぞぞぞ着着きててて侍侍はべるるるめりめりめりししし。。。
- 16織織おり物物ものならならならぬぬぬをををわろしわろしわろしとととにににややや、、、それそれそれあながちあながちあながちのののことことことけそうけそうけそうなるなるなるにににしもしもしもこそこそこそ、、、とりとりとりあやまちあやまちあやまちのののはははののの見見みえええたらたらたらむむん、、、そばめそばめそばめをををもももえらえらえらせせせ給給たまふふうべけれべけれべけれ。。。きぬきぬきぬのののおとりおとりおとりまさりまさりまさりはははいふいふいうべきべきべきことことことならならならずずず。。。
- 17もちひもちひもちい參參まいらららせせせ給給たまふふうことことことゞゞどもももはてはてはてゝゝて、、、御御おおんだいだいだいなどなどなどまかでまかでまかでゝゝて、、、廂廂ひさしのののみすみすみすあぐるあぐるあぐるきはきはきわににに、、、うへうへうえののの女房女房にょうぼうははは御御み帳帳ちょうののの西西にし面面おもてのののひひひのののおましおましおましにににおしおしおし重重かさねねねたるたるたるやうやうようにてにてにて、、、なみなみなみゐゐいたるたるたる。。。
- 18三三さん位位みをををはじめはじめはじめててて內內ない侍侍しのののすけすけすけたちたちたちもももあまたあまたあまた參參まいれれれりりり。。。宮宮みやののの人人ひと々々びとははは、、、わかわかわかうどうどうどはははなげしなげしなげしのののしもしもしも、、、東東ひんがしののの廂廂ひさしののの南南みなみのののさうじさうじそうじ放放はなちちちてててみすみすみすかけかけかけたるたるたるににに上上じょう臈臈ろうははは居居いたりたりたり。。。
- 19御御み帳帳ちょうのののひんがしひんがしひんがしのののはざまはざまはざま唯唯ただすこしすこしすこしあるあるあるににに、、、大大だい納納な言言ごんののの君君きみ、、、小小こ少少しょう將將しょうののの君君きみ居居いたまへたまへたまえるるる所所ところににに尋尋たずねねね行行ゆきききててて見見みるるる。。。
- 20うへうへうえはははひらひらひらしきしきしきののの御御おおん座座ざににに御御お膳膳もの參參まいりりりすゑすゑすえたりたりたり。。。おおおまへまへまえのののものものものしししたるたるたるさまさまさまいひいひいいつくさつくさつくさむむんかたかたかたなしなしなし。。。
- 21すのこすのこすのこににに北北きたむきむきむきににに西西にしをををかみかみかみにてにてにて、、、上達部上達部かんだちめ、、、左左さ右右ゆう內內ないのののおほいとのおほいとのおおいとの、、、春春とう宮宮ぐうののの大大だい夫夫ぶ、、、四四し條條じょうののの大大だい納納な言言ごん、、、それそれそれよりよりよりしもしもしもはははえええ見見み侍侍はべらららざりざりざりききき。。。
- 22御御おおんあそびあそびあそびありありあり。。。殿殿てん上上じょう人人びとはははこのこのこの對對たいののの辰辰たつ巳巳みにににあたりあたりあたりたるたるたる廊廊ろうにににさぶらふさぶらふさぶらう。。。地地じ下下げはははさだまれさだまれさだまれりりり。。。
- 23かげまさかげまさかげまさののの朝朝あ臣臣そん、、、これかぜこれかぜこれかぜののの朝朝あ臣臣そん、、、ゆきよしゆきよしゆきよし、、、ともまさともまさともまさなどなどなどやうやうようののの人人ひと々々びと、、、うへうへうえににに四四し條條じょうののの大大だい納納な言言ごんはははうしうしうしとりとりとり、、、頭頭とうののの辨辨べん琵琵び琶琶わ、、、ことことことははは左左ひだりののの宰宰さい相相しょう、、、中將中將ちゅうじょうさうさうそうののの笛笛ふえとととぞぞぞ。。。
- 24雙雙そう調調じょうののの聲聲こえにてにてにてあなたふとあなたふとあなたうと、、、次次つぎにににむしろだむしろだむしろだ、、、このこのこの殿殿とのなどなどなどうたふうたふうたう。。。かくかくかくのののものものものははは鳥鳥とりののの破破は急急きゅうをををあそぶあそぶあそぶ。。。とととののの座座ざにににもももてうしてうしちょうしなどなどなどをををふくふくふく。。。
- 25歌歌うたにににはははうしうしうしうちうちうちたがへたがへたがえててて咎咎とがめめめらるらるらる。。。伊伊い勢勢せののの海海うみにににぞぞぞありありありししし。。。右右みぎのののおとゞおとゞおとど「「「和和わ琴琴ごんいといといとおもしろしおもしろしおもしろし」」」などなどなど聞聞ききききはやしはやしはやしたまひたまひたまい、、、ざれざれざれたまふたまふたまうめりめりめりししし。。。
- 26はてはてはてにににははは、、、いみじきいみじきいみじきあやまちあやまちあやまちのののいとほしきいとほしきいとおしきこそこそこそ見見みるるる人人ひとののの身身みさへさへさへひえひえひえはべりはべりはべりしかしかしか。。。御御おおん贈贈おくり物物もの笛笛ふえ二二ふた箱箱はこににに入入いれれれてててとととぞぞぞ見見みえええ侍侍はべりりりししし。。。
現代語訳
翌日の夕方、早くも霞んでいる空を、建て続いた軒のすきまもないので、ただ渡殿の屋根の上のあたりにほのかに見て、中務の乳母と、昨夜の殿の口ずさみをおほめ申し上げる。
この命婦こそ、物の道理をわきまえていて、才気のある人です。
ちょっと里に下がっていて、二の宮の五十日の祝いは正月十五日で、その明け方に参上すると、小少将の君は、夜がすっかり明けてきまりが悪くなってから参上なさった。
いつものように同じ所にいる。二人の局を一つに合わせて、どちらかが里にいるあいだも住んでいる。二人いっしょに参上しているときは、几帳だけを隔てにしている。殿がそれをご覧になって、
「互いに知らない男が訪ねてきたらどうする」などとおっしゃるのは聞き苦しいけれど、どちらもそんなよそよそしいことはないので、気楽にしています。
日が高くなってから中宮さまの御前に参上する。あの君(小少将の君)は桜の織物の袿に、赤色の唐衣、いつもの摺裳を着ていらっしゃった。わたしは紅梅に萌黄、柳の唐衣、裳の摺り目なども当世風だったので、取り替えたいほど若々しい。
帝付きの女房が十七人、中宮さまの御方に参上していた。幼い宮のお給仕役は橘の三位。取り次ぐ人は、端の方には小大輔と源式部、内の方には小少将の君。
帝と中宮さまが、御帳台の中にお二人そろっていらっしゃる。朝日の光が差しこんで、まばゆいほどに気後れするような御前である。
帝は御直衣に小口の袴をお召しになり、中宮さまはいつもの紅の御衣に、紅梅・萌黄・柳・山吹の御衣、上には葡萄染の織物の御衣、柳の上白の御小袿という、紋も色もめずらしく当世風なものをお召しになっていた。
あちらはたいそう晴れがましいので、わたしはこの奥にそっとすべり込んで控えていた。
中務の乳母が宮をお抱き申し上げて、御帳台のすきまから南の方へお連れ申し上げる。
細やかでせかせかしたところのない容貌で、ただゆったりと堂々としたようすで、そういう役目にふさわしく人を教え導きそうな、才気のある雰囲気をしている。葡萄染の織物の小袿に、無紋の青色に桜の唐衣を着ていた。
その日の女房たちの装束は、だれもみな心を尽くしていたが、袖口の配色を悪く重ねていた人が、ちょうど御前の物を取り入れるときに、大勢の上達部や殿上人の前に(袖口を)差し出して、じろじろ見られてしまったことを、後で宰相の君などが残念がっていらっしゃったようです。
とはいえ、それほど悪くもありませんでした。ただ色の取り合わせがさえなかっただけです。
小大輔は、紅の一襲に、上に紅梅の濃いのと薄いのを五つ重ねていた。唐衣は桜。源式部は、濃い紅に、また紅梅の綾を着ていたようでした。
織物でないのを悪いとでもいうのだろうか。それは無理なことで、晴れがましいときにこそ、ちょっとした誤りが見えたりすると、横目でちらりとも見られてしまうものだろう。衣の優劣は言うまでもない。
餅をお差し上げになる儀がすべて終わって、お膳なども下げられ、廂の御簾を巻き上げるころ、帝付きの女房たちは御帳台の西面の昼の御座に押し重なるようにして並んで座っている。
三位をはじめとして、典侍たちも大勢参上していた。中宮方の女房は、若い女房は長押の下に、東の廂の南の障子を取り払って御簾をかけたところに上臈の女房は座っていた。
御帳台の東のすきまがほんの少しあるところに、大納言の君と小少将の君が座っていらっしゃる所に、わたしは訪ねて行って見る。
帝は平敷の御座にお食事を差し上げてある。御前の調度のようすは言いつくしようがない。
簀子に北向きに、西を上座にして、上達部、左右内の大臣、春宮の大夫、四条の大納言が座り、それより下座は見ることができませんでした。
管絃の遊びがある。殿上人はこの対の東南にあたる廊に控えている。地下の楽人は定まっている。
景斉の朝臣、惟風の朝臣、行義、遠理などのような人々で、上の座では四条の大納言(公任)が拍子をとり、頭の弁が琵琶、琴は左の宰相、中将は笙の笛だったとか。
双調の調子で「安名尊」、次に「席田」、「この殿」などを謡う。楽器の演奏では「鳥の破急」を奏する。殿上の座でも調子などを吹く。
歌では拍子を打ち間違えてとがめられた。「伊勢の海」のときだった。右の大臣が「和琴がたいそうおもしろい」などと聞きほめなさって、ふざけていらっしゃったようだった。
最後に、(右大臣の)ひどい失態がお気の毒で、見ている人の身まで冷えるほどでございました。(帝への)御贈り物は、笛を二つの箱に入れてと見えました。
意訳
道長の「野辺に小松の」の口ずさみを、翌日、中務の乳母とともにほめる。
中務の乳母は物の道理をわきまえた才気ある人だと評する。
二の宮敦良親王の五十日の祝いが正月十五日に行われる。作者は明け方に参上し、小少将の君は遅れてやって来た。
作者と小少将の君は二人で一つの局を使っていた。親しい二人の暮らしぶりがわかる。
道長は、知らない男が来たらどうすると冗談を言うが、二人のあいだに隠しごとはないので気にしない。
小少将の君と作者の装束。作者は自分の衣が若々しすぎて、取り替えたいほどだったという。
帝付きの女房も祝いに来ている。給仕役や取り次ぎの女房の名を記す。
帝と中宮が並んで御帳台の中にいる。朝日に照らされた御前はまばゆいほどである。
帝と中宮の装束を書きとめる。
作者は晴れがましい場を避けて、奥に控えている。最後まで人目を避ける作者の姿である。
中務の乳母が二の宮を抱いて進み出る。
中務の乳母の堂々とした姿を描く。
袖口の配色を失敗した女房が、公卿たちの前で見られてしまった。宰相の君たちが残念がる。
作者は、悪くはなかった、ただ配色がさえなかっただけだとかばう。
ほかの女房たちの装束。
晴れの場では、ちょっとした失敗も人目につく。作者は女房たちの心得として書き添える。
餅の儀が終わり、帝付きの女房たちが居並ぶ。
中宮方の女房たちの座。
作者は親しい大納言の君と小少将の君のところへ行って見物する。
帝の御膳の豪華さは言いつくせない。
公卿たちの座。作者はそれより下座は見えなかったとことわる。
管絃の遊び。楽人の配置を記す。
公任が拍子をとり、公卿たちがそれぞれ楽器を受け持つ。
演奏された曲名まで記録する。
「伊勢の海」で拍子を打ち間違えた人がいた。右大臣顕光は浮かれて和琴をほめ、ふざけていた。
最後に、右大臣の大きな失態があり、見ている者まで身の冷える思いをした。帝への贈り物の笛のことを記して、日記は終わる。華やかな宴の最後に、気まずい失態と淡々とした記録を置いて筆をおく終わり方は、この日記らしい。
語釈・文法注
文法
- 「かたみに知らぬ人もかたらはるゝ」
- 道長の冗談の言葉。互いに知らない男を(局に)引き入れて語らうことになるだろう、とからかった。
- 「いと宮」
- 幼い宮。二の宮敦良親王のこと。
- 「あなたふと」「むしろだ」「この殿」「伊勢の海」
- いずれも催馬楽の曲名。「安名尊(あなたふと)」「席田(むしろだ)」「此殿(このとの)」「伊勢海(いせのうみ)」。
- 「かくのものは鳥の破急をあそぶ」
- 底本は「かく」の下に小字の注記がある。楽器で演奏する曲は「鳥の破急(迦陵頻の破と急)」を奏した、と解した。
- 「との座にもてうしなどをふく」
- 底本のまま。殿上の座でも調子(音合わせの曲)などを吹く、と解した。
- 「うしうちたがへて」
- 「うし」は拍子(ひょうし)。拍子を打ち間違えて。
解説
寛弘七年(1010)正月十五日、前年十一月に生まれた二の宮敦良親王(のちの後朱雀天皇)の五十日の祝いが行われた。日記の最後の記事である。作者は親友の小少将の君と局を共にし、晴れの場では奥に控えて、帝と中宮が並ぶ御前のようすや女房たちの装束、宴の管絃を書きとめている。
日記は、右大臣顕光の失態の気まずさと、帝への贈り物の笛のことを記して唐突に終わる。この終わり方から、現存の本文はもとの日記の一部ではないかとも考えられている。
『紫式部日記』は、敦成・敦良の二皇子の誕生という道長家の慶事の記録を骨格としながら、その中に作者自身の孤独や内省、同僚や同時代の才女たちへの鋭い観察を織りこんでいる。『源氏物語』の作者の素顔と、一条朝の宮廷の姿を伝える貴重な作品である。
関連
出典
- 底本
- 丸岡桂・松下大三郎編『国文大観』日記草子部(紫式部日記) 板倉屋書房、明治36年(1903)、416–418頁(コマ220–221)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日