古事記 上巻
序(古事記を献上する上表文)
太安万侶が元明天皇に古事記を献上したときの上表文。天地のはじめからの神話と歴代の事績をたどり、天武天皇が稗田阿礼に帝紀・旧辞を誦み習わせたいきさつ、元明天皇の命で安万侶が三巻に撰録したこと、表記の方針を述べる。
- 1臣臣しん言言もうすすす。。。夫夫それれれ既既すでににに凝凝こりてりてりて、、、氣象氣象きしょう未未いまだだだ效效あらわはははれずれずれず、、、名名なももも無無なくくく爲爲わざももも無無なししし、、、誰誰たれかかか其其そののの形形かたちををを知知しらむらむらむ。。。然然しかしてしてして乾坤乾坤けんこん初初はじめてめてめて分分わかれてれてれて、、、造化造化ぞうかののの首首おびとををを作作なししし、、、陰陽陰陽いんよう斯斯ここににに開開ひらけてけてけて、、、羣品羣品ぐんぴんののの祖祖おやたりたりたり。。。所以所以このゆえにににににに出入出入しゅつにゅうしてしてして、、、目目めををを洗洗あらふにふにふに彰彰あらわはははれれれ、、、海水海水かいすいににに浮沉浮沉ふちんしてしてして神祇神祇じんぎ身身みををを滌滌すすぐにぐにぐに呈呈あらわはははるるる。。。故故かれ太素太素たいそののの杳冥杳冥ようめいなるなるなる、、、本敎本敎ほんきょうににに因因よしりてりてりて土土くにををを孕孕はらみみみ島島しまををを產產うみみみ給給たまひしひしいし時時ときををを識識しりりり、、、元始元始げんしののの綿邈綿邈めんばくたるたるたる、、、先聖先聖せんせいににに賴賴よりてりてりて神神かみををを生生うみみみ人人ひとををを立立たててて給給たまひしのひしのいしの世世よををを察察あきらかにすらかにすらかにす。。。寔寔まことににに知知しるるる、、、ををを懸懸かけけけ珠珠たまををを吐吐はきてきてきて、、、百王百王ひゃくおう相續相續あいつぎぎぎ、、、ををを喫喫くひひひ蛇蛇へみををを切切きりてりてりて、、、萬神萬神ばんしん蕃息蕃息はんそくすることすることすることををを。。。臣安萬侶言。夫混元既凝。氣象未效。無名無爲。誰知其形。然乾坤初分。參神作造化之首。陰陽斯開。二靈爲羣品之祖。所以出入幽顯。日月彰於洗目。浮沉海水。神祇呈於滌身。故太素杳冥。因本敎而識孕土產島之時。元始綿邈。賴先聖而察生神立人之世。寔知懸鏡吐珠。而百王相續。喫劒切蛇。以萬神蕃息歟。
- 2ののの河河かはににに議議はかりてりてりて天下天下あめのしたををを平平たいらげげげ、、、ににに論論あげつらひてひてひて國土國土くにををを淸淸きよめきめきめき。。。是是ここををを以以もつててて、、、初初はじめてめてめて高千高千たかちののの嶺嶺たけににに降降くだりりり給給たまひひい、、、ののの天皇天皇すめらみこと秋津島秋津島あきつしまををを經歷經歷けいれきししし給給たまふふう。。。爪爪つめををを出出いでてでてでて、、、天劍天劍てんけん高倉高倉たかくらににに獲獲え、、、徑徑みちををを遮遮さえぎりりり、、、大烏大烏たいう吉野吉野よしのににに導導みちびくくく。。。儛儛まいををを列列なねてねてねて賊賊ぞくををを攘攘はらひひひ、、、歌歌うたををを聞聞きいていていて仇仇あたををを伏伏ふすすす。。。卽卽すなわちちち夢夢ゆめににに覺覺さとりてりてりて神祇神祇じんぎををを敬敬うやまひひひ給給たまふふう、、、所以所以このゆえにににととと稱稱しようすすす。。。煙煙けぶりををを望望のぞんでんでんで黎元黎元れいげんををを撫撫なででで給給たまふふう、、、今今いまににに於於おいてててととと傳傳つたふふふ。。。境境さかいををを定定さだめめめ邦邦くにををを開開ひらきてきてきて、、、ににに制制せいししし給給たまひひい、、、姓姓かばねををを正正ただししし氏氏うじををを撰撰えらひてひてひて、、、ににに勒勒ろくししし給給たまふふう。。。步驟步驟ほしゅう各各おのおの異異ことににに、、、文質文質ぶんしつ同同おなじからずとじからずとじからずと雖雖いえどももも、、、古古いにしえををを稽稽かんがへてへてへて以以もつててて風猷風猷ふういうををを既既すでににに頽頽すたれたるにれたるにれたるに繩繩ただししし、、、今今いまををを照照てらしてらしてらして以以もつててて典敎典敎てんきょうををを絕絕たえむとえむとえむと欲欲ほつするにするにするに補補おぎなはははずといふずといふずという事事こと莫莫なししし。。。ののの大宮大宮おおみやににに大八洲大八洲おおやしま御御しろしめしししししし天皇天皇すめらみことののの御世御世みよににに暨暨およびびび、、、元元げんををを體體たいししし、、、洊雷洊雷せんらい期期ちぎりににに應應おうずずず。。。夢夢ゆめののの歌歌うたををを聞聞ききてきてきて業業ぎょうををを纂纂つがむがむがむ事事ことををを想想おもひひひ、、、夜夜よるののの水水みずににに投投いたりてりてりて基基もといををを承承うけむけむけむ事事ことををを知知しろしめすろしめすろしめす。。。然然しかれどもれどもれども天天あめののの時時とき未未いまだだだ臻臻いたらずらずらず、、、ににに蟬蟬せみののの如如ごとくくく蛻蛻もぬけけけ給給たまひひい、、、人事人事じんじ共共ともににに洽洽あまねくしてくしてくして、、、ににに虎虎とらののの如如ごとくくく步步あゆみみみ給給たまひきひきいき。。。皇輿皇輿こうよ忽忽たちまちちち駕駕がしてしてして、、、山川山川さんせんををを凌渡凌渡しのぎわたりりり、、、六師六師りくし雷雷いかずちののの如如ごとくくく震震ふるひひひ、、、三軍三軍さんぐん電電いなびかりののの如如ごとくくく逝逝ゆくくく。。。杖矛杖矛じょうぼう威威いををを擧擧あげてげてげて、、、猛士猛士もうし煙煙けぶりののの如如ごとくくく起起おこりりり、、、絳旗絳旗こうき兵兵つわものををを耀耀かがやかしてかしてかして、、、凶徒凶徒きょうと瓦瓦かわらののの如如ごとくくく解解とけつけつけつ。。。未未いまだだだ浹辰浹辰しょうしんををを移移うつさずしてさずしてさずして、、、氣沴氣沴きれい自自ずかららら淸淸きよまりぬまりぬまりぬ。。。乃乃すなわちちち牛牛うしををを放放はなちちち馬馬うまををを息息いこへへへ、、、愷悌愷悌がいていしてしてして華夏華夏かかににに歸歸かえりりり、、、旌旌はたををを卷卷まききき戈戈ほこををを戢戢おさめめめ、、、儛詠儛詠ぶえいしてしてして都邑都邑とゆうににに停停とどまりまりまり給給たまふふう。。。歲歲としににに次次つぎりりり、、、月月つき夾鐘夾鐘きょうしょうににに踵踵あたりてりてりて、、、淸原淸原きよみはらののの大宮大宮おおみやにしてにしてにして、、、昇昇のぼりてりてりて天位天位てんいににに卽卽つききき給給たまふふう。。。議安河而平天下。論小濱而淸國土。是以番仁岐命。初降于高千嶺。神倭天皇。經歷于秋津島。化熊出爪。天劍獲於高倉。生尾遮徑。大烏導於吉野。列儛攘賊。聞歌伏仇。卽覺夢而敬神祇。所以稱賢后。望煙而撫黎元。於今傳聖帝。定境開邦。制于近淡海。正姓撰氏。勒于遠飛鳥。雖步驟各異。文質不同。莫不稽古以繩風猷於既頽。照今以補典敎於欲絕。暨飛鳥淸原大宮。御大八洲天皇御世。潛龍體元。洊雷應期。聞夢歌而想纂業。投夜水而知承基。然天時未臻。蟬蛻於南山。人事共洽。虎步於東國。皇輿忽駕。凌渡山川。六師雷震。三軍電逝。杖矛擧威。猛士煙起。絳旗耀兵。凶徒瓦解。未移浹辰。氣沴自淸。乃放牛息馬。愷悌歸於華夏。卷旌戢戈。儛詠停於都邑。歲次大梁。月踵夾鐘。淸原大宮。昇卽天位。
- 3道道みち軒后軒后けんこうににに軼軼すぎぎぎ、、、德德とく周王周王しゅうおうににに跨跨こえええ給給たまふふう。。。乾符乾符けんぷををを握握とりてりてりて六合六合りくごうををを摠摠すべべべ、、、天統天統てんとうををを得得えててて八荒八荒はっこうををを包包かねねね給給たまふふう。。。二氣二氣にきののの正正ただしきにしきにしきに乘乘じようじじじ、、、五行五行ごぎょうののの序序ついでををを齊齊ととのへへへ給給たまふふう。。。神理神理しんりををを設設まけてけてけて以以もつててて俗俗ぞくををを奬奬すすめめめ、、、英風英風えいふうををを敷敷しきてきてきて以以もつててて國國くにををを弘弘ひろめめめ給給たまふふう。。。重加重加しかのみならず、、、智海智海ちかい浩瀚浩瀚こうかんにしてにしてにして、、、潭潭ふかくくく上古上古じょうこををを探探さぐりりり、、、心鏡心鏡しんきょう煒煌煒煌いこうとしてとしてとして、、、明明あきらかにらかにらかに先代先代せんだいををを覩給覩給みふふう。。。是是ここににに於於おいててて天皇天皇すめらみこと詔詔みことのりししし給給たまはくはくわく、、、朕朕ちん聞聞きくくく諸家諸家しよけののの賫賫もたたるたるたる所所ところののの及及およびびび本辭本辭ほんじ、、、既既すでににに正實正實せいじつににに違違たがひひい多多おおくくく虛僞虛僞きよぎををを加加くわふとふとうと。。。今今いまののの時時ときににに當當あたりてりてりて其其そののの失失あやまりををを改改あらためずばめずばめずば、、、未未いまだだだ幾幾いくばくののの年年としををを經經へずしてずしてずして、、、其其そののの旨旨むね滅滅ほろびむとすびむとすびむとす。。。斯斯これれれ乃乃すなわちちち邦家邦家ほうかののの經緯經緯けいい、、、王化王化おうかののの鴻基鴻基こうきなりなりなり。。。故惟故惟かれこれ帝紀帝紀ていきををを撰錄撰錄せんろくししし、、、舊辭舊辭きゅうじををを討覈討覈とうかくしてしてして、、、僞僞いつわりををを削削けずりりり實實みををを定定さだめめめ、、、後葉後葉こうようににに流流つたへむとすとへむとすとへむとすと詔給詔給のたまふふう。。。時時ときににに舍人舍人とねりありありあり、、、姓姓かばねははは名名なははは阿禮阿禮あれ。。。年是年是としこれれれ二十八二十八にじゅうはち。。。人人ひとととと爲爲なりりり聰明聰明そうめいにしてにしてにして、、、目目めににに度度わたればればれば口口くちににに誦誦よみみみ、、、耳耳みみににに拂拂ふるればるればるれば心心こころににに勒勒しるすすす。。。卽卽すなわちちち阿禮阿禮あれににに敕語敕語みことのりしてしてして、、、帝皇帝皇ていおうののの日繼日繼ひつぎ及及およびびび先代先代せんだいののの舊辭舊辭きゅうじををを誦誦よみみみ習習ならはははしむしむしむ。。。然然しかれどもれどもれども運運うん移移うつりりり世世よ異異ことにしてにしてにして、、、未未いまだだだ其其そののの事事こと行行おこなはれずはれずわれず。。。伏伏ふしてしてして惟惟おもふにふにふに、、、一一いつををを得得えててて光宅光宅こうたくししし、、、三三さんににに通通つうじてじてじて亭育亭育ていいくししし給給たまふふう。。。紫宸紫宸ししんににに御御ぎよしてしてして德馬蹄德馬蹄とくばていののの極極きわむるむるむる所所ところににに被被こうぶりりり、、、玄扈玄扈げんこににに坐坐いましてしてして化化か船頭船頭せんとうののの逮逮およぶぶぶ所所ところををを照照てらしらしらし給給たまふふう。。。日日ひ浮浮うかびてびてびて暉暉ひかりををを重重かさねねね、、、雲雲くも散散ちりてりてりて煙煙けぶりににに非非あらずずず。。。柯柯えだををを連連つらねねね穗穗ほををを幷幷あわすのすのすの瑞瑞しるし、、、史史ふひと書書しるすすす事事ことををを絕絕たたずたずたず。。。烽烽とぶひををを列列なねねね譯譯おさををを重重かさぬるのぬるのぬるの貢貢みつぎ、、、府府くら空空むなしきしきしき月月つき無無なししし。。。名名なはははよりよりより高高たかくくく、、、德德とくははは天乙天乙てんいつにもにもにも冠冠まされりとれりとれりと謂謂いひつべしひつべしいつべし。。。於焉於焉ここに舊辭舊辭きゅうじののの誤誤あやまりりり忤忤たがへるへるへるををを惜惜おしみしみしみ、、、先紀先紀せんきののの謬謬あやまりりり錯錯みだれるれるれるををを正正たださむとしてさむとしてさむとして、、、ををを以以もつててて、、、臣臣しん安萬侶安萬侶やすまろににに詔詔みことのりしてしてして、、、稗田稗田ひえだののの阿禮阿禮あれががが誦誦よむむむ所所ところののの敕語敕語みことのりののの舊辭舊辭きゅうじををを撰錄撰錄せんろくしてしてして、、、以以もつててて獻上獻上けんじょうせしむてせしむてせしむてへりへりへり。。。道軼軒后。德跨周王。握乾符而摠六合。得天統而包八荒。乘二氣之正。齊五行之序。設神理以奬俗。敷英風以弘國。重加、智海浩瀚。潭探上古。心鏡煒煌。明覩先代。於是天皇詔之。朕聞、諸家之所賫帝紀及本辭。既違正實。多加虛僞。當今之時。不改其失。未經幾年。其旨欲滅。斯乃邦家之經緯。王化之鴻基焉。故惟撰錄帝紀。討覈舊辭。削僞定實。欲流後葉。時有舍人。姓稗田名阿禮。年是二十八。爲人聰明。度目誦口。拂耳勒心。卽敕語阿禮。令誦習帝皇日繼及先代舊辭。然運移世異。未行其事矣。伏惟皇帝陛下。得一光宅。通三亭育。御紫宸而德被馬蹄之所極。坐玄扈而化照船頭之所逮。日浮重暉。雲散非煙。連柯幷穗之瑞。史不絕書。列烽重譯之貢。府無空月。可謂名高文命。德冠天乙矣。於焉惜舊辭之誤忤。正先紀之謬錯。以和銅四年九月十八日。詔臣安萬侶。撰錄稗田阿禮所誦之敕語舊辭。以獻上者。
- 4謹謹つつしみてみてみて詔旨詔旨しょうしににに隨隨したがひひい、、、子細子細しさいににに採採とりりり摭摭ひろふふふ。。。然然しかるにるにるに上古上古じょうこののの時時とき、、、言意言意げんい竝竝ならびににに朴朴ぼくにしてにしてにして、、、文文ふみををを敷敷しききき句句くををを構構かまふることふることうること、、、字字じににに於於おいててて卽卽すなわちちち難難かたししし。。。已已すでににに訓訓くんににに因因よしりてりてりて述述のべたるべたるべたるははは、、、詞詞ことば心心こころににに逮逮およばずばずばず。。。全全またくくく音音おんををを以以もつててて連連つらねたるねたるねたるははは、、、事事ことののの趣趣おもむき更更さらににに長長ながししし。。。是是これれれををを以以もつててて今或今或いまあるははは一句一句いつくののの中中なか、、、音訓音訓おんくんををを交交まじへへえ用用もちゐゐい、、、或或あるははは一事一事いちじののの內內うち、、、全全またくくく訓訓くんををを以以もつててて錄錄しるすすす。。。卽卽すなわちちち辭辭ことばののの理理ことわり見見みえええ叵叵かたきききははは、、、注注ちゆうををを以以もつててて意意こころををを明明あきらかにすらかにすらかにす、、、況況いわんんやんやんや解解わかりりり易易やすきききははは更更さらににに注注ちゆうせずせずせず。。。亦姓亦姓またかばねののの日下日下くさかににに、、、ととと謂謂いひひい、、、名名なののの帶帶たらしののの字字じににに多羅斯多羅斯たらしととと謂謂いふふう。。。此此かくのくのくの如如ごときのきのきの類類たぐいははは本本もとににに隨隨したがつてつてつて改改あらためずめずめず。。。大抵大抵おおよそ記記しるすすす所所ところははは、、、天地天地あめつちののの開闢開闢かいびやくよりよりより始始はじめてめてめて、、、以以もつてててののの御世御世みよににに訖訖をふふふ。。。故故かれ天御中主神天御中主神あめのみなかぬしのかみよりよりより以下以下しも、、、日子波限建鵜草葺不合尊日子波限建鵜草葺不合尊ひこなぎさたけうがやふきあえずのみことよりよりより以前以前いぜんををを上卷上卷かみつまきととと爲爲なししし、、、神倭伊波禮毘古神倭伊波禮毘古かむやまといわれびこののの天皇天皇すめらみことよりよりより以下以下しも、、、品陀品陀ほむだののの御世御世みよよりよりより以前以前いぜんををを中卷中卷なかつまきととと爲爲なししし、、、大雀大雀おおさざきののの皇帝皇帝すめらみことよりよりより以下以下しも、、、小治田小治田おわりだののの大宮大宮おおみやよりよりより以前以前いぜんををを下卷下卷しもつまきととと爲爲なすすす。。。幷幷あわせてせてせて三卷三卷みまきををを錄錄しるししし、、、謹謹つつしみてみてみて以以もつててて獻上獻上けんじょうすすす。。。臣臣しん安滿侶安滿侶やすまろ、、、誠惶誠恐誠惶誠恐せいこうせいきょう、、、頓首頓首頓首頓首とんしゆとんしゆ。。。和銅五年正月二十八日正五位上動五等太朝臣安萬侶謹上和銅五年正月二十八日正五位上動五等太朝臣安萬侶謹上わどうごねんしょうがつにじゅうはちにちしょうごいのじょうくんごとうおおのあそみやすまろきんじょう。。。謹隨詔旨。子細採摭。然上古之時。言意竝朴。敷文構句。於字卽難。已因訓述者。詞不逮心。全以音連者。事趣更長。是以今或一句之中。交用音訓。或一事之內。全以訓錄。卽辭理叵見。以注明意。況易解更非注。亦於姓日下。謂玖沙訶。於名帶字。謂多羅斯。如此之類。隨本不改。大抵所記者。自天地開闢始。以訖于小治田御世。故天御中主神以下。日子波限建鵜草葺不合尊以前。爲上卷。神倭伊波禮毘古天皇以下。品陀御世以前。爲中卷。大雀皇帝以下。小治田大宮以前。爲下卷。幷錄三卷。謹以獻上。臣安萬侶。誠惶誠恐。頓首頓首。和銅五年正月二十八日。正五位上動五等太朝臣安萬侶謹上。
現代語訳
臣安万侶が申し上げます。そもそも、混沌とした宇宙の根元がすでに固まりかけても、気や形はまだ現れず、名もなく働きもなく、誰もその形を知ることはできませんでした。やがて天と地が初めて分かれると、三柱の神が万物を造り出すはじめとなり、陰と陽がここに開けると、男女の二神がすべての生き物の祖となりました。そうして(伊耶那岐命は)黄泉の国と現世とを出入りして、目を洗うと日と月の神が現れ、海水に浮き沈みして身を清めると多くの神々が現れました。このように、宇宙のはじめははるかに暗くとも、古い伝えによって国土を生み島を生んだ時のことを知り、太古のことは遠くかすかでも、昔の聖人によって神を生み人を立てた世のことを明らかにすることができます。まことに、鏡を懸け玉を吐いて代々の天皇が受け継がれ、剣を噛み大蛇を斬って多くの神々が栄えたことを知るのです。
(神々は)天の安の河で相談して天下を平定し、出雲の小浜で談判して国土を清めました。こうして番仁岐命(邇邇芸命)が初めて高千穂の峰に降り、神倭天皇(神武天皇)は大和の秋津島へと巡り進まれました。化け物の熊が爪を出したときには、天の剣を高倉下が得て献じ、尾の生えた人が道をさえぎったときには、大きな烏が吉野へと導きました。舞を連ねて賊を払い、歌を合図に敵を討ち伏せました。(崇神天皇は)夢でお告げを悟って神々を敬われたので賢い君とたたえられ、(仁徳天皇は)民家の煙を望んで民をいつくしまれたので今に聖帝と伝えられています。(成務天皇は)国境を定め国を開いて近江で政治を行い、(允恭天皇は)姓を正し氏を選んで遠飛鳥で治められました。それぞれ治世の歩みは異なり、華やかさと質朴さも同じではありませんが、いずれも古を考えて衰えかけた風俗を正し、今を照らして絶えようとする教えを補わないものはありませんでした。飛鳥の浄御原の宮で天下を治められた天皇(天武天皇)の御代になると、皇太子でいらしたときから天子の徳をそなえ、時運にかなっておられました。夢の歌を聞いて帝業を継ぐことを思い、夜の川に至って皇位を受けることを悟られました。けれども天の時がまだ来なかったので、吉野の山に蝉が殻を脱ぐように身を隠され、人望が十分に集まると、東国で虎のように堂々と進まれました。天皇の輿がたちまち動いて山や川を越え、全軍は雷のようにとどろき、稲妻のように進みました。矛を手に威勢を示すと勇士が煙のようにわき起こり、赤い旗が武器を輝かせると、賊はかわらのように砕け散りました。十二日もたたないうちに、悪い気はおのずから清まりました。そこで牛を放ち馬を休め、和やかに都へ帰り、旗を巻き矛をおさめて、舞い歌いながら都にとどまられました。酉の年の二月に、浄御原の宮で天皇の位にお即きになりました。
その道は中国の黄帝にまさり、徳は周の文王を越えておられました。天子のしるしを握って天下を統べ、天の正統を得て四方八方を包みこみ、陰陽の二気の正しさに従い、木火土金水の五行の順序を整えられました。神の道を立てて良い風俗を勧め、優れた教化を広めて国をさかんにされました。そればかりか、知恵は海のように広く深く、遠い昔のことを深く探り、心は鏡のように明るく輝いて、先代のことをはっきりと見通しておられました。そこで天皇は、「聞くところでは、諸家に伝わる帝紀(天皇の系譜)と本辞(古い伝承)は、すでに真実と違い、多くの偽りが加わっているという。今のうちにその誤りを改めなければ、いく年もたたないうちに本来の趣旨は失われてしまうだろう。これは国家の根本であり、天皇の徳による政治の大きな基礎である。そこで帝紀を選んで記録し、旧辞をよく調べて、偽りを削り真実を定め、後の世に伝えたいと思う」と仰せになりました。そのとき一人の舎人がいました。姓は稗田、名は阿礼、年は二十八歳です。生まれつき聡明で、目にしたものはすぐに口で読み、耳に触れたことは心に刻んで忘れませんでした。そこで天皇は阿礼に命じて、帝皇日継(天皇の系譜)と先代旧辞(昔の伝承)を誦み習わせられました。けれども時代が移り世が変わって、まだその事業は成し遂げられませんでした。つつしんで思いますに、今の天皇陛下(元明天皇)は、天子の位を得て天下を治め、天地人の三才に通じて民を育てておられます。宮殿にあって徳は馬のひづめの届く果てまで及び、御所にいながら教化は船のへさきの行き着く所まで照らしています。太陽は空に浮かんで光を重ね、雲は散って煙のようなめでたい雲が現れました。枝が連なり穂が一つになるというめでたいしるしは歴史家の記録が絶えるひまもなく、のろしを連ね通訳を重ねて遠い国から届く貢ぎ物は、蔵に空く月がありません。その名声は夏の禹王よりも高く、徳は殷の湯王にもまさると申すべきでしょう。そこで天皇は、旧辞の誤りを惜しみ、先代の記録の誤りを正そうとして、和銅四年九月十八日に臣安万侶に命じ、稗田阿礼が誦み習った天武天皇の仰せによる旧辞を撰録して献上せよと仰せになりました。
つつしんで仰せに従い、細かく拾い集めました。けれども上古の時代は、言葉もその意味もともに素朴で、文章に組み立てて漢字で書き表すことは難しいものです。すべて漢字の意味(訓)で書くと、言葉が心に十分に届かず、すべて漢字の音で書き連ねると、文章がたいそう長くなってしまいます。そこで今、ある場合には一句の中に音と訓を交えて用い、ある場合には一つの事柄をすべて訓で書きました。言葉の筋道がわかりにくいところは注をつけて意味を明らかにし、わかりやすいところにはあえて注をつけませんでした。また、姓の「日下」を「玖沙訶(くさか)」と読み、名の「帯」の字を「多羅斯(たらし)」と読むような例は、もとのままにして改めませんでした。おおよそ記したところは、天地のはじまりから始めて、小治田の御代(推古天皇)で終わります。天御中主神から日子波限建鵜草葺不合尊までを上巻とし、神倭伊波礼毘古天皇(神武天皇)から品陀の御代(応神天皇)までを中巻とし、大雀皇帝(仁徳天皇)から小治田の大宮(推古天皇)までを下巻としました。あわせて三巻を記して、つつしんで献上いたします。臣安万侶、まことに恐れかしこみ、謹んで頭を下げて申し上げます。和銅五年正月二十八日 正五位上勲五等 太朝臣安万侶 謹んで奉ります。
意訳
序は、中国の皇帝に書物を奉るときの「上表文」の形にならい、四字・六字の句を対にして重ねる華やかな漢文(駢儷体)で書かれています。第一段は、天地が分かれて神々が生まれ、天照大御神と須佐之男命の誓約や八俣の大蛇退治を経て、天皇の系譜が続いてきたことを、神話の要所だけを拾ってたどります。古事記の上巻全体を数行に凝縮した目次のような部分です。
第二段は、天孫降臨から神武天皇の東征、崇神・仁徳・成務・允恭の各天皇の事績を挙げ、どの天皇も古を手本に世を正してきたと述べたうえで、壬申の乱に勝って即位した天武天皇をたたえます。吉野に退いた天武天皇が東国で兵を挙げ、わずかな日数で勝利した様子を、中国の故事を重ねた勇壮な対句で描いており、古事記の編纂がこの天皇の意志から始まったことを強く印象づけています。
第三段は、天武天皇が「諸家の帝紀・本辞には偽りが多い」と憂えて正しい歴史を定めようとし、記憶力に優れた稗田阿礼に誦み習わせたこと、その事業が中断したのち、元明天皇が和銅四年(711)に安万侶に撰録を命じたことを語ります。古事記の成立事情を伝える唯一の資料であり、「誦習」が何を意味するか(文字を読んで覚えたのか、口で語り伝えたのか)は、今も議論が続いています。
第四段は、日本語を漢字で書き表す苦心を率直に述べた部分です。漢字の意味で書けば日本語の言い回しが伝わらず、音で書けば長くなりすぎる。そこで音と訓を交えて書き、必要な所には注を付けた――この方針は、本文に見える「此の四字は音を以ゐよ」のような分注として実際に現れています。日本語の書き方そのものを模索した記録として、国語史の上でも重要な一節です。
語釈・文法注
- 安萬侶
- 太安万侶(おおのやすまろ、?–723)。元明天皇の命で古事記を撰録した官人。1979年、奈良市の茶畑から墓誌が見つかり、実在と没年(養老七年)が確かめられた。日本書紀の編纂にも加わったと伝えられる。
- 混元
- 天地が分かれる前の、混沌とした宇宙の根元。以下、「氣象」(気と形)がまだ現れない状態を、中国の宇宙生成論の言葉で述べる。
- 參神
- 三柱の神。天地のはじめに高天の原に現れた天之御中主神・高御産巣日神・神産巣日神を指す。
- 二靈
- 男女の二柱の神、伊耶那岐命と伊耶那美命。「羣品」はすべての生き物。
- 幽顯
- 「幽」は目に見えない死者の世界(黄泉の国)、「顕」は現世。伊耶那岐命が黄泉の国を訪れて帰ったことを指す。
- 日月彰於洗目
- 伊耶那岐命が禊のとき左の目を洗うと天照大御神(日)、右の目を洗うと月読命(月)が生まれたことを指す。
- 懸鏡吐珠
- 鏡を懸けるのは天の石屋戸の神話、玉を吐くのは天照大御神と須佐之男命の誓約(うけひ)で玉をかみ砕いて神を生んだことを指す。
- 喫劒切蛇
- 剣を噛むのは誓約で天照大御神が須佐之男命の剣をかみ砕いたこと、蛇を切るのは須佐之男命の八俣の大蛇退治を指す。
- 安の河
- 天の安の河。高天の原を流れる川で、神々がここに集まって相談した。葦原の中つ国の平定もここで議された。
- 小濱
- 出雲の伊耶佐の小浜。建御雷之男神がここで大国主神に国譲りを迫った。
- 番仁岐命
- 番能邇邇芸命(ほのににぎのみこと)。天照大御神の孫で、高千穂の峰に降った(天孫降臨)。
- 神倭
- 神倭伊波礼毘古命、のちの神武天皇。日向から大和へ東征した。
- 化熊
- 神武天皇の一行が熊野に着いたとき、大きな熊がちらりと現れて一行が気を失ったこと。「天劍高倉に獲」は、高倉下が天から下された剣を献じて一行が目覚めたことを指す。
- 生尾
- 吉野で出会った、尾の生えた人(国つ神)。「大烏」は道案内をした八咫烏(やたがらす)。
- 賢后
- 賢い君主。崇神天皇が夢のお告げに従って大物主神を祭り、疫病を鎮めたことを指す。
- 聖帝
- 仁徳天皇。高い山から国見をして民家に炊事の煙が立たないのを見て、三年間税を免じたと伝えられ、「聖帝の御世」とたたえられた。
- 近淡海
- 近江(滋賀県)。成務天皇が近江の志賀の高穴穂宮で国々の境を定めたことを指す。
- 遠飛鳥
- 河内に近い飛鳥に対して、大和の飛鳥をいう。允恭天皇が遠飛鳥宮で盟神探湯を行い、氏姓の乱れを正したことを指す。
- 飛鳥淸原の大宮
- 天武天皇の宮、飛鳥浄御原宮(奈良県明日香村)。ここでは天武天皇を指す。
- 潛龍
- 淵にひそむ龍。まだ即位していない皇太子のたとえ。「洊雷」は重なってとどろく雷で、これも皇太子をいう(『易経』による)。
- 南山
- 吉野の山。天武天皇が天智天皇の晩年に出家して吉野に退いたことを、蝉が殻を脱ぐのにたとえる。
- 東國
- 東国。壬申の乱(672)で、天武天皇は吉野から伊賀・伊勢を経て美濃に入り、東国の兵を集めて近江朝廷を破った。
- 歲大梁に次り
- 「大梁」は十二次の一つで、酉の年にあたる。天武天皇が即位した天武二年(673)は癸酉の年。「夾鐘」は二月。
- 稗田
- 稗田阿礼。天武天皇に仕えた舎人で、帝紀・旧辞を誦み習わされた。男性か女性かについても説が分かれる。
- 帝紀
- 歴代天皇の系譜や事績を記したもの。「本辞」「旧辞」は、神話・伝説・歌謡などの古い伝承。古事記はこの二つをもとにしている。
- 皇帝陛下
- ここでは元明天皇(在位707–715)。天智天皇の皇女で、天武天皇の子草壁皇子の妃。平城京に都を移した。
- 文命
- 中国古代の夏の禹王。次の「天乙」は殷の湯王。どちらも理想の聖天子とされる。
- 和銅四年九月十八日
- 西暦711年。元明天皇が安万侶に撰録を命じた日。献上はわずか四か月余りのちの和銅五年(712)正月二十八日。
- 玖沙訶
- 「日下」という姓は「くさか」と読む。漢字の意味と読みが結びつかない古くからの表記を、改めずにそのまま残したという例。
- 小治田
- 推古天皇の宮、小治田宮(小墾田宮)。ここでは推古天皇の代を指す。
文法
- 駢儷体
- 四字・六字の句を対にして並べる、中国の六朝時代に流行した華やかな文体。「日月彰於洗目/神祇呈於滌身」「太素杳冥/元始綿邈」のように、意味と字数のそろった対句が続く。
- 臣某言す
- 上表文(天子に奉る文書)の書き出しの決まり文句。結びの「誠惶誠恐、頓首頓首」も、恐れかしこまって頭を下げることを表す決まった言い回しである。
- 詔給ふ・てへり
- 「詔給ふ」は天皇が仰せになる意。第三段の結びの「てへり」は「と言へり」がつまった形で、元明天皇の命令の内容をここまでと区切っている。
- 動五等
- 底本どおり。勲位の「勲五等」の誤植と思われる。訓み下しの「臣安滿侶」の「滿」も底本どおり(原文は「萬」)。
- 音・訓
- 「訓」は漢字をその意味に当たる日本語で読む書き方(天=あめ)、「音」は漢字の音だけを借りて日本語を書く書き方(阿麻=あま)。後者は万葉仮名と同じ用法である。
解説
古事記は和銅五年(712)、太安万侶が元明天皇に献上した、現存する日本最古の書物です。上巻は神々の時代、中巻は神武天皇から応神天皇まで、下巻は仁徳天皇から推古天皇までを収めます。この序は、古事記がどのようにして作られたかを伝える唯一の記録です。
序によれば、編纂のきっかけは天武天皇(在位673–686)の言葉でした。諸家に伝わる帝紀と旧辞には誤りや偽りが多いので、正しいものを定めて後世に伝えたい――そう考えた天武天皇は、記憶力の優れた稗田阿礼にそれを誦み習わせます。しかし事業は天皇の死によって中断し、およそ二十五年後、元明天皇が安万侶に命じて文字にまとめさせました。天武天皇は壬申の乱で勝利して即位した天皇であり、その正統性と天皇家の由来を示すことが、編纂の大きな目的だったと考えられています。
序の後半で安万侶が述べる表記の苦心は、日本語を漢字で書くことの難しさをよく表しています。古事記の本文は、漢文の語順で書きながら、神名や歌謡、大事な言い回しは一字一音の万葉仮名で書き、読み方の注(「此の四字は音を以ゐよ」など)を添えるという、和漢の混じった独特の文体(変体漢文)になっています。
序は正式な漢文で書かれ、本文とは文体が大きく異なります。江戸時代の本居宣長は『古事記伝』でこの序を詳しく注釈し、古事記を日本の古伝を最もよく伝える書と位置づけました。一方、近代には序を後世の偽作とする説も出ましたが、1979年に太安万侶の墓誌が発見されたこともあり、現在では序も和銅五年の成立と考えるのが一般的です。
関連
出典
- 底本
- 古事記(佐伯常麿校註) 国民図書、昭和4年(1929)。1〜6頁。国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部(原文・訓み下しは底本による。現代語訳・注は当サイト)
- 更新日