古典ライブラリー

今鏡 第一「すべらぎの上」 第1章

発端

嘉応二年(1170)の春、初瀬に詣でた一行は、大和の木陰で百五十歳を越える老女に出会う。老女は『大鏡』の語り手大宅世継の孫で、紫式部に仕えて「あやめ」と名づけられた人だった。老女は、祖父の物語の後を継いで、後一条天皇の御代から今に至る世の出来事を語りはじめる。

  1. 1十日とをか十日とをかとおかあまりのあまりのあまりの頃ころ頃ころころ、、、同おな同おなおなじじじ心こころ心こころこころなるなるなる友とも友ともともたちたちたち、、、あまたいざなひてあまたいざなひてあまたいざないて、、、詣まう詣まうもうででで侍はべ侍はべはべりしついでにりしついでにりしついでに、、、よきたよりによきたよりによきたよりに寺てら寺てらてらめぐりせんとてめぐりせんとてめぐりせんとて、、、大和やまと大和やまとやまとのかたにのかたにのかたに旅たび旅たびたびありきありきありき日ひ日ひひごろするにごろするにごろするに、、、路遠みちとほ路遠みちとほみちとおくてくてくて日ひ日ひひもあつければもあつければもあつければ、、、木陰こかげ木陰こかげこかげににに立た立たたちよりてちよりてちよりて、、、体やす体やすやすむとてむとてむとて群む群むむれゐるれゐるれいる程ほど程ほどほどににに、、、はははさしたるさしたるさしたる女をんな女をんなおんなののの杖つゑ杖つゑつえにかゝりたるがにかゝりたるがにかかりたるが、、、めのわらはのめのわらはのめのわらわの、、、がたみにさわらびがたみにさわらびがたみにさわらび折を折をおりいれてりいれてりいれて、、、ひぢにかけたるひぢにかけたるひじにかけたるひとりひとりひとり具ぐ具ぐぐしてしてして、、、そのそのその木き木ききののの下もと下もともとにいたりぬにいたりぬにいたりぬ。。。
  2. 2「「「遠とほ遠とほとおききき程ほど程ほどほどにににはははあらねどあらねどあらねど、、、苦くる苦くるくるしくしくしく成な成ななりてりてりて侍はべ侍はべはべればればれば、、、おはしあへるおはしあへるおわしあえる所ところ所ところところはははゞからしけれどゞからしけれどばからしけれど、、、都みやこ都みやこみやこのかたよりものしのかたよりものしのかたよりものし給たま給たまたまふにやふにやうにや。。。むかしもむかしもむかしも戀こひ戀こひこいしければしければしければ、、、」」」。。。
  3. 3といふけしきもといふけしきもというけしきも、、、すげみわなゝくやうなれどすげみわなゝくやうなれどすげみわななくようなれど、、、年とし年としとしよりたるよりたるよりたる程ほど程ほどほどよりもよりもよりも、、、昔むかし昔むかしむかしおぼえてにくげもせずおぼえてにくげもせずおぼえてにくげもせず。。。「「「此こ此ここのわたりにおはするにやのわたりにおはするにやのわたりにおわするにや」」」。。。などなどなど問と問ととへばへばへば、、、「「「もともともとははは都みやこ都みやこみやこににに百もも百ももももとせあまりとせあまりとせあまり侍はべ侍はべはべりてりてりて、、、そのゝちそのゝちそののち山城やましろ山城やましろやましろののののわたりにのわたりにのわたりに、、、いそぢばかりいそぢばかりいそじばかり侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。さてさてさて後のち後のちのちおもひもかけぬおもひもかけぬおもいもかけぬ草くさ草くさくさのゆかりにのゆかりにのゆかりに、、、春日野かすがの春日野かすがのかすがのわたりにわたりにわたりに住す住すすみみみ侍はべ侍はべはべるなりるなりるなり。。。すみかのすみかのすみかの、、、となりかくなりしとなりかくなりしとなりかくなりし侍はべ侍はべはべるもるもるも、、、あはれにあはれにあわれに」」」といふにといふにというに、、、年とし年としとしののの積つ積つつもりもりもり聞き聞ききくくく程ほど程ほどほどににに、、、みなみなみな驚おどろ驚おどろおどろきてあさましくなりぬきてあさましくなりぬきてあさましくなりぬ。。。
  4. 4「「「昔むかし昔むかしむかしだにさだにさだにさほどのほどのほどの齡よはひ齡よはひよわいはははありありあり難がた難がたがたきにきにきに、、、いかなるいかなるいかなる人ひと人ひとひとにかおはすらむにかおはすらむにかおわすらむ。。。誠まこと誠まことまことならばならばならば、、、ありがたきありがたきありがたき人見ひとみ人見ひとみひとみたてまつりつたてまつりつたてまつりつ」」」。。。といへばといへばといえば、、、うちうちうち笑わら笑わらわらひてひていて、、、「「「髪かみ髪かみかみはははまだおろしまだおろしまだおろし侍はべ侍はべはべらねどらねどらねど、、、ほとけのほとけのほとけのつのいむつのいむつのいむ事こと事ことことををを、、、うけてうけてうけて侍はべ侍はべはべればればれば、、、いかゞいかゞいかが浮う浮ううきたることきたることきたることははは申まう申まうもうさむさむさむ。。。おほぢにおほぢにおおじに侍はべ侍はべはべりしりしりし者もの者ものものももも、、、及およ及およおよぶまでぶまでぶまで侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。おやにおやにおやに侍はべ侍はべはべりしもりしもりしも、、、そればかりこそそればかりこそそればかりこそ侍はべ侍はべはべらざりしかどもらざりしかどもらざりしかども、、、百もも百ももももとせにとせにとせに餘あま餘あまあまりてりてりて身み身みみまかりにきまかりにきまかりにき。。。おうなもおうなもおうなも、、、其そ其そそののの齡よはひ齡よはひよわいををを傳つた傳つたつたへへえ侍はべ侍はべはべるにやるにやるにや。。。いまいまといまいまといまいまと待ま待ままちちち侍はべ侍はべはべりしかどりしかどりしかど、、、今いま今いまいまはははおもなれておもなれておもなれて、、、常つね常つねつねにかくてあらんずるやうににかくてあらんずるやうににかくてあらんずるように、、、念佛ねんぶつ念佛ねんぶつねんぶつなどもなどもなども怠おこた怠おこたおこたりのみなるもあはれになむりのみなるもあはれになむりのみなるもあわれになむ」」」。。。
  5. 5といへばといへばといえば、、、「「「さていかにおはしけるつゞきにかさていかにおはしけるつゞきにかさていかにおわしけるつづきにか。。。あさましくもあさましくもあさましくも長なが長ながながくもおはしけるくもおはしけるくもおわしける齡よはひ齡よはひよわいどもかなどもかなどもかな。。。からのからのからのふみふみふみ讀よ讀よよむむむ人ひと人ひとひとののの語かた語かたかたりしりしりしははは、、、みちよへたるみちよへたるみちよえたる人ひと人ひとひともありけりもありけりもありけり。。。もゝとせもゝとせももとせををを七なな七ななななかへりかへりかえり過す過すすぐせるもぐせるもぐせるも有あ有あありければりければりければ、、、このこのこの世よ世よよにもにもにも、、、かゝるかゝるかかる人ひと人ひとひとのおはするかなのおはするかなのおわするかな」」」ととと、、、此こ此ここののの友とも友ともともたちのたちのたちの中なか中なかなかにいふめればにいふめればにいうめれば、、、「「「おほぢおほぢおおじははは、、、むげにむげにむげに賤いや賤いやいやしきしきしき者もの者ものものににに侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。きさいのきさいのきさいの宮みや宮みやみやになんになんになん仕つか仕つかつかへまつりへまつりえまつりはべりけるはべりけるはべりける。。。名な名ななはははととと申まう申まうもうしきしきしき。。。おのづからもおのづからもおのずからも聞き聞ききかせかせかせ給たま給たまたまふらむふらむうらむ。。。くちにまかせてくちにまかせてくちにまかせて申まう申まうもうしけるしけるしける物語ものがたり物語ものがたりものがたり、、、とゞまりてとゞまりてとどまりて侍はべ侍はべはべるめりるめりるめり。。。親おや親おやおやににに侍はべ侍はべはべりしりしりしははは、、、學生がくしやう學生がくしやうがくしょうにてにてにて大學だいがく大學だいがくだいがくににに侍はべ侍はべはべりきりきりき。。。このこのこの嫗おうな嫗おうなおうなをもをもをも若わか若わかわかくてくてくてははは、、、宮仕みやづか宮仕みやづかみやずかへなどせさせへなどせさせえなどせさせはべりてはべりてはべりて、、、からのからのからの歌うた歌うたうたやまとやまとやまと歌うた歌うたうたなどなどなど、、、よくよくよく作つく作つくつくりよみりよみりよみ給たま給たまたまひしがひしがいしが、、、越こし越こしこしののの國くに國くにくにののの司つかさ司つかさつかさにおはせしにおはせしにおわせし御おん御おんおんむすめにむすめにむすめに、、、ののの君きみ君きみきみととと申まう申まうもうしゝしゝしし人ひと人ひとひとののの、、、上東門院じやうとうもんゐん上東門院じやうとうもんゐんじょうとうもんいんののの后きさき后きさききさきののの宮みや宮みやみやととと申まう申まうもうしゝしゝしし時とき時ときとき、、、御母おほんはは御母おほんははおおんははのののにさぶらひにさぶらひにさぶらい給たま給たまたまひしひしいし局つぼね局つぼねつぼねににに、、、申まう申まうもうしてまうでしてまうでしてもうで侍はべ侍はべはべりしりしりしををを、、、「「「五月さつき五月さつきさつきににに生う生ううまれたるかまれたるかまれたるか」」」ととと問と問ととひひい給たま給たまたまひしかばひしかばいしかば、、、「「「五日いつか五日いつかいつかになんになんになん生う生ううまれまれまれ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける。。。母はは母ははははののの志賀しが志賀しがしがのかたにまかりけるにのかたにまかりけるにのかたにまかりけるに、、、舟ふね舟ふねふねにてにてにて生う生ううまれまれまれ侍はべ侍はべはべりけるりけるりける」」」ととと申まう申まうもうすにすにすに、、、「「「さてさてさてははは五月五日さつきいつか五月五日さつきいつかさつきいつか、、、舟ふね舟ふねふねのののうちうちうち浪なみ浪なみなみののの上うへ上うへうえにこそあなれにこそあなれにこそあなれ。。。午むま午むまうまののの時とき時ときときにやにやにや生うま生うまうまれたるれたるれたる」」」。。。ととと侍はべ侍はべはべりしかばりしかばりしかば、、、「「「しかしかしかほどにほどにほどに侍はべ侍はべはべりけるとぞりけるとぞりけるとぞ、、、おやおやおやははは申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべりしりしりし」」」。。。などなどなど申まう申まうもうせばせばせば、、、「「「鍊ね鍊ねねりたるあかゞねなゝりとてりたるあかゞねなゝりとてりたるあかがねななりとて、、、「「「いにしへいにしへいにしえををを、、、今いま今いまいまをををかゞみるなどいふかゞみるなどいふかがみるなどいう事こと事ことことにてあるににてあるににてあるに、、、いにしへもあまりなりいにしへもあまりなりいにしえもあまりなり。。。今いま今いまいま鏡かがみ鏡かがみかがみとやとやとや云い云いいはははましましまし。。。まだまだまだをさ〳〵しげなるをさ〳〵しげなるおさおさしげなる程ほど程ほどほどよりもよりもよりも、、、年とし年としとしももも積つ積つつもらずもらずもらず見み見みみめもさゝやかなるにめもさゝやかなるにめもささやかなるに、、、小こ小ここ鏡かがみ鏡かがみかがみとやとやとや付つ付つつけましけましけまし。。。などなどなど侍はべ侍はべはべりしりしりし」」」ととと語かた語かたかたればればれば、、、
  6. 6「「「世よ世よよににに人ひと人ひとひとののの見み見みみ興きよう興きようきょうずるずるずる事こと事ことこと語かた語かたかたりりり出い出いいだされたるだされたるだされたる人ひと人ひとひとののの、、、うまごにこそおはすなれうまごにこそおはすなれうまごにこそおわすなれ。。。いとあはれにいとあはれにいとあわれに、、、はづかしくこそはづかしくこそはずかしくこそ侍はべ侍はべはべれれれ。。。式部しきぶ式部しきぶしきぶののの君きみ君きみきみたれがたれがたれが事こと事ことことにかにかにか」」」。。。
  7. 7ととと問と問ととへばへばへば、、、「「「紫式部むらさきしきぶ紫式部むらさきしきぶむらさきしきぶとぞとぞとぞ世よ世よよにににははは申まう申まうもうすなるべしすなるべしすなるべし」」」。。。といふにといふにというに、、、「「「それそれそれははは名高なたか名高なたかなたかくおはするくおはするくおわする人ひと人ひとひとぞかしぞかしぞかし。。。源氏げんじ源氏げんじげんじといふめでたきといふめでたきというめでたき物語ものがたり物語ものがたりものがたり、、、作つく作つくつくりりり出い出いいだしてだしてだして、、、世よ世よよににに類たぐ類たぐたぐひなきひなきひなき人ひと人ひとひとにおはすればにおはすればにおわすれば、、、いかばかりのいかばかりのいかばかりの事こと事ことことどもかどもかどもか、、、聞き聞きききもちきもちきもち給たま給たまたまへらむへらむえらむ。。。うれしきうれしきうれしき道みち道みちみちにもにもにも、、、逢あ逢ああひきこえけるかなひきこえけるかないきこえけるかな。。。昔むかし昔むかしむかしののの風かぜ風かぜかぜももも吹ふ吹ふふききき傳つた傳つたつたへへえ給たま給たまたまふらむふらむうらむ。。。然しか然しかしかるべきるべきるべき言こと言ことことののの葉は葉ははをもをもをも、、、傳つた傳つたつたへへえ給たま給たまたまへへえ」」」。。。
  8. 8といへばといへばといえば、、、「「「かた〴〵うけたまはることかた〴〵うけたまはることかたがたうけたまわること多おほ多おほおおかりしかどもかりしかどもかりしかども、、、物語ものがたり物語ものがたりものがたりどもにどもにどもに皆みな皆みなみな侍はべ侍はべはべらむらむらむ」」」。。。といへばといへばといえば、、、「「「そのそのその後のち後のちのちののの事こと事ことことこそゆかしけれこそゆかしけれこそゆかしけれ」」」。。。といふにといふにというに、、、「「「近ちか近ちかちかききき世よ世よよののの事こと事ことことももも、、、おのづからおのづからおのずから傳つた傳つたつたへきゝへきゝえきき侍はべ侍はべはべればればれば、、、おろ〳〵おろ〳〵おろおろ年とし年としとしののの積つ積つつもりにもりにもりに申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべらんらんらん。。。若わか若わかわかくくく侍はべ侍はべはべりしりしりし昔むかし昔むかしむかしははは、、、然しか然しかしかるべきるべきるべき人ひと人ひとひとののの子こ子ここなどなどなど三四人みたりよたり三四人みたりよたりみたりよたりゅ生う生ううみてみてみて侍はべ侍はべはべりしかどりしかどりしかど、、、このこのこの身み身みみのあやしきにやのあやしきにやのあやしきにや。。。みなみなみな法師ほふし法師ほふしほうしになしつゝになしつゝになしつつ、、、あるあるあるははは山やま山やまやまぶみしありきてぶみしありきてぶみしありきて、、、あともとゞめあともとゞめあともとどめ侍はべ侍はべはべらざりきらざりきらざりき。。。あるあるあるははは山やま山やまやまごもりにてごもりにてごもりにて、、、おほかたおほかたおおかた見み見みみるるる世よ世よよももも侍はべ侍はべはべらずらずらず。。。たゞたゞただ養やしな養やしなやしなひてひていて侍はべ侍はべはべるるるののの命婦みやうぶ命婦みやうぶみょうぶとてとてとてはべりしはべりしはべりし、、、內うち內うちうちわたりのわたりのわたりの事こと事ことことももも語かた語かたかたりりり、、、世よ世よよののの事こと事ことこともくらからずもくらからずもくらからず申まう申まうもうしてしてして、、、琴こと琴ことことのつまならしなどしてのつまならしなどしてのつまならしなどして、、、聞き聞ききかせかせかせ侍はべ侍はべはべるもるもるも、、、齡よはひ齡よはひよわいのぶるのぶるのぶる心こころ心こころこころちしちしちし侍はべ侍はべはべりしりしりし、、、早はや早はやはやくかくれくかくれくかくれ侍はべ侍はべはべりてりてりて、、、またまたまたのみやつこなるのみやつこなるのみやつこなる、、、をのこのをのこのおのこの侍はべ侍はべはべるもるもるも、、、うひかうぶりせさせうひかうぶりせさせういこうぶりせさせ侍はべ侍はべはべりしまでりしまでりしまで養やしな養やしなやしなひたてゝひたてゝいたてて、、、このこのこの春日かすが春日かすがかすがののの里さと里さとさとににに、、、わすれずまうでくるがわすれずまうでくるがわすれずもうでくるが、、、朝あさ朝あさあさぎよめぎよめぎよめ、、、御垣みかき御垣みかきみかきののの內うち內うちうちににに仕つか仕つかつこうまつるにつけてうまつるにつけてうまつるにつけて、、、此こ此ここののの世よ世よよののの事こと事ことことももも聞き聞ききききき侍はべ侍はべはべるるる。。。みなもとみなもとみなもとををを知し知ししりぬればりぬればりぬれば、、、末すゑ末すゑすえののの流なが流ながながれきくにれきくにれきくに、、、心こころ心こころこころくまれくまれくまれ侍はべ侍はべはべりりり。。。世繼よつぎ世繼よつぎよつぎががが申まう申まうもうしおけるしおけるしおける二年にねん二年にねんにねんよりよりより、、、ことしことしことしははは二年にねん二年にねんにねんかのえかのえかのえ寅とら寅とらとらなればなればなれば、、、もゝとせもゝとせももとせ餘あま餘あまあまりよそぢのりよそぢのりよそじの春秋はるあき春秋はるあきはるあきににに、、、六ろく六ろくろくとせばかりやとせばかりやとせばかりや過す過すすぎぎぎ侍はべ侍はべはべりぬらむりぬらむりぬらむ。。。世よ世よよはははつぎあまりつぎあまりつぎあまり三み三みみつぎにやならせつぎにやならせつぎにやならせ給たま給たまたまふらむとぞおぼえふらむとぞおぼえうらむとぞおぼえ侍はべ侍はべはべるるる。。。そのそのそのをををりりり萬壽まんじゆ萬壽まんじゆまんじゅ二年にねん二年にねんにねんににに、、、ことしなるとことしなるとことしなると申まう申まうもうしたればしたればしたれば、、、彼か彼かかののの後一條ごいちでう後一條ごいちでうごいちじょうのみかどのみかどのみかど世よ世よよをををたもたせたもたせたもたせ給たま給たまたまふふう事こと事ことこと、、、廿年にじふねん廿年にじふねんにじゅうねんおはしましゝかばおはしましゝかばおわしまししかば、、、萬壽まんじゆ萬壽まんじゆまんじゅ二年にねん二年にねんにねんののの後のち後のちのち、、、いまいまいま十と十ととかへりのかへりのかえりの春秋はるあき春秋はるあきはるあきはははのこりのこりのこりはべらむはべらむはべらむ。。。神武天皇じんむてんわう神武天皇じんむてんわうじんむてんのうよりよりより六十八代ろくじふはちだい六十八代ろくじふはちだいろくじゅうはちだいにあたらせにあたらせにあたらせ給たま給たまたまへりへりえり。。。そのそのその御世みよ御世みよみよよりよりより申まう申まうもうししし侍はべ侍はべはべらむらむらむ」」」。。。とてとてとて。。。

引用の仕方

レポート・論文で引用する場合の表記例です。行番号を選んでから開くと、その行へのリンクになります。

現代語訳

三月の十日過ぎのころ、気の合う友人たちを大勢誘って初瀬(長谷寺)に参詣したついでに、よい機会だから寺めぐりをしようと、大和のあたりを何日か旅して歩いていたところ、道は遠く、日差しも暑かったので、木陰に立ち寄って、休もうとして皆で集まっていると、ひどく年老いた女が杖にすがって、花かごに早蕨を摘み入れて肘にかけた幼い女の子を一人連れて、その木の下にやって来た。「遠い道のりではないのですが、苦しくなってしまいましたので、皆さんがいらっしゃる所に失礼かとは思いますが、都のほうからおいでになったのでしょうか。昔のことも恋しいので、しばらくおそばに寄らせていただきましょう」と言う様子も、歯が抜けて口がすぼまり、声はふるえるようだが、年をとっているわりには、昔の面影があって見苦しくもない。「このあたりにお住まいなのですか」などと尋ねると、「もとは都に百年あまりおりまして、その後、山城の狛のあたりに五十年ほどおりました。その後、思いがけない縁によって、春日野のあたりに住んでおります。住まいが、あちらこちらと変わっておりますのも、しみじみとしたことで」と言うので、その年の積もりようを聞くうちに、皆驚いてあきれてしまった。

「昔でさえ、それほどの年齢はめったにないのに、いったいどういうお方でいらっしゃるのでしょう。本当なら、めったにないお方にお目にかかったものです」と言うと、老女は笑って、「白髪はまだ剃り落としてはおりませんが、仏の五つの戒めを受けておりますので、どうして浮ついた嘘など申しましょう。祖父でありました者も、二百歳近くまで生きておりました。親でありました者も、それほどではありませんでしたが、百歳を越えて亡くなりました。私も、その長寿を受け継いでいるのでしょうか。今か今かとお迎えを待っておりましたが、今ではそれにも慣れてしまって、いつまでもこうしていられるかのように、念仏なども怠ってばかりいるのも情けないことで」と言うので、「それで、どういうお家柄の方なのでしょう。あきれるほど長生きの家系でいらっしゃること。唐の書物を読む人の話では、三代の世を生きた人もいたそうです。百年を七回も過ごした人もいたそうですから、この世にも、こういう方がいらっしゃるのですね」と友人たちの中の一人が言うと、「祖父は、まことに身分の低い者でございました。皇太后宮にお仕えしておりました。名を世継と申しました。自然とお聞きになっていることでしょう。口から出まかせに語りました物語が、書きとめられて残っているようです。親でありました者は、まだ未熟な学生で大学寮におりました。この私をも、若いころは宮仕えなどさせまして、漢詩や和歌などを上手に作ったり詠んだりなさっていた方で、越前の国守でいらした方の御娘の、式部の君と申した人が、上東門院がまだ后の宮と申した時、その御母の鷹司殿にお仕えしておられたお部屋に、あやめという名でお仕えしておりましたところ、「五月に生まれたのか」とお尋ねになったので、「五日に生まれたそうでございます。母が志賀のほうへ参りました折に、舟の中で生まれたそうでございます」と申し上げると、「それでは五月五日、舟の中、波の上ということになるわね。午の刻に生まれたのか」とおっしゃったので、「そのくらいの時刻だったと、親は申しておりました」などと申し上げると、「百度も鍛えた銅(の鏡)であるようだ」とおっしゃって、「昔を映し見る、今を映し見るなどということであるのに、昔では古すぎる。今鏡とでも呼ぼうかしら。まだ年もいかず、年も積もっていず、見た目も小柄なのだから、小鏡とでも名づけようかしら、などとおっしゃいました」と語るので、

「世の人が面白がって読んでいる物語を語り出された方の、お孫さんでいらっしゃるのですね。ほんとうに感慨深く、こちらが気恥ずかしくなるほどです。式部の君とはどなたのことですか」と尋ねると、「紫式部と世間では申しているようです」と言うので、「それはたいそう名高い人ですよ。源氏というすばらしい物語を作り出して、世に比べる者のない人でいらっしゃるから、どれほどのことをお聞きになって覚えていらっしゃることか。うれしい旅の途中で、お会いできたものです。昔の風情もそのまま伝えていらっしゃるでしょう。しかるべき話をお伝えください」と言うと、「いろいろとうかがったことは多かったのですが、それは物語類にみな書かれているでしょう」と言うので、「その後のことこそ知りたいのです」と言うと、「近ごろの世のことも、自然と伝え聞いておりますので、おおよそを年の功で申し上げましょう。若かったころは、しかるべき人の子などを三、四人産みましたが、私の身分が低いせいでしょうか、みな法師にしてしまいまして、ある者は山々を修行して歩き回り、行方もわからなくなりました。ある者は山に籠もっていて、ほとんど顔を見ることもありません。ただ、養っておりました五節の命婦という娘がおりまして、宮中のことも語り、世間のことにも明るく話してくれ、琴の爪音を鳴らしなどして聞かせてくれるのも、寿命の延びる心地がしておりましたが、早く亡くなりまして、また主殿寮の下役である男がおりますのも、元服させるまで養い育てましたところ、この春日の里に忘れずに訪ねて来るのですが、朝の掃除をして宮中にお仕えしておりますので、それにつけてこの世のことも聞いております。源を知っておりますから、末の流れ(近ごろのこと)を聞くにつけても、よく察しがつくのです。世継が申しおいた万寿二年から、今年は嘉応二年、庚寅の年ですから、百四十年あまりの春秋に、六年ほども過ぎたでしょうか。御代は十三代にもなられたかと思われます。そのとき万寿二年に、今年のことだと申しましたので、あの後一条天皇が世を治められたのは二十年でいらしたから、万寿二年の後、まだ十年の春秋が残っているはずです。神武天皇から六十八代にあたっておいでです。その御代からお話し申しましょう」と言って。

意訳

物語の枠を作る冒頭。語り手たちは、春の大和を旅する都の人々で、木陰に休むところへ一人の老女が現れる。『大鏡』が雲林院の菩提講で百九十歳の大宅世継と百八十歳の夏山繁樹に出会う場面で始まるのにならい、ここでも途方もない長寿の老人が歴史を語る役を負う。

老女は、自分が五戒を受けた身で嘘はつかないと断り、祖父世継・父・自分と三代続く長寿を語る。祖父は『大鏡』の語り手、父は大学寮の学生、自分は紫式部に仕えたという設定で、歴史の語り(大鏡)と物語の伝統(源氏物語)の両方を受け継ぐ人物として描かれる。

紫式部が、五月五日の午の刻に舟の上で生まれたと聞いて、「百錬の鏡」の故事(白居易の詩「百錬鏡」では五月五日の午の刻に揚子江の舟の上で鏡を鋳たとされる)を思い出し、「今鏡」「小鏡」と名づけたという話が、そのまま書名の由来になっている。

老女は、世継が語り終えた万寿二年(1025)から、今年嘉応二年(1170)までの百四十六年を語ることになる。ただし後一条天皇の御代は万寿二年の後も続くので、話は後一条天皇の初めから始める、と語り出しの範囲を定めている。

語釈・文法注

やよひの十日あまり
三月十日過ぎ。後の本文から、嘉応二年(1170)の春のこととわかる。
はつせ
初瀬。大和国の長谷寺。観音の霊験で知られ、都の人々がしばしば参詣した。
みづはさしたる
ひどく年老いた。「みづは(瑞歯)さす」は、老人の歯が抜けたあとに再び生えるほどの長寿をいう。
花がたみ
花や若菜を摘んで入れる竹かご。
なづさひ
「なづさふ」は、なれ親しむ、そばに寄りそう。
口すげみ
歯が抜けて口もとがすぼまり。
狛
山城国相楽郡の地名。今の京都府木津川市山城町のあたり。
つくも髪
老女の白髪。『伊勢物語』六十三段の「百年に一年たらぬつくも髪」による。
五つのいむ事
仏教の五戒(殺生・盗み・邪淫・妄語・飲酒を禁じる)。妄語(うそ)の戒めがあるので、作り話はしないという。
ふたもゝち
二百。『大鏡』で世継は百九十歳とされる。
世繼
大宅世継。『大鏡』の語り手で、宇多天皇の母后(班子女王)に仕えたという。
なま學生
大学寮で学ぶ、まだ一人前でない学生。
式部の君
紫式部。父の藤原為時が越前守になったので「越の國の司」の娘という。
鷹司殿
藤原道長の妻、源倫子。上東門院(彰子)の母。
あやめ
老女の女房名。五月五日の端午の節句に飾る菖蒲にちなむ。
もゝたび鍊りたるあかゞね
百度も鍛えた銅。白居易の詩「百錬鏡」に、五月五日の午の時に揚子江の波の上で鋳たという名鏡が詠まれる。
いにしへをかゞみ
昔を映し見る。『大鏡』の書名をふまえ、昔を映す大鏡に対して、今を映す今鏡という。
五節の命婦
老女が養った娘の女房名。五節の舞姫に関わる役を勤めた女房か。
殿守のみやつこ
主殿寮の下級の役人。宮中の灯火・清掃などを受け持つ。
萬壽二年
1025年。『大鏡』で世継が昔語りをした年。
嘉應二年
1170年。この年の干支は庚寅(かのえとら)。高倉天皇の御代。
十つぎあまり三つぎ
十三代。後一条天皇から高倉天皇まで。

文法

体むとて
底本は「体」と刷るが、「休む」の誤植であろう。底本どおりに翻刻した。
はゞからしけれど
形容詞「はばからし」(遠慮される、気がひける)の已然形に、逆接の接続助詞「ど」。
あかゞねなゝり
「なるなり」が「なんなり」と音便化し、撥音を表記しない形。断定「なり」の連体形+推定「なり」。〜であるようだ。
今をかゞみる
「かゞみる」は上一段動詞「鑑みる」(手本として照らし見る)。「鏡」と掛けて書名の由来とする。
申しおける
「おける」は補助動詞「おく」の已然形+存続の助動詞「り」の連体形。言い残した。

解説

『今鏡』は、『大鏡』の後を継ぐ歴史物語で、後一条天皇の万寿二年(1025)から高倉天皇の嘉応二年(1170)まで、十三代百四十六年の歴史を語る。成立は嘉応二年以後まもなくとされ、作者は藤原為経(寂超)とする説が有力である。『大鏡』『水鏡』『増鏡』とあわせて「四鏡」と呼ばれる。

この冒頭は、『大鏡』の序の形式をそのまま受け継いでいる。大鏡の世継に対して、その孫で紫式部に仕えた老女を語り手に据えたことで、作品は「歴史」と「物語」の両方の伝統を負うことになる。実際、本書は政治の出来事よりも、宮廷の儀式・和歌・音楽・人々の風流を語ることに力を注いでおり、最後の巻では紫式部が『源氏物語』を書いた罪で地獄に堕ちたという説に反論して物語を擁護する話で結ばれる。

「今鏡」の名は、昔を映す「大鏡」に対して、今の世を映す鏡という意味であるとともに、語り手の老女の名と結びつけられている。別名を『続世継』(世継の物語の続き)ともいい、近世にはこちらの名で流布した。

関連

出典

底本
関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、1〜6頁(コマ15–18)。国立国会図書館デジタルコレクション
校訂・訳・注
古典ライブラリー編集部
更新日