今鏡 第一「すべらぎの上」 第1章
発端
嘉応二年(1170)の春、初瀬に詣でた一行は、大和の木陰で百五十歳を越える老女に出会う。老女は『大鏡』の語り手大宅世継の孫で、紫式部に仕えて「あやめ」と名づけられた人だった。老女は、祖父の物語の後を継いで、後一条天皇の御代から今に至る世の出来事を語りはじめる。
- 1十日十日とおかあまりのあまりのあまりの頃頃ころ、、、同同おなじじじ心心こころなるなるなる友友ともたちたちたち、、、あまたいざなひてあまたいざなひてあまたいざないて、、、詣詣もうででで侍侍はべりしついでにりしついでにりしついでに、、、よきたよりによきたよりによきたよりに寺寺てらめぐりせんとてめぐりせんとてめぐりせんとて、、、大和大和やまとのかたにのかたにのかたに旅旅たびありきありきありき日日ひごろするにごろするにごろするに、、、路遠路遠みちとおくてくてくて日日ひもあつければもあつければもあつければ、、、木陰木陰こかげににに立立たちよりてちよりてちよりて、、、体体やすむとてむとてむとて群群むれゐるれゐるれいる程程ほどににに、、、はははさしたるさしたるさしたる女女おんなののの杖杖つえにかゝりたるがにかゝりたるがにかかりたるが、、、めのわらはのめのわらはのめのわらわの、、、がたみにさわらびがたみにさわらびがたみにさわらび折折おりいれてりいれてりいれて、、、ひぢにかけたるひぢにかけたるひじにかけたるひとりひとりひとり具具ぐしてしてして、、、そのそのその木木きののの下下もとにいたりぬにいたりぬにいたりぬ。。。
- 2「「「遠遠とおききき程程ほどにににはははあらねどあらねどあらねど、、、苦苦くるしくしくしく成成なりてりてりて侍侍はべればればれば、、、おはしあへるおはしあへるおわしあえる所所ところはははゞからしけれどゞからしけれどばからしけれど、、、都都みやこのかたよりものしのかたよりものしのかたよりものし給給たまふにやふにやうにや。。。むかしもむかしもむかしも戀戀こいしければしければしければ、、、」」」。。。
- 3といふけしきもといふけしきもというけしきも、、、すげみわなゝくやうなれどすげみわなゝくやうなれどすげみわななくようなれど、、、年年としよりたるよりたるよりたる程程ほどよりもよりもよりも、、、昔昔むかしおぼえてにくげもせずおぼえてにくげもせずおぼえてにくげもせず。。。「「「此此このわたりにおはするにやのわたりにおはするにやのわたりにおわするにや」」」。。。などなどなど問問とへばへばへば、、、「「「もともともとははは都都みやこににに百百ももとせあまりとせあまりとせあまり侍侍はべりてりてりて、、、そのゝちそのゝちそののち山城山城やましろののののわたりにのわたりにのわたりに、、、いそぢばかりいそぢばかりいそじばかり侍侍はべりきりきりき。。。さてさてさて後後のちおもひもかけぬおもひもかけぬおもいもかけぬ草草くさのゆかりにのゆかりにのゆかりに、、、春日野春日野かすがのわたりにわたりにわたりに住住すみみみ侍侍はべるなりるなりるなり。。。すみかのすみかのすみかの、、、となりかくなりしとなりかくなりしとなりかくなりし侍侍はべるもるもるも、、、あはれにあはれにあわれに」」」といふにといふにというに、、、年年としののの積積つもりもりもり聞聞きくくく程程ほどににに、、、みなみなみな驚驚おどろきてあさましくなりぬきてあさましくなりぬきてあさましくなりぬ。。。
- 4「「「昔昔むかしだにさだにさだにさほどのほどのほどの齡齡よわいはははありありあり難難がたきにきにきに、、、いかなるいかなるいかなる人人ひとにかおはすらむにかおはすらむにかおわすらむ。。。誠誠まことならばならばならば、、、ありがたきありがたきありがたき人見人見ひとみたてまつりつたてまつりつたてまつりつ」」」。。。といへばといへばといえば、、、うちうちうち笑笑わらひてひていて、、、「「「髪髪かみはははまだおろしまだおろしまだおろし侍侍はべらねどらねどらねど、、、ほとけのほとけのほとけのつのいむつのいむつのいむ事事ことををを、、、うけてうけてうけて侍侍はべればればれば、、、いかゞいかゞいかが浮浮うきたることきたることきたることははは申申もうさむさむさむ。。。おほぢにおほぢにおおじに侍侍はべりしりしりし者者ものももも、、、及及およぶまでぶまでぶまで侍侍はべりきりきりき。。。おやにおやにおやに侍侍はべりしもりしもりしも、、、そればかりこそそればかりこそそればかりこそ侍侍はべらざりしかどもらざりしかどもらざりしかども、、、百百ももとせにとせにとせに餘餘あまりてりてりて身身みまかりにきまかりにきまかりにき。。。おうなもおうなもおうなも、、、其其そののの齡齡よわいををを傳傳つたへへえ侍侍はべるにやるにやるにや。。。いまいまといまいまといまいまと待待まちちち侍侍はべりしかどりしかどりしかど、、、今今いまはははおもなれておもなれておもなれて、、、常常つねにかくてあらんずるやうににかくてあらんずるやうににかくてあらんずるように、、、念佛念佛ねんぶつなどもなどもなども怠怠おこたりのみなるもあはれになむりのみなるもあはれになむりのみなるもあわれになむ」」」。。。
- 5といへばといへばといえば、、、「「「さていかにおはしけるつゞきにかさていかにおはしけるつゞきにかさていかにおわしけるつづきにか。。。あさましくもあさましくもあさましくも長長ながくもおはしけるくもおはしけるくもおわしける齡齡よわいどもかなどもかなどもかな。。。からのからのからのふみふみふみ讀讀よむむむ人人ひとののの語語かたりしりしりしははは、、、みちよへたるみちよへたるみちよえたる人人ひともありけりもありけりもありけり。。。もゝとせもゝとせももとせををを七七ななかへりかへりかえり過過すぐせるもぐせるもぐせるも有有ありければりければりければ、、、このこのこの世世よにもにもにも、、、かゝるかゝるかかる人人ひとのおはするかなのおはするかなのおわするかな」」」ととと、、、此此こののの友友ともたちのたちのたちの中中なかにいふめればにいふめればにいうめれば、、、「「「おほぢおほぢおおじははは、、、むげにむげにむげに賤賤いやしきしきしき者者ものににに侍侍はべりきりきりき。。。きさいのきさいのきさいの宮宮みやになんになんになん仕仕つかへまつりへまつりえまつりはべりけるはべりけるはべりける。。。名名なはははととと申申もうしきしきしき。。。おのづからもおのづからもおのずからも聞聞きかせかせかせ給給たまふらむふらむうらむ。。。くちにまかせてくちにまかせてくちにまかせて申申もうしけるしけるしける物語物語ものがたり、、、とゞまりてとゞまりてとどまりて侍侍はべるめりるめりるめり。。。親親おやににに侍侍はべりしりしりしははは、、、學生學生がくしょうにてにてにて大學大學だいがくににに侍侍はべりきりきりき。。。このこのこの嫗嫗おうなをもをもをも若若わかくてくてくてははは、、、宮仕宮仕みやずかへなどせさせへなどせさせえなどせさせはべりてはべりてはべりて、、、からのからのからの歌歌うたやまとやまとやまと歌歌うたなどなどなど、、、よくよくよく作作つくりよみりよみりよみ給給たまひしがひしがいしが、、、越越こしののの國國くにののの司司つかさにおはせしにおはせしにおわせし御御おんむすめにむすめにむすめに、、、ののの君君きみととと申申もうしゝしゝしし人人ひとののの、、、上東門院上東門院じょうとうもんいんののの后后きさきののの宮宮みやととと申申もうしゝしゝしし時時とき、、、御母御母おおんははのののにさぶらひにさぶらひにさぶらい給給たまひしひしいし局局つぼねににに、、、申申もうしてまうでしてまうでしてもうで侍侍はべりしりしりしををを、、、「「「五月五月さつきににに生生うまれたるかまれたるかまれたるか」」」ととと問問とひひい給給たまひしかばひしかばいしかば、、、「「「五日五日いつかになんになんになん生生うまれまれまれ侍侍はべりけるりけるりける。。。母母ははののの志賀志賀しがのかたにまかりけるにのかたにまかりけるにのかたにまかりけるに、、、舟舟ふねにてにてにて生生うまれまれまれ侍侍はべりけるりけるりける」」」ととと申申もうすにすにすに、、、「「「さてさてさてははは五月五日五月五日さつきいつか、、、舟舟ふねのののうちうちうち浪浪なみののの上上うえにこそあなれにこそあなれにこそあなれ。。。午午うまののの時時ときにやにやにや生生うまれたるれたるれたる」」」。。。ととと侍侍はべりしかばりしかばりしかば、、、「「「しかしかしかほどにほどにほどに侍侍はべりけるとぞりけるとぞりけるとぞ、、、おやおやおやははは申申もうししし侍侍はべりしりしりし」」」。。。などなどなど申申もうせばせばせば、、、「「「鍊鍊ねりたるあかゞねなゝりとてりたるあかゞねなゝりとてりたるあかがねななりとて、、、「「「いにしへいにしへいにしえををを、、、今今いまをををかゞみるなどいふかゞみるなどいふかがみるなどいう事事ことにてあるににてあるににてあるに、、、いにしへもあまりなりいにしへもあまりなりいにしえもあまりなり。。。今今いま鏡鏡かがみとやとやとや云云いはははましましまし。。。まだまだまだをさ〳〵しげなるをさ〳〵しげなるおさおさしげなる程程ほどよりもよりもよりも、、、年年としももも積積つもらずもらずもらず見見みめもさゝやかなるにめもさゝやかなるにめもささやかなるに、、、小小こ鏡鏡かがみとやとやとや付付つけましけましけまし。。。などなどなど侍侍はべりしりしりし」」」ととと語語かたればればれば、、、
- 6「「「世世よににに人人ひとののの見見み興興きょうずるずるずる事事こと語語かたりりり出出いだされたるだされたるだされたる人人ひとののの、、、うまごにこそおはすなれうまごにこそおはすなれうまごにこそおわすなれ。。。いとあはれにいとあはれにいとあわれに、、、はづかしくこそはづかしくこそはずかしくこそ侍侍はべれれれ。。。式部式部しきぶののの君君きみたれがたれがたれが事事ことにかにかにか」」」。。。
- 7ととと問問とへばへばへば、、、「「「紫式部紫式部むらさきしきぶとぞとぞとぞ世世よにににははは申申もうすなるべしすなるべしすなるべし」」」。。。といふにといふにというに、、、「「「それそれそれははは名高名高なたかくおはするくおはするくおわする人人ひとぞかしぞかしぞかし。。。源氏源氏げんじといふめでたきといふめでたきというめでたき物語物語ものがたり、、、作作つくりりり出出いだしてだしてだして、、、世世よににに類類たぐひなきひなきひなき人人ひとにおはすればにおはすればにおわすれば、、、いかばかりのいかばかりのいかばかりの事事ことどもかどもかどもか、、、聞聞ききもちきもちきもち給給たまへらむへらむえらむ。。。うれしきうれしきうれしき道道みちにもにもにも、、、逢逢あひきこえけるかなひきこえけるかないきこえけるかな。。。昔昔むかしののの風風かぜももも吹吹ふききき傳傳つたへへえ給給たまふらむふらむうらむ。。。然然しかるべきるべきるべき言言ことののの葉葉はをもをもをも、、、傳傳つたへへえ給給たまへへえ」」」。。。
- 8といへばといへばといえば、、、「「「かた〴〵うけたまはることかた〴〵うけたまはることかたがたうけたまわること多多おおかりしかどもかりしかどもかりしかども、、、物語物語ものがたりどもにどもにどもに皆皆みな侍侍はべらむらむらむ」」」。。。といへばといへばといえば、、、「「「そのそのその後後のちののの事事ことこそゆかしけれこそゆかしけれこそゆかしけれ」」」。。。といふにといふにというに、、、「「「近近ちかききき世世よののの事事ことももも、、、おのづからおのづからおのずから傳傳つたへきゝへきゝえきき侍侍はべればればれば、、、おろ〳〵おろ〳〵おろおろ年年としののの積積つもりにもりにもりに申申もうししし侍侍はべらんらんらん。。。若若わかくくく侍侍はべりしりしりし昔昔むかしははは、、、然然しかるべきるべきるべき人人ひとののの子子こなどなどなど三四人三四人みたりよたりゅ生生うみてみてみて侍侍はべりしかどりしかどりしかど、、、このこのこの身身みのあやしきにやのあやしきにやのあやしきにや。。。みなみなみな法師法師ほうしになしつゝになしつゝになしつつ、、、あるあるあるははは山山やまぶみしありきてぶみしありきてぶみしありきて、、、あともとゞめあともとゞめあともとどめ侍侍はべらざりきらざりきらざりき。。。あるあるあるははは山山やまごもりにてごもりにてごもりにて、、、おほかたおほかたおおかた見見みるるる世世よももも侍侍はべらずらずらず。。。たゞたゞただ養養やしなひてひていて侍侍はべるるるののの命婦命婦みょうぶとてとてとてはべりしはべりしはべりし、、、內內うちわたりのわたりのわたりの事事ことももも語語かたりりり、、、世世よののの事事こともくらからずもくらからずもくらからず申申もうしてしてして、、、琴琴ことのつまならしなどしてのつまならしなどしてのつまならしなどして、、、聞聞きかせかせかせ侍侍はべるもるもるも、、、齡齡よわいのぶるのぶるのぶる心心こころちしちしちし侍侍はべりしりしりし、、、早早はやくかくれくかくれくかくれ侍侍はべりてりてりて、、、またまたまたのみやつこなるのみやつこなるのみやつこなる、、、をのこのをのこのおのこの侍侍はべるもるもるも、、、うひかうぶりせさせうひかうぶりせさせういこうぶりせさせ侍侍はべりしまでりしまでりしまで養養やしなひたてゝひたてゝいたてて、、、このこのこの春日春日かすがののの里里さとににに、、、わすれずまうでくるがわすれずまうでくるがわすれずもうでくるが、、、朝朝あさぎよめぎよめぎよめ、、、御垣御垣みかきののの內內うちににに仕仕つこうまつるにつけてうまつるにつけてうまつるにつけて、、、此此こののの世世よののの事事ことももも聞聞きききき侍侍はべるるる。。。みなもとみなもとみなもとををを知知しりぬればりぬればりぬれば、、、末末すえののの流流ながれきくにれきくにれきくに、、、心心こころくまれくまれくまれ侍侍はべりりり。。。世繼世繼よつぎががが申申もうしおけるしおけるしおける二年二年にねんよりよりより、、、ことしことしことしははは二年二年にねんかのえかのえかのえ寅寅とらなればなればなれば、、、もゝとせもゝとせももとせ餘餘あまりよそぢのりよそぢのりよそじの春秋春秋はるあきににに、、、六六ろくとせばかりやとせばかりやとせばかりや過過すぎぎぎ侍侍はべりぬらむりぬらむりぬらむ。。。世世よはははつぎあまりつぎあまりつぎあまり三三みつぎにやならせつぎにやならせつぎにやならせ給給たまふらむとぞおぼえふらむとぞおぼえうらむとぞおぼえ侍侍はべるるる。。。そのそのそのをををりりり萬壽萬壽まんじゅ二年二年にねんににに、、、ことしなるとことしなるとことしなると申申もうしたればしたればしたれば、、、彼彼かののの後一條後一條ごいちじょうのみかどのみかどのみかど世世よをををたもたせたもたせたもたせ給給たまふふう事事こと、、、廿年廿年にじゅうねんおはしましゝかばおはしましゝかばおわしまししかば、、、萬壽萬壽まんじゅ二年二年にねんののの後後のち、、、いまいまいま十十とかへりのかへりのかえりの春秋春秋はるあきはははのこりのこりのこりはべらむはべらむはべらむ。。。神武天皇神武天皇じんむてんのうよりよりより六十八代六十八代ろくじゅうはちだいにあたらせにあたらせにあたらせ給給たまへりへりえり。。。そのそのその御世御世みよよりよりより申申もうししし侍侍はべらむらむらむ」」」。。。とてとてとて。。。
現代語訳
三月の十日過ぎのころ、気の合う友人たちを大勢誘って初瀬(長谷寺)に参詣したついでに、よい機会だから寺めぐりをしようと、大和のあたりを何日か旅して歩いていたところ、道は遠く、日差しも暑かったので、木陰に立ち寄って、休もうとして皆で集まっていると、ひどく年老いた女が杖にすがって、花かごに早蕨を摘み入れて肘にかけた幼い女の子を一人連れて、その木の下にやって来た。「遠い道のりではないのですが、苦しくなってしまいましたので、皆さんがいらっしゃる所に失礼かとは思いますが、都のほうからおいでになったのでしょうか。昔のことも恋しいので、しばらくおそばに寄らせていただきましょう」と言う様子も、歯が抜けて口がすぼまり、声はふるえるようだが、年をとっているわりには、昔の面影があって見苦しくもない。「このあたりにお住まいなのですか」などと尋ねると、「もとは都に百年あまりおりまして、その後、山城の狛のあたりに五十年ほどおりました。その後、思いがけない縁によって、春日野のあたりに住んでおります。住まいが、あちらこちらと変わっておりますのも、しみじみとしたことで」と言うので、その年の積もりようを聞くうちに、皆驚いてあきれてしまった。
「昔でさえ、それほどの年齢はめったにないのに、いったいどういうお方でいらっしゃるのでしょう。本当なら、めったにないお方にお目にかかったものです」と言うと、老女は笑って、「白髪はまだ剃り落としてはおりませんが、仏の五つの戒めを受けておりますので、どうして浮ついた嘘など申しましょう。祖父でありました者も、二百歳近くまで生きておりました。親でありました者も、それほどではありませんでしたが、百歳を越えて亡くなりました。私も、その長寿を受け継いでいるのでしょうか。今か今かとお迎えを待っておりましたが、今ではそれにも慣れてしまって、いつまでもこうしていられるかのように、念仏なども怠ってばかりいるのも情けないことで」と言うので、「それで、どういうお家柄の方なのでしょう。あきれるほど長生きの家系でいらっしゃること。唐の書物を読む人の話では、三代の世を生きた人もいたそうです。百年を七回も過ごした人もいたそうですから、この世にも、こういう方がいらっしゃるのですね」と友人たちの中の一人が言うと、「祖父は、まことに身分の低い者でございました。皇太后宮にお仕えしておりました。名を世継と申しました。自然とお聞きになっていることでしょう。口から出まかせに語りました物語が、書きとめられて残っているようです。親でありました者は、まだ未熟な学生で大学寮におりました。この私をも、若いころは宮仕えなどさせまして、漢詩や和歌などを上手に作ったり詠んだりなさっていた方で、越前の国守でいらした方の御娘の、式部の君と申した人が、上東門院がまだ后の宮と申した時、その御母の鷹司殿にお仕えしておられたお部屋に、あやめという名でお仕えしておりましたところ、「五月に生まれたのか」とお尋ねになったので、「五日に生まれたそうでございます。母が志賀のほうへ参りました折に、舟の中で生まれたそうでございます」と申し上げると、「それでは五月五日、舟の中、波の上ということになるわね。午の刻に生まれたのか」とおっしゃったので、「そのくらいの時刻だったと、親は申しておりました」などと申し上げると、「百度も鍛えた銅(の鏡)であるようだ」とおっしゃって、「昔を映し見る、今を映し見るなどということであるのに、昔では古すぎる。今鏡とでも呼ぼうかしら。まだ年もいかず、年も積もっていず、見た目も小柄なのだから、小鏡とでも名づけようかしら、などとおっしゃいました」と語るので、
「世の人が面白がって読んでいる物語を語り出された方の、お孫さんでいらっしゃるのですね。ほんとうに感慨深く、こちらが気恥ずかしくなるほどです。式部の君とはどなたのことですか」と尋ねると、「紫式部と世間では申しているようです」と言うので、「それはたいそう名高い人ですよ。源氏というすばらしい物語を作り出して、世に比べる者のない人でいらっしゃるから、どれほどのことをお聞きになって覚えていらっしゃることか。うれしい旅の途中で、お会いできたものです。昔の風情もそのまま伝えていらっしゃるでしょう。しかるべき話をお伝えください」と言うと、「いろいろとうかがったことは多かったのですが、それは物語類にみな書かれているでしょう」と言うので、「その後のことこそ知りたいのです」と言うと、「近ごろの世のことも、自然と伝え聞いておりますので、おおよそを年の功で申し上げましょう。若かったころは、しかるべき人の子などを三、四人産みましたが、私の身分が低いせいでしょうか、みな法師にしてしまいまして、ある者は山々を修行して歩き回り、行方もわからなくなりました。ある者は山に籠もっていて、ほとんど顔を見ることもありません。ただ、養っておりました五節の命婦という娘がおりまして、宮中のことも語り、世間のことにも明るく話してくれ、琴の爪音を鳴らしなどして聞かせてくれるのも、寿命の延びる心地がしておりましたが、早く亡くなりまして、また主殿寮の下役である男がおりますのも、元服させるまで養い育てましたところ、この春日の里に忘れずに訪ねて来るのですが、朝の掃除をして宮中にお仕えしておりますので、それにつけてこの世のことも聞いております。源を知っておりますから、末の流れ(近ごろのこと)を聞くにつけても、よく察しがつくのです。世継が申しおいた万寿二年から、今年は嘉応二年、庚寅の年ですから、百四十年あまりの春秋に、六年ほども過ぎたでしょうか。御代は十三代にもなられたかと思われます。そのとき万寿二年に、今年のことだと申しましたので、あの後一条天皇が世を治められたのは二十年でいらしたから、万寿二年の後、まだ十年の春秋が残っているはずです。神武天皇から六十八代にあたっておいでです。その御代からお話し申しましょう」と言って。
意訳
物語の枠を作る冒頭。語り手たちは、春の大和を旅する都の人々で、木陰に休むところへ一人の老女が現れる。『大鏡』が雲林院の菩提講で百九十歳の大宅世継と百八十歳の夏山繁樹に出会う場面で始まるのにならい、ここでも途方もない長寿の老人が歴史を語る役を負う。
老女は、自分が五戒を受けた身で嘘はつかないと断り、祖父世継・父・自分と三代続く長寿を語る。祖父は『大鏡』の語り手、父は大学寮の学生、自分は紫式部に仕えたという設定で、歴史の語り(大鏡)と物語の伝統(源氏物語)の両方を受け継ぐ人物として描かれる。
紫式部が、五月五日の午の刻に舟の上で生まれたと聞いて、「百錬の鏡」の故事(白居易の詩「百錬鏡」では五月五日の午の刻に揚子江の舟の上で鏡を鋳たとされる)を思い出し、「今鏡」「小鏡」と名づけたという話が、そのまま書名の由来になっている。
老女は、世継が語り終えた万寿二年(1025)から、今年嘉応二年(1170)までの百四十六年を語ることになる。ただし後一条天皇の御代は万寿二年の後も続くので、話は後一条天皇の初めから始める、と語り出しの範囲を定めている。
語釈・文法注
- やよひの十日あまり
- 三月十日過ぎ。後の本文から、嘉応二年(1170)の春のこととわかる。
- はつせ
- 初瀬。大和国の長谷寺。観音の霊験で知られ、都の人々がしばしば参詣した。
- みづはさしたる
- ひどく年老いた。「みづは(瑞歯)さす」は、老人の歯が抜けたあとに再び生えるほどの長寿をいう。
- 花がたみ
- 花や若菜を摘んで入れる竹かご。
- なづさひ
- 「なづさふ」は、なれ親しむ、そばに寄りそう。
- 口すげみ
- 歯が抜けて口もとがすぼまり。
- 狛
- 山城国相楽郡の地名。今の京都府木津川市山城町のあたり。
- つくも髪
- 老女の白髪。『伊勢物語』六十三段の「百年に一年たらぬつくも髪」による。
- 五つのいむ事
- 仏教の五戒(殺生・盗み・邪淫・妄語・飲酒を禁じる)。妄語(うそ)の戒めがあるので、作り話はしないという。
- ふたもゝち
- 二百。『大鏡』で世継は百九十歳とされる。
- 世繼
- 大宅世継。『大鏡』の語り手で、宇多天皇の母后(班子女王)に仕えたという。
- なま學生
- 大学寮で学ぶ、まだ一人前でない学生。
- 式部の君
- 紫式部。父の藤原為時が越前守になったので「越の國の司」の娘という。
- 鷹司殿
- 藤原道長の妻、源倫子。上東門院(彰子)の母。
- あやめ
- 老女の女房名。五月五日の端午の節句に飾る菖蒲にちなむ。
- もゝたび鍊りたるあかゞね
- 百度も鍛えた銅。白居易の詩「百錬鏡」に、五月五日の午の時に揚子江の波の上で鋳たという名鏡が詠まれる。
- いにしへをかゞみ
- 昔を映し見る。『大鏡』の書名をふまえ、昔を映す大鏡に対して、今を映す今鏡という。
- 五節の命婦
- 老女が養った娘の女房名。五節の舞姫に関わる役を勤めた女房か。
- 殿守のみやつこ
- 主殿寮の下級の役人。宮中の灯火・清掃などを受け持つ。
- 萬壽二年
- 1025年。『大鏡』で世継が昔語りをした年。
- 嘉應二年
- 1170年。この年の干支は庚寅(かのえとら)。高倉天皇の御代。
- 十つぎあまり三つぎ
- 十三代。後一条天皇から高倉天皇まで。
文法
- 体むとて
- 底本は「体」と刷るが、「休む」の誤植であろう。底本どおりに翻刻した。
- はゞからしけれど
- 形容詞「はばからし」(遠慮される、気がひける)の已然形に、逆接の接続助詞「ど」。
- あかゞねなゝり
- 「なるなり」が「なんなり」と音便化し、撥音を表記しない形。断定「なり」の連体形+推定「なり」。〜であるようだ。
- 今をかゞみる
- 「かゞみる」は上一段動詞「鑑みる」(手本として照らし見る)。「鏡」と掛けて書名の由来とする。
- 申しおける
- 「おける」は補助動詞「おく」の已然形+存続の助動詞「り」の連体形。言い残した。
解説
『今鏡』は、『大鏡』の後を継ぐ歴史物語で、後一条天皇の万寿二年(1025)から高倉天皇の嘉応二年(1170)まで、十三代百四十六年の歴史を語る。成立は嘉応二年以後まもなくとされ、作者は藤原為経(寂超)とする説が有力である。『大鏡』『水鏡』『増鏡』とあわせて「四鏡」と呼ばれる。
この冒頭は、『大鏡』の序の形式をそのまま受け継いでいる。大鏡の世継に対して、その孫で紫式部に仕えた老女を語り手に据えたことで、作品は「歴史」と「物語」の両方の伝統を負うことになる。実際、本書は政治の出来事よりも、宮廷の儀式・和歌・音楽・人々の風流を語ることに力を注いでおり、最後の巻では紫式部が『源氏物語』を書いた罪で地獄に堕ちたという説に反論して物語を擁護する話で結ばれる。
「今鏡」の名は、昔を映す「大鏡」に対して、今の世を映す鏡という意味であるとともに、語り手の老女の名と結びつけられている。別名を『続世継』(世継の物語の続き)ともいい、近世にはこちらの名で流布した。
関連
出典
- 底本
- 関根正直『今鏡新註』 六合館、昭和2年(1927)、1〜6頁(コマ15–18)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日