平家物語 巻第一
祇園精舎の事
「祇園精舎の鐘の声」で始まる序章。盛者必衰の道理を説き、中国と日本で驕りたかぶって滅んだ人々を挙げたうえで、それにもまさる平清盛の有様を語ると告げ、桓武天皇から清盛に至る平家の系譜をたどる。
- 1祇祇ぎ園園おん精精しょうののの鐘鐘かねののの聲聲こえ、、、諸諸しょ行行ぎょう無無むののの響響ひびきありありあり、、、娑娑しゃ羅羅ら雙雙そうののの花花はなののの色色いろ、、、盛盛しょう者者じゃ必必ひっののの理理ことわりををを顯顯あらはすはすわす。。。
- 2驕驕おごれれれるるるものものもの久久ひさしからしからしからずずず、、、たゞたゞただ春春はるののの夜夜よののの夢夢ゆめののの如如ごとししし。。。猛猛たけききき人人ひとももも遂遂ついにににははは亡亡ほろびびびぬぬぬ。。。ひとへひとへひとえににに風風かぜののの前前まえののの塵塵ちりににに同同おなじじじ。。。
- 3遠遠とおくくく異異いをををとぶらふとぶらふとぶらうににに、、、秦秦しんののの趙趙ちょう高高こう、、、漢漢かんののの王王おう莽莽もう、、、梁梁りょうののの周周しゅう、、、唐唐とうののの祿祿ろく山山さん、、、これらこれらこれらははは皆皆みな、、、舊舊きゅう主主しゅ先先せん皇皇こうののの政政まつりごとにににももも從從したがははわずずず、、、樂樂たのしみしみしみををを極極きわめめめ、、、諫諫いさめめめをををももも思思おもひひい入入いれれれずずず、、、天天てん下下かののの亂亂みだれれれんんん事事ことををを悟悟さとらららずずずしてしてして、、、民民みん間間かんののの憂憂うれふるふるうる所所ところををを知知しらららざりざりざりしかしかしかばばば、、、久久ひさしからしからしからずずずしてしてして亡亡ぼうじじじにににしししものものものどもどもどもなりなりなり。。。
- 4近近ちかくくく本本ほん朝朝ちょうををを窺窺うかがふふうににに、、、承承しょう平平へいののの將將まさ門門かど、、、天天てん慶慶ぎょうののの純純すみ友友とも、、、康康こう和和わののの義義ぎ親親しん、、、平平へい治治じののの信信しん賴賴らい、、、これらこれらこれらははは驕驕おごれれれるるる事事ことももも猛猛たけききき心心こころももも、、、皆皆みなとり〴〵とり〴〵とりどりなりなりなりしかしかしかどもどもども、、、まぢかくまぢかくまぢかくははは六六ろく波波はののの入入にゅう前前さきののの太太だい政政じょう大大だい臣臣じん平平たいらののの朝朝あ臣臣そん淸淸きよ盛盛もり公公こうととと申申もうしししししし人人ひとののの有有あり樣樣さま、、、傳傳つたへへえ承承うけたまわるるるこそこそこそ、、、心心こころもももことばことばことばももも及及およばばばれれれねねね。。。
- 5そのそのその先先せん祖祖ぞををを尋尋たずぬれぬれぬればばば、、、桓桓かん武武む天天てん皇皇のう第第だい五五ごののの皇皇おう子子じ一一いっ品品ぽん式式しき部部ぶ卿卿きょう葛葛かつら原原はらののの親親しん王王のう九九く代代だいののの後後こう胤胤いん、、、讚讚さぬ岐岐きののの守守かみ正正まさ盛盛もりががが孫孫まご、、、刑刑ぎょう部部ぶ卿卿きょう忠忠ただ盛盛もりののの朝朝あ臣臣そんののの嫡嫡ちゃく男男なんなりなりなり。。。
- 6かのかのかの親親しん王王のうののの御御み子子こ高高たか視視みののの王王おう、、、無無む官官かん無無む位位いにににしてしてして失失うせせせ給給たまひひいぬぬぬ。。。そのそのその御御おん子子こ高高たか望望もちののの王王おうののの時時とき、、、始始はじめめめててて平平たいらののの姓姓しょうををを賜賜たまひひいててて、、、上上かず總總さののの介介すけににになりなりなり給給たまひひいしししよりよりよりこのこのこのかたかたかた、、、忽忽たちまちちちににに王王おう氏氏しををを出出いでででててて人人じん臣臣しんににに連連つらなるなるなる。。。
- 7そのそのその子子こ鎭鎭ちん守守じゅ府府ふののの將將しょう軍軍ぐん良良よし望望もち、、、後後のちにににははは國國くに香香かととと改改あらたむむむ。。。國國くに香香かよりよりより正正まさ盛盛もりににに至至いたるるるまでまでまで六六ろく代代だいははは諸諸しょ國國こくののの受受じゅたりたりたりしかしかしかどもどもども、、、殿殿てん上上じょうののの仙仙せんをををばばば未未いまだだだ許許ゆるささされれれずずず。。。
現代語訳
祇園精舎の鐘の音には、この世のすべては移り変わってとどまることがないという響きがある。釈迦が亡くなったとき白く枯れたという沙羅双樹の花の色は、勢いの盛んな者も必ず衰えるという道理を表している。
おごりたかぶった者も長くは続かない。ただ春の夜の夢のようにはかない。勇ましく猛々しい者も最後には滅んでしまう。まったく風の前の塵と同じである。
遠く外国の例を尋ねると、秦の趙高、漢の王莽、梁の周伊、唐の安禄山、これらはみな、もとの君主や先代の皇帝の政治にも従わず、ぜいたくな楽しみを極め、人の諫めも心に留めず、天下が乱れようとしていることも悟らず、民衆の嘆き苦しむところも知らなかったので、長く続かずに滅んでしまった者たちである。
近くわが国の例を見てみると、承平の平将門、天慶の藤原純友、康和の源義親、平治の藤原信頼、これらはおごりたかぶったことも勇猛な心も、それぞれにすさまじかったけれども、ごく最近では、六波羅の入道、前の太政大臣、平朝臣清盛公と申した人の有様は、伝え聞くだけでも、心でも言葉でも言い表すことができないほどである。
その先祖をたどると、桓武天皇の第五皇子、一品式部卿葛原親王から九代目の子孫で、讃岐守正盛の孫、刑部卿忠盛朝臣の嫡男である。
あの葛原親王の御子の高視王は、官職も位もないままで亡くなられた。その御子の高望王のとき、初めて平の姓を賜って、上総介になられてからこのかた、たちまちに皇族を離れて臣下の列に連なった。
その子の鎮守府将軍良望は、のちに国香と名を改めた。国香から正盛に至るまでの六代は、諸国の受領であったけれども、殿上の間に昇ることはまだ許されていなかった。
意訳
冒頭の二文は、仏教の無常観を、音(鐘の声)と色(花の色)という二つの感覚に託して述べた対句である。祇園精舎は釈迦が説法した寺で、その無常堂の鐘は、病む僧が臨終を迎えるときに「諸行無常」の偈を響かせたと伝えられる。沙羅双樹は釈迦が入滅したとき、悲しんで白く枯れたという。どちらも、栄えた者も必ず滅びるという、この物語全体の主題を告げている。
続いて作者は、中国の四人、日本の四人の「驕れる者」を並べ、そのうえで「まぢかくは」と清盛を名指しする。すでに滅んだ八人の悪逆をも上回る人物として清盛を据えることで、これから語られる平家一門の栄華が、そのまま滅亡への道でもあることを読者に予感させている。
後半の系譜は、平家がもとは桓武天皇の子孫という高貴な血筋でありながら、臣下に下ってからは地方官(受領)を務めるだけで、殿上に昇ることも許されない家柄だったことを示す。この「殿上の仙籍をば未だ許されず」という結びが、次の「殿上の闇討の事」で忠盛が初めて昇殿を許される話へとつながっていく。
語釈・文法注
- 祇園精舎
- 古代インドの舎衛国にあった寺。須達長者が釈迦のために建てたという。その一角の無常堂には、病む僧の臨終に「諸行無常…」の偈を響かせる鐘があったと伝えられる。
- 諸行無常
- この世のすべてのもの(諸行)は生じては滅び、常に移り変わってとどまることがない(無常)、という仏教の根本の教え。
- 娑羅雙樹
- 沙羅双樹。釈迦が涅槃に入ったとき、その四方に二本ずつ立っていた沙羅の木。釈迦の死を悲しんで、たちまち白く枯れたという。
- 盛者必衰
- 勢いの盛んな者も必ず衰える、という道理。
- 異朝
- 外国の朝廷。ここでは中国。対になる「本朝」はわが国。
- 周伊
- 梁の周伊という人物は史書に見えず、底本の頭注も朱异(朱昇)の誤りかとする。朱异は梁の武帝に重用された寵臣。
- 六波羅
- 京の鴨川の東、五条から七条のあたり。平家の邸宅が集まっていたので、平家一門や清盛をさしてもいう。
- 入道
- 出家して仏門に入った人。とくに在家のまま剃髪した貴人をいう。清盛は太政大臣を辞したのち出家した。
- 受領
- 実際に任国へ赴いて政治を行った国司の長官(守)。財を蓄えることはできても、中流の貴族の地位であった。
- 仙籍
- 清涼殿の殿上の間に昇ることを許された人の名を記した札(日給の簡)。「仙籍を許される」で昇殿を許されることをいう。
文法
- 「猛き人も遂には亡びぬ」
- 「ぬ」は完了の助動詞の終止形で、最後には滅んでしまう、と確実に起こることとして述べる。打消の「ず」の連体形「ぬ」ではない。
- 「久しからずして亡じにしものどもなり」
- 「亡じ」はサ変動詞「亡ず」の連用形。「にし」は完了の助動詞「ぬ」の連用形+過去の助動詞「き」の連体形で、滅んでしまった、の意。
- 「傳へ承るこそ、心もことばも及ばれね」
- 係助詞「こそ」を受けて、結びが已然形の「ね」(打消の助動詞「ず」の已然形)になる係り結び。「れ」は可能の助動詞「る」の未然形で、伝え聞くだけでも、心にも言葉にも及ぶことができない、の意。
- 「入道前の太政大臣」
- 底本は「前」に「さき」とふりがなを付ける。前の太政大臣、すなわち太政大臣を辞した人の意。
解説
「祇園精舎の鐘の声」で始まるこの章段は、『平家物語』全体の序にあたる。仏教の無常観を述べる前半と、平家の系譜をたどる後半からなり、前半の流麗な七五調の対句は、琵琶法師が語る平曲の冒頭としても、古くから暗誦されてきた。
前半に並べられる人物は、いずれも主君にそむいたり、権力をほしいままにしたりして滅んだ者たちである。秦の趙高は始皇帝の死後に実権を握った宦官、漢の王莽は前漢の帝位を奪って新を建てた人物、唐の安禄山は玄宗にそむいて安史の乱を起こした武将である。日本の側の平将門・藤原純友(承平・天慶の乱)、源義親(康和年間に九州で乱暴を働き、のち出雲で反乱)、藤原信頼(平治の乱の首謀者)も、みな朝廷にそむいて討たれた。
後半では、平家の祖を桓武天皇の皇子葛原親王とし、その孫高望王が平の姓を賜って臣籍に下ったと述べる。こうした系譜は、のちに清盛が太政大臣にまで昇りつめる栄華が、いかに破格であったかを際立たせる役目を果たしている。
本文は、底本の『校註日本文学大系』第14巻の表記どおりに翻刻した。底本は、江戸時代に広く読まれた流布本の系統の本文で、章段名を「祇園精舎の事」のように「…の事」の形で示している。
関連
出典
- 底本
- 『校註日本文学大系』第14巻(平家物語) 国民図書、大正14年(1925)、247–248頁(コマ152–153)。国立国会図書館デジタルコレクション
- 校訂・訳・注
- 古典ライブラリー編集部
- 更新日